- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104361052
作品紹介・あらすじ
わたしは今日もあの人を待っている、ベルリンの通りを歩きながら。都市は官能の遊園地、革命の練習台、孤独を食べるレストラン、言葉の作業場。世界中から人々が集まるベルリンの街を歩くと、経済の運河に流され、さまよい生きる人たちの物語が、かつて戦火に焼かれ国境に分断された土地の記憶が立ち上がる。「カント通り」「カール・マルクス通り」他、実在する10の通りからなる連作長編。
感想・レビュー・書評
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最初は彼女の硬い文体が苦手だと思った。感情を排除して、頭の中の連想ゲームを覗き込んでいるような。しかし、読み進めていくうちに引き込まれていく。まるでドイツの硬いパンを味わっているかのようだった。顎は疲れるのに、なにくそと引きちぎって齧り付いて噛み砕く。
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「百年の散歩」(多和田葉子)を読んだ。
読んでいる自分も『あわあわ』とした影みたようになって「わたし」に寄り添ってベルリンの街を通りから通りへ彷徨うその揺らめきが快感となって魂を揺さぶる。
自分の中のこれまでの多和田葉子さんのイメージよりも今回は少ししっとり華やいている気がする。 -
ベルリンの実在する通りをタイトルとした10編の話を収録した、エッセイ風の小説。
「あの人」を待ちながら、目に止まった自然や建物、人々などについての思いを馳せていく。その対象は現実のものであったり、過去へと飛んだ想像の世界であったりするのだが、その境界は曖昧でふわふわと漂っている。
取り立てて大きな筋があるわけでもなく、言葉や文字の遊びを楽しみながら、思考の飛んだ先を作者とともに想像しゆったりと散歩していくような味わいのある一冊。 -
3/25は散歩にゴーの日
わたしは今日もあの人を待っている、ベルリンの通りを歩きながら。
多和田葉子さん『百年の散歩』を。 -
2023/9/12購入
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おおせの、通り。 -
言葉から言葉へ、「音」を介して広がるイメージの面白さこそ多和田葉子、そんなふうに「洒落た」読み手たちはいうのだ。そうなのだろうか、一章「カント通り」から二章「カール・マルクス通り」にかけて散歩しながら居眠りを始めた奇特な方はいらっしゃらなかったでしょうか?
面白さなど、人それぞれなのですが、ぼくにとって、多和田の面白さといえば、文章の中に多層化して畳み込まれた意識、そこから目の前の風景の底に流れる、多層化した時間を見抜く確固とした眼の力、あるいは、意志と呼ぶべきものが現れてくる瞬間に出会うことなのです。
「そうだったのか」という納得が何となくやってきて、再び消えてゆく。とても居眠りなどしていられない。たとえば、「コルビッツ通り」にあふれ出す子どもたちを見つけた多和田の喜びの深さ、これは、なかなか出会えない多和田葉子の素顔がのぞいた瞬間かもしれかもしれませんね。そこが面白い。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202002170000/ -
ベルリンの通り名、いろんな場所に、いろんな名前がついている。ドイツ、全然知らないかとことに気づく。再読したい。