- Amazon.co.jp ・本 (169ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104709021
作品紹介・あらすじ
舞台は、志摩半島の一角、小さな湾近くの傾斜地。そこに土地を買い、家を建て、改めて、自分と現実のすべてについて、新しい生の感覚を見出そうとして暮らす。場処を決めたのは、オスの雉。見知らぬ道をタクシーで通りかかったとき、ふと、歩いている雉を見て、奇跡に出遭ったように、心がふるえた。家の棟上式で一本ずつ立つ柱に、主である木を私は持つのだ、と感動する。生死のはざまで自分の皮を脱ぐ、ヘビの抜け殻を拾ってうける暗示…。そんな、ある生活事始めといった光景が、弾みと生彩ある言葉で展開される、川端康成文学賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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川端康成文学賞受賞作品。
この賞って地味な感じがするけど過去の候補作や受賞作品を見てみると、いいわ~、渋くて。大衆に迎合してなくてぶれない感じが(笑)
今度からちゃんとチェックしようっと。
4つ短編集が収められている。いずれも完成度が高い。
最初に二編は同じ主人公だろうか、志摩半島に別荘を建てて東京との二重生活を送る女性の話。
崖地に建てた別荘から見る景色の美しさが眼前に迫ってくるような描写。
また美しいだけではない少しでも間を開けるとあっという間に雑草のはびこる生命力あふれる周囲の自然。
家の周囲にはヘビやクモがいたるところにいて、名もなき沼には姫ボタルが自生する。
ポイントはこの目線があくまでもよそ者の目線だと言うことだろう。
その土地に住む人々では感じることのない都会に住む者から見た世界。
だからこそ彼女の孤独や寂寥感が際立ってくる。
一番好きだったのは三番目の桟橋。
これは大人の描く官能ですね。
直接的な描写はほとんどないのだけれど。
と言うよりどこまでが主人公の実体験なのかあるいは妄想なのがあいまいな感じもよかった。
海の中に住む色とりどりのウミウシ達の鮮やかさと、真珠養殖のなまめかしさ。
幼いあどけない子供と向き合う自分と、男に向けられる女としての自分と。
その配分の匙加減がすばらしい。
次は「半島へ」を読みたい。
この続編なのかな。
やっぱり稲葉さんがお亡くなりになったのは早すぎましたね。残念。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『午後の蜜箱』が面白かったので、「また別荘の話が読みたいな」と手に取った。「蜜箱」では五十代になっても感性はそれほど変わらないのかもしれないな、という驚きがあったのだけれど、本書には世代の差を強く感じてしまった。バブル時代を体験している、肉食系熟年女性の話。気持ちを共有できない人の話を聞かされるようで、ちょっと疲れた。
五十になったら、過去の異性がらみのことは楽しかったことだけ覚えていて、にっこり思い出すだけにするんじゃ駄目ですかね... -
稲葉真弓さん、谷崎潤一郎賞受賞おめでとうございます。
本作「海松」は、受賞された「半島へ」の前編にあたる作品。
東京でマンション暮らしをしながら、時折志摩半島の海沿いの別宅で暮らす女性の話。一見、寂しそうに思えたりするが、女性の内面は豊かだ。「西の魔女が死んだ」の主人公も、しばらく祖母宅で田舎暮らしをするけれど、都会の喧騒から離れて、山や海などの近くで自然に触れながら暮らすのは精神的に良いことだと思う。私も実家に帰って無心になって土いじりなどすると、何だかすっきりする。自宅で祖母の介護を15年以上していた母は、介護を続けることができたのは、並行して野菜作りをしていたからだと言っていた。土いじりがストレス発散になっていたみたい。また、いつまで続くか先の見えない介護と違って、収穫が達成感にも繋がったようだ。 -
ずっーと読み進めると、何か想像と現実の世界を行ったり来たりしてるような世界観が浮かんできて、
本を読んでるんだけど、夢の中にいるような感覚、、すっーと言葉や海の情景が頭に入り込んできます。
桟橋や入江の情景、それから牡蠣や獣たちの腐臭など、繰り返し本文に決まって表現されるワードが、
読み進めていくうちに、なんだか変な中毒性を持ち、癖になっていきました!
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表題作を含む短編集。
愛知県出身で仕事のために上京した主人公が家族旅行をきっかけに三重県志摩に別荘を建てた。
著者の経験を元にしているが、7割は創作とご本人は述べている(新聞インタビュー)。 -
生きること、暮らすことを見つめ直すのは、必死になっている自分への静かな抵抗であると同時に、たゆたう自分への細やかなご褒美でもある。そして人間とはいかに無力な生き物であるかを実感しつつ、何もしない、何もない世界に酔い浸るのがいい。そんな著者の思いに同化できるのが、この作品の魅力であろうか。
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短編集。半島での暮らし、猫とのふれあいなど、おなじみの落ち着いた稲葉真弓節を読み進めていくと、突然フィクションの世界に連れ込まれた。
いや、こちらも好きだからいいんだけどさ。
なんだか編集の意図がよくわからなかった。
《あと十年余もすれば、「私が先か、猫が先か」。そんなふうに覚悟を決めるときだって来るだろう。》という言葉があるが、初出は2007年。10年もたたないうちに逝っちゃったなんて…。 -
言葉が本当にきれいで、するすると読める。劇的な展開はなく、著者の心の内と半島に広がる風景や暮らしを静かに紡ぐ本。こんな表現の仕方があるのかと驚かされる。心地よく読める本。
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「海松」と書いて「みる」と読む。読み方に惹かれる。
みる。
作者の近しい友人や女としての自分、愛した男や家族、東京での生活、猫、半島の家での暮らし、そこにある初めて気づくもの。それを「みる」。
見つめる。自分を生きた時間。そこに詰まった個人の歴史。いま生きているという実感。深いところにある内面の沼をみる。覗き込む。水面に映るものや、そこに集まる発光体をみる。
いい本だとおもった。