- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105059316
作品紹介・あらすじ
統合失調症の兄を持った「わたし」は、小さい頃から脳に興味を抱く。同じものを見て、どうしておにいちゃんとわたしは反応が違うの?努力の末に脳科学の専門家となり、ハーバードの第一線で活躍するわたしは、誰よりも脳について知っているはず、だった-。1996年のある日、37歳で脳卒中に襲われ、生活は一変する。左脳の機能が崩壊し、言葉や身体感覚だけでなく、世界の受け止め方までも変わったのだ。体力の補強、言語機能を脅かす手術、8年間に及んだリハビリ。そこでわたしが得たものとは、何だったのか。脳卒中になりうるすべての人に-。
感想・レビュー・書評
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ある本でお勧めされていたので読んでみた。
脳の専門家が自らの脳出血から立ち直った体験がかかれている話。突然脳出血が起こった時も冷静に、ここが動かないということはあの辺りで出血が…とわかっていながらどうにも出来ない事態がリアル。
またリハビリによる心の動きがたくさんかいてある。本人が前向きでさらに周りをとりまく多くの人たちのあたたかさがすごい。 -
☆2(付箋7枚/P350→割合2.00%)
脳神経科医のジル・テイラーが左脳の脳出血を患い、その体験を奇跡の復活から語った類まれな書。
TEDで語っているのを見て、この本にたどり着いた。
最新の知見や研究が盛り込まれているわけではないのだが、左脳が抑制されることで広がる右脳の世界への知見はとても興味深い。
・脳の主な機能が右側へシフトしたことによって、わたしは、他人が感じることに感情移入するようになっていました。話す言葉は理解できませんが、話す人の顔の表情や身振りから多くのことを読み取ることができたのです。
・合衆国のファイルを見つけてみると、それはまた、心の中の絵。そこでわたしは二つのイメージ、つまり大統領の概念と合衆国の概念とをひとつに結びつけました。しかし医師は、実は、合衆国や大統領の意味を訊いていたわけではないのです。彼が求めていたのは、一人の特定の人間の名前。そしてそれは、「だいとうりょう」や「がっしゅうこく」とは全く別のファイルなのです。わたしの脳は「だいとうりょう」と「がっしゅうこく」から「ビル・クリントン」にはたどりつかず、諦めてしまいましたが、それは何時間も探して頭の体操に疲れ果てた後のことでした。
・わたしはその瞬間をはっきりと覚えています。ママはまっすぐわたしの目を見て、ベッドのすぐ横にやっ てきました。やわらかな物腰で、落ち着き払って、部屋の中の人たちに挨拶をしてまわります。それからわたしのシーツを持ち上げ、ベッドに潜り込んでくると、両腕でわたしをギュッと抱きしめたのです。肌から伝わってくる懐かしいぬくもりに、わたしは溶け込んでいきました。これは人生の中でも、忘れえぬ瞬間です。
・頭を切開するのがこの人たちの計画だ!と気づいたとき、わたしは恐ろしくてたまりませんでした。少しでも自尊心のある神経解剖学者なら、自分の頭を切って開けるなんて、決して、誰にも許さないでしょう。胸部と腹部、および頭蓋の窩のあいだの圧力のダイナミクスはとても絶妙なバランスを保っていて、回答手術のような大々的な侵入は、エネルギーのダイナミクス全体を完 全な混乱に陥れてしまう。
・頭の中でほんの一歩踏み出せば、そこには心の平和がある。そこに近づくためには、いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい。
・もしあなたがカール・ユングのファンなら、そこには思考型の心(=左脳)に対する直感型の心(=右脳)があり、感情型の心(=左脳)に対して感覚型の心(=右脳)があるはずです。
(ちょっとまぎらわしいが、ユング心理学のタイプ理論の定訳にしたがった。たとえば音楽を聴いたときに、その意味を考えるのが「思考型」、好き嫌いを決めるのが「感情型」。インスピレーションを得るのが「直感型」、ありのままの音に浸るのが「感覚型」。思考型と感情型は判断を下すので左脳的であり、直感型と感覚型は右脳的で あるとされる) -
これ!素晴らしかった!!コンセプトは『脳が壊れた』と一緒で(というか、『奇跡の脳』の方が先)、37歳で脳卒中で倒れた脳科学者が、その体験と回復の道のりを綴った本✨
「わからない」ってどういうことなのか、それがわかるようになっていくってどういうことなのか、脳の一部の細胞が死ぬとどうなるのか、がわかって面白い前半と、左脳(の一部)が死んで、右脳だけが残った状態で体験する世界の美しさが感動的な後半…
いやもうすんごい。美しさが半端ない。
平たくいうと、右脳だけの世界は、ニルヴァーナだったと。自分がどこからどこまでかの感覚を失くし、宇宙と一体だったと。
その言葉のリアリティ。
静けさと喜びに満ちた世界。
私はそれを信じることができる。
…スピなんだよね。スピっぽいとかじゃなくて、純正のスピなの。いやこれが本当のスピだよね。
脳科学者が、実体験に基づいて、力強く語るスピ。
それは、スピに憧れてそーゆー体験を求めて語っちゃうスピとは違うし、スピを科学的に証明しようとやっきになってそれっぽく語られるスピとも違う。
そこがこの本の最大に面白いとこ(^^)
いやーいろんな示唆が得られるんじゃないかな。 -
▼福島大学附属図書館の貸出状況
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/TB90198867
(推薦者:共生システム理工学類 小山 純正先生) -
凄かった。恐くもあった。この人だからここまで回復してコレを書けたのだと思う。唯一無二。あとお母さんが大した方だわ。
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日本では脳卒中からほぼ完全復活したひとの本ってあまりないんですよね。後遺症でこんなことが困ってます!という周囲に伝える意味合いのものが多い。この本は当事者が成功事例を目の当たりにして希望を持てる本。
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37歳で脳卒中を体験した神経解剖学者。その日の朝、徐々に機能しなくなる脳。言葉の理解を失い、耳から入る話も聞き取れず、脳内での言葉を用いた思考も次第に出来なくなる。そんな状態で病院に電話を。いや、こうなる直前には違和感を感じながらもシャワーへ。入院から回復に至る体験ルポ、ドキュメンタリー、描写も言語表現もその脳機能を巧みに表していて生々しく、リアリティがある。
左脳の脳卒中。左脳のもつ否定的な判断が機能せず、完全無欠な素晴らしい傑作だと自らを感じたという。このセリフが妙に印象に残り、メモを取った。そうか、我々の落ち込みやネガティブな気分は、全て自己否定であり自己暗示だったのだ。また著者は言う。今までと比較してできない事を嘆くのではなく、出来るようになった事を喜ぶようにと。ポジティブ思考は洗脳のようで、逃避にも感じていたが、意識の差であり、その差が脳機能にある事を改めて考えた。
完全無欠な人生は味気なく、卑小な自分を誇る事は痛々しいだろうか。等身大の自分を客観視できるように、自己否定と反省が必要だろうか。繰り返し反省をしてきた人生ならば、もう自分自身を認めてあげて良いではないか。
臨場感に溢れていたから、何やら自分自身も脳卒中から立ち直り、価値観の転換を少しだけ味わった気になる。追体験できる読書だった。