カントの人間学

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  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105067076

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  • カントの人間学
    (和書)2012年06月17日 21:29
    ミシェル フーコー 新潮社 2010年3月


    ミシェル・フーコー講義集成12を読んでみたらこれがなかなか面白い。13を図書館でリクエストしているから楽しみです。

    フーコーさんの面白さが分かってきた。今まで読んでもピントが合わなかったけれど、面白さが理解できるように感じる。

    神・世界・人間の見方が変奏されていることが書かれている部分も秀逸だった。そして人間というものをどう捉えているのかも書かれている。

    有限なものとしての人間。理性の限界。神、世界との関わりとしての人間。

    フーコーさんの本を面白く読めそうで楽しみが増えたように思う。

  • 【書評】中島一夫(読書人2010.05.21)。
    本書はフーコーが1961年にソルボンヌ大学で文学博士号取得のために提出した副論文。主論文は『狂気の歴史』。

  • カント哲学の、というよりあらゆる哲学の中心とも言える批判書で理性を徹底的に追及したカントが晩年に取り組んだ人間学は、人間に人間がわかるか、という究極の課題への挑戦だった。カントは死ぬまで老いなかった。
    フーコーがそのカントの最後期から出発したのは偶然ではない。知から権力、そして
    自己に向かった道筋の最初にカントの人間学を探求し結句にニーチェの超人を布置する手際は見事である。フーコーの生涯の必然を感じるほどに。
    決して読みやすい本ではないだけに、重要なフレーズの採集には好みに偏らないような注意が必要なのはわかっているが、人間学の大衆的性格を論じた箇所にはどうしても引き込まれてしまう。
    それは日常の言葉であり食卓の会話(プラトンの『饗宴』!)であるというのだ。語り、議論、冗談、の自由と普遍の形式のうちにのみ真理が明滅する。
    世界市民とは、社会集団や制度の下にあるものたちではない。それはただ単に人間が話すからなのだというのである。

  • ミシェル・フーコーの博士論文(副論文)の邦訳。ここでフーコーは、カントの『実用的見地における人間学』を取り上げながら、この最晩年の著作がカントの哲学体系のうちに占める地位を示そうとする。それと同時に、批判を通り抜けた先にある経験の世界への定位という方向性をも打ち出すことによって、ハイデガー的な「哲学的人間学」(ハイデガー自身の言葉では「基礎存在論」)をカントに忠実に乗り越えようとする。その点で、本書はカント研究であると同時に、フーコーの研究の方向性を打ち出す予告にもなっているのだろう。フーコーはカントの人間学が、批判を反復することによって初めて可能になった取り組みとして理解することで、批判を乗り越える人間学ではなく、批判の地平において有意味になる取り組みとして人間学を評価しようとしている。カントの全哲学体系を視野に入れようとするのであれば、避けては通れない「通俗性Popularität」の問題についても、本書が示唆するところは大きいと思われる。

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著者プロフィール

ミシェル・フーコー(Michel Foucault):1926年フランス・ポワティエ生まれ。高等師範学校で哲学を専攻、ヨーロッパ各国の病院・研究所で精神医学を研究する。1969年よりコレージュ・ド・フランス教授。1984年没。主著に『精神疾患とパーソナリティ』『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』『知の考古学』『監視と処罰』『性の歴史』がある。

「2023年 『ミシェル・フーコー講義集成 2 刑罰の理論と制度』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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