- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105071813
作品紹介・あらすじ
誰もが孤独の部屋の中から、報われない愛の行き先を探している。1930年代末、アメリカ南部の町のカフェに聾啞の男が現れた。大不況、経済格差、黒人差別……。店に集う人々の苦しみを男は静かに聞き入れ、多感な少女を優しく包みこむ。だがその心は決して満たされない――。フィッツジェラルドやサリンジャーと並ぶ愛読書として、村上春樹がとっておきにしていた古典的名作、新訳で復活!
感想・レビュー・書評
-
村上春樹の翻訳という事で、同氏特有の文体を期待して読んだのだが、村上春樹らしさは良い意味で控えめに目立たず、寧ろ「天才少女」と言われたカーソン・マッカラーズの世界観が光る。主体と視点を巧みに変えながら、小説全体にある秩序を作り上げるのだが、登場人物は、聾唖であり、差別と戦う黒人であり、アナーキスト的なアル中気味の白人、貧困の少女など、社会的弱者たちだ。
理不尽と戦いながら、不器用に生きる。しかし、一人一人は力不足だし、結束するイデオロギーの調和も得られない。他人に強く期待はしないが、それぞれに悩みを抱え、優しく依存する日常。
書き過ぎると、小説の楽しみが失われそうなのでこれ以上は書かない。情景描写、心理描写はまるで映画を見ているようで、展開の緩急、場面のトリミングも引き込ませる力がある物語だった。埋没感が高い小説を読む時のトリップする感覚は至高である。詳細をみるコメント1件をすべて表示-
kaonioさんこれは読みたい。これは読みたい。2024/02/24
-
-
カーソン・マッカラーズ(1917~1967・アメリカ)の何とも魅力的なタイトルの小説。待望の村上春樹氏の新訳に、心は躍るおどる♬
原題は『The Heart Is A Lonely Hunter』
河野一郎氏が翻訳したものを以前読んだことがあって、彼の解説によれば、この本のタイトルは詩人フィオナ・マクラウドの詩からとったものらしい。
――わたしの心は孤独な狩人 淋しい丘に狩りをする――
***
舞台は1930年後半、欧州ではドイツ・ナチズム、イタリア・ファシズムの台頭で、世界大戦が迫っているアメリカ南部――ジョージア州西部あたりだろう。経済不況にあえぎ、生活苦と貧困と人々のうっ憤がまん延している、根強い人種差別がはびこる小さな街。
そこでカフェを営む男、根無し草のアナーキスト、人種差別と闘う黒人医師、耳の聞こえない謎めいた男、そしてその男を慕う多感な少女……じつに多彩でどれもこれも一筋縄ではいかない人々が登場する群像劇だ。
決して起伏に富んだ華々しい小説ではない。どちらかといえば、暗たんとした時代も綯われて、アメリカ南部特有の暗さをもつ地味な小説だと思う。それでもそれぞれのキャラクターはひどく際立っていて、さまざまな光彩を放ちながら、素晴らしい星団を形成している。それを束ねる銀河の中心には、耳の聞こえない穏やかで知的な男シンガーがいる。いつだって人々の吐く言葉とその残骸を、彼はブラックホールのように静かに吸いこんでいく。
かくも哀しみと怒りに満ちあふれ、騒がしくまくしたてる人たちが溢れている……でも誰も人の話なんて聴いてはいない。聴いているふりをしながら、頭の中では自分がしゃべるための材料をこねくり回すのに一生懸命なのだ。そして傷つき、疲れ果て、みなが心にカギをかけて閉じこもってしまう。
やれやれ……この小説が1930年代を背景にしているはずなのに、あまりにも現代的で驚いてしまう。よい本というのは、うまい物語(虚構)のなかに、つかみどころのない真実をたくみに交差させながら、読む人に感銘を与え続けていくのだろうな~。
飛躍的な技術の進化は、その魅惑的な宣伝とともに人々をつなげるという幻想をいだかせるが、つながるのは必ずしも人の心ではないような気がする。
確かに、さまざまなシステムやネットワーク、情報やビジネスは広がり便利になった。かたや自殺者も出すほどのネット上の誹謗中傷、フェイクニュース、人種差別に過度なナショナリズム、ウル・ファシズム、狂信的ヘイトスピーチ……人という乗り物にタダ乗りし、ウィルスのように広がっていく憎悪や怒りや不信。それらに踏み荒らされて、すっかり荒廃したアメリカとその大統領選挙を呆然とながめながら、程度の差こそあれ、これが世界的な潮流でもあることを感じる。そういう意味でも、訳者村上春樹の新訳のタイミングとその卓越した仕事は素晴らしいと思う。
もちろん翻訳は作家村上春樹モードではない――いったいどんなモードかいな? 村上ファンなら通じるかな(笑)。彼はマッカラーズとゆっくり静かに伴走しているようだ。その行間からは作者への思慕さえ感じることができる温かさ。先の河野訳もよかったけれど、村上訳もいいな~しかもわかりやすい。
「……カール・マルクスが我々に残した戒律のひとつに、こういうものがあります。
『能力に応じて働き、必要に応じて受け取る』」(1875年「ゴーダ綱領批判」村上春樹訳)
河野一郎訳では、
『能力に応じてめいめいから、必要に応じてめいめいに』(河野一郎訳)
著作のこの部分の原文(ドイツ語かな英語かな?)は知らないが、この部分は河野訳のほうが気にいっているけど、そうなると確かに伝わりにくいから、村上訳にはおどろいた。本作を初めて読む人にもフレッシュでいい新訳だと思うし、再読の人もきっと楽しめるはずだ。
余談だが、この作品の謎めいたシンガーをながめるたびに、私はミヒャエル・エンデの『モモ』を思いおこす。余裕を失った現代人の「時間」をテーマにした物語だと一般的に言われている。でも私がもっとも好きなのは、夜空にまたたく星をながめながら、いつだってモモは人々の話をじいっと聴いている、彼らから放たれた言葉とともに、その深い孤独を静かに吸いとっていく……そんな少女の姿なのだ(2020.11.21)。 -
テーマは重いのだけど優しい視点と美しい筆致、また手放せない本が増えた。
少しずつ少しずつだけど世の中は良くなっていると思いたい。
1930年代末の米国、貧困や差別の苦しみ、戦争の足音の中で人々はシンガーさんに…
-
ほんと、辛かった。。
登場人物みんなとっても個性的で愛すべく人たちなんだけど、
みんなあまりにも悲しくて。
南部の、黒人たちの貧しさと、そんな人たちを雇って暮らす、また貧しい白人たち。。
聾唖の男、
人が好きなのか、孤独なカフェの店主。
アナーキストのよそ者、
人種差別に抵抗しようとする老いた黒人医師…
何度も胸が裂けるような悲しさと悔しさを感じながら、なんとか最後まで読みました。
カーソン・マッカラーズのデビュー作、なんと23歳で書き上げている。
まさにこの中に、出てくる素敵な、夢見がちな女の子ミッキーは、マッカラーズ自信を投影しているのかなと、思った。
ミッキーが、夜になるとラジオのある家の窓の下に立って音楽を聴く、ベートーヴェン交響曲第3楽章に心揺さぶられるシーンがとっても素敵だったのだけど。。彼女には幸せになってもらいたい。。
-
よっぽど追い詰められていたのか図書館で「孤独」と検索しタイトルに惹かれて借りて読み始めた。
章ごとに主軸とする人物が変わるタイプの小説で、主要人物以外は時たま顔を出すので、頭の悪い私は人物相関図がなんとなくしか構築できなかった。
ジェイクが近くにいたら信奉者になっていただろうなってくらい彼に惹かれて本書を本棚に仕舞いたくて買ったくらい彼のキャラクターや葛藤している姿が好きだった。
自分たちの問題点を自覚している者が、無自覚の大衆から孤立してしまうのはありがちなのだろうし、民主主義の根本的な問題点を端的に表してると思った。
同性愛、聾者、女性の不平等、酒浸り、アナーキズム、これらを副次的に描きつつ、黒人差別を主眼として資本主義、差別問題、民主主義の問題を登場人物に議論させたシーンが印象的。もちろん文章も素晴らしく、ただありのままを描写したという感じで脳内では上質なモノクロ映画を見てるようだった。
孤独からの逃避をテーマにしたのではなく、また強く明確に孤独を書き記した話でもなかった、他人のよく分からない感情が日々を薄く覆う感じが自分の明確な孤独感を薄めてくれた気がする。大抵求める繋がりはうまくいかない。 -
この本が好きだという人に囲まれて暮らしたい。
この本を好きだという人のもとへ、いますぐすぐ飛んでいきたい。
そのくらい、この本を取り巻く全てのものが好きだ。。。
この作家、かなりの文才の持ち主。
悲しみを演出するのに心理描写を使っていない。
あくまでも情景描写でそれを語る。
それにより読み手の想像力の幅を残しているし、なにより悲しみが心から生みでてくる。
それにまんまとやられて、登場人物たちの元へ今すぐ向かって、力になってやりたいほどの愛おしさを持った。
現実問題そうはできないもどかしさと、もしそれができたとしても、平和な時代で、ホワイトカラーとして働く、日本人の私に何ができるだろう。。。
この世の中の仕組みに違和感を抱き、それでも全て事実だからと受け止めて生きている自分には、ジェイクのような人が周りにいてくれたらどれだけ支えになるか、ないものねだりをしてしまった。
でも同時に、現実を批判したところで何も変わらないんだ、と、諦めも抱いた。
だから、もしも自分が財力ある人間になることができたとしたら、お金や富を正しい場所へ運んでやるんだ。。
そしてなによりシンガーさんの存在。
この人の振る舞いで、人には言葉なんて必要ないのかもしれないと思ったし、自分の発言には無駄ばかりではないか、とまで思った。つい最近まで言葉にすることが美徳だと思っていた。しかし、社会人になってから発言を慎むようになったのも相まって、言葉にすると言う行為は、案外最低限でいいのかもしれない。そう考えが変わった。
孤独を肯定してくれる、かけがえのない本に出会った。
アウトローな人間にまた一歩近づいてしまったーー。 -
アメリカ南部(ジョ-ジア州)の田舎町。世界大恐慌後の不安な世相、戦争の噂、貧困、黒人差別が渦巻く社会の片隅で、日々の生活に悶々としながら生きる人々の孤独と焦燥感が痛々しい。レストラン・バ—「ニュ-ヨ-ク・カフェ」に集う登場人物それぞれの苦悩が、出口の見当たらない夜の闇の中で蠢く。〝 私は聾唖者ですが 唇の動きを読んで 言われたことを理解します どうか大声を出したりしないでください 〟不幸を分かち合う聾唖の男(ジョン・シンガ-)に、つよく心を揺さぶられる。(1968年米映画「愛すれど心さびしく」の原作)