戦時の音楽 (Shinchosha CREST BOOKS)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901486

作品紹介・あらすじ

音楽と戦争、幻想と歴史が交錯し、響き合う、17の物語。名手による待望の初短篇集。往年の名ヴァイオリニスト。サーカスの象使い。大学教授になりすますシェフ。時代や運命の不条理に翻弄されつつも何かを生み出そうと苦闘する人々の物語は、作家自身の家族史をも織り込みながら、繫がり合うように広がっていく。ベスト・アメリカン・ショート・ストーリーズに4年連続選出された名手による、驚異に満ちた17篇。

感想・レビュー・書評

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  • ごくごく短い掌篇から、かなり読み応えのある長さのものまでいろいろ取り揃えた十七篇の短篇集。ニュー・ヨークの高層ビルの一部屋に置かれたピアノから突然バッハ本人が出てくるという突拍子もない奇想から、旱魃の最中に死んでしまったサーカス団の象の死体の処理に村中が知恵を絞るフォークロア調の話、自分の身代わりに連行された教授に成りすまし、教授の友人や教え子に手紙を書いて送ってもらった金で暮らす料理人の話等々。

    時代も舞台もいろいろだし、現代に生きる女性の一人称限定視点だったり、三人称客観視点だったり、断章形式だったり、一篇まるごとテープ起こしだったり、と語り方も千差万別。それではばらばらで統一が取れていないのではと思われるかもしれないが、不思議なことに、一篇一篇は異なっているのに、こうやって一冊にまとまると、どこかで何かが響きあっているような奥底に流れる基調音がある。

    原題が<Music for Wartime>。その訳が『戦時の音楽』というのだからほぼ直訳だ。たしかに、多くの作品に音楽や音楽家、絵画や画家、役者に作家といった芸術家が配されている。正面から戦時を描いているわけではない。戦争が我が身に迫ったとき、ユダヤ人のように迫害される側の人々がどうなったのか、ということを突き詰めようとしている。運よく逃れた者もいれば、殺された者、投獄された者がいる。その責めは誰が負うのか。

    戦争が終われば本当の意味で平和がやって来るのかどうか。「これ以上ひどい思い」のアーロンの父は若い頃ジュリアード音楽院に招かれ、アメリカに渡る。その後ルーマニアに残った家族全員が殺される。恩師のラデレスクは捕らえられ右手の中指を切り落とされるが、チャウシェスク政権が崩壊して放免される。アーロンはラデレスクの弾くヴァイオリンの音に耳を澄ませ、それらの物語を聴いている。

    父には仲間や恩師、家族を捨てて一人生き残ったことについての罪悪感があったことにアーロンは気づく。アメリカ生まれのアーロンは無辜であり、無垢のはずだ。しかし、感受性の強いアーロンは経緯について何も知らないまま、人々の不幸に反応してしまう。ユダヤ人の虐殺のあった公園を通りかかった時には寒気を感じる。そんなとき父はアーロンの頭に手を置きながら「これ以上ひどい思いをせずにすみますように」という言葉をまじないのようにつぶやく。

    この「無垢」と「罪悪感」というのが短篇集を貫く主題。主人公たちは何もしていないのに、夫とうまくいかなくなったり、次々と不運に見舞われたりする。9.11以来、信仰が揺らいだという夫と離婚した「私」は、ある日ピアノの中から現れたバッハと暮らすうちに、高層ビルの窓から下を見たバッハの恐怖を知る。そして夫の不安に思い至る。無意識がバッハを呼び出し「葛藤」が発展的に解消されてゆく過程をユーモラスに描く「赤を背景とした恋人たち」。マカーイは絵と音楽を競演させるのが好きだ。ここではバッハの音楽にシャガールを併せている。

    「絵の海、絵の船」は、雁と間違えてアホウドリを撃ち殺してしまう話から始まる。アレックスはカレッジの英文学科の教師。ラファエル前派のミューズ、ジェーン・モリスに似ているのが自慢なのだが、婚約者のマルコムは容姿を誉めてくれない。そんなある日、レポートでは優秀なのに授業ではしゃべらないエデン・スーを呼び出し、このままでは成績にひびくと注意する。その際「韓国では」と口に出したのが問題となる。スーはミネソタ生まれの中国系アメリカ人だった。人種による偏見だと委員会に訴えたのだ。

    苦慮するあまり、ついつい酒を飲みすぎて、授業にも出られなくなり、なお悪いことに再度エデン・スーとぶつかってしまう。任期なしの専任教授になることも難しくなったアレックスだが、それを婚約者に相談することができない。ついには酔った勢いで婚約解消まで申し出る羽目に。心配してくれる詩人のトスマンにも冷たい態度をとる。事態が収まるところに収まってから彼女は振り返る。

    「年下の同僚たちにその話をするときは、アホウドリから始まり、エデン・スーが中心となり、誰もが知っているトスマンの死で終わった。要点、つまり話の教訓は、人はいかに先入観を持ってしまうのか、犯した間違いがどれほど致命的になりうるかということだった。何かを見極めそこねると、それを傷つけたり、殺してしまいかねないし、そうでなくても救えなくなってしまうのだと」

    チェロ奏者のセリーンは新しい絵に引っ越したばかりだ。その家の前には十字架が立っていた。交通事故の犠牲者を悼むものらしい。それだけでなく、月命日ごとに家族が二人やって来ては、ぬいぐるみと造花の花壇を拡張させてゆく。死を悼む行為に反感を抱きたくはないが、はっきり言って醜いもので芝生を奪われるのは嫌だ。四重奏団の練習にやって来るメンバーもいろいろ案を出すが、どれも功を奏しそうにない。石碑か何かに替えてもらえるなら協力するというメモを貼り付けたが、二人はせせら笑って破り捨てる。

    ここへやってきたのは逃げるためだった。セリーンは一度結婚に失敗している。強迫症という持病もある。頑丈な家を買ってそこに籠れば誰にも孤独を邪魔されない。そう思ってやって来たところに十字架が突き刺さった。そんな月命日の夜、扉を叩く音がする。遺族の顔が思い浮かぶ。思い切って扉を開けると第一ヴァイオリンのグレゴリーだった。解決策を持ってきたという。セリーンはどうやってこの苦境を乗り切るのか、というのが「十字架」だ。

    罪悪感という主題を奥深く沈めていながら、どれも読後に癒されるような思いが残る。音楽と美術がいつも寄り添っていることも救いになっているようだ。カメオ出演のようにスチュアート・ダイベックが登場人物の一人として作中に紛れこんでいるのも楽しい。これが第一短篇集という、信じられないレベルの達成を見せる短篇小説の新しい名手の誕生である。

  • 文学ラジオ空飛び猫たち第80回紹介本 https://spotifyanchor-web.app.link/e/u22WgBgYhwb 同じ作家の、違う面が見れるのが短編集のいいところだが、その幅が広いのに、うまく言えないが通底しているテーマが、まとまりを見せていて、読み終えたあと迫ってくる。タイトルと絡むけれど、それとは違う、人間がどうしても抱えてしまう感情を描いている気がする。その感情がうまい言葉で括れなくて、だからこそ、短編集にひとつのまとまりを持たせることができている気がした。

  • 惜しまれつつ世を去った人々の博物館

  • 独裁者に滅ぼされた村で、作曲家は生き残った三人の老婆と一週間を過ごし、世界から失われようとしている歌を録音した…。わずか1ページ半の「歌う女たち」で始まる17短編。奇想風、寓話的、コラージュ風など、スタイルは色々でも、形を変えつつ音楽が流れ、戦争が人生に影を落とす。粒ぞろいの作品なのでバラバラに読むのも可、でも順番に読めば物語同士が少しずつリンクし、イメージ豊かに共鳴を始めるので尚良い。幼い少年が戦争のむごさ、生き延びた人々の痛みを鋭敏に感じとってしまう「これ以上ひどい思い」が素晴らしい(2002‐15)

  • 17編の短編集.
    薬指を失ったバイオリニストや像を失った象使い,ピアノから出てきた小さなバッハ,アホウ鳥を撃ってしまったり突然十字架がデコレーションされて行ったり,,,なんらかの象徴とも言えるキッカケで人生が変わるその徴.そういう運命的なものを短編の中にグッと凝縮させて描いている.不条理なことも多く,つまりはそれが人生なのかもしれない.

  • 不思議な味わいのある短編集。唐突に終わる話も多く、その後を想像させられる。それぞれに音楽あるいは戦争のことが忍んでいて、不意打ちで胸に響く言葉ご出てきたりする。「これ以上ひどい思い」に出てくるポグロムのことは特に忘れられない。「十一月のストーリー」は思い通りにいかない愛や人生を扱いかねる主人公に共感してしまう。1番好きなのは「絵の海、絵の船」。恋人が自分の容姿を褒めてくれない事を気にしてばかりいる主人公というだけで、親近感が湧く。主人公にはもっと気にしなきゃいけない大きなトラブルが起きていて、その事でも大変な思いをするけれど、同じくらいに恋人に認めてもらうことが大事なのだ。分かるなーと思う。

  • 面白かったです。17の掌編ですが数ページのものから数十ページに及ぶものまで、献辞に「ついに、ジョンに捧げる」
    とあるように13年もの間の作品が収められています。

    かなり想像力を要する作品が多くて読むのに苦労したけど
    、読後はしっかり読んだなぁ…と満腹感がありました。

    お気に入りは、歌う女たち、これ以上ひどい思い、
    十一月のストーリー、リトルフォークの奇跡の数年間、
    爆破犯について私たちの知るすべて、陳述、
    惜しまれつつ世を去った人々のは博物館。

  • こんなまとまりの短編集ははじめてかもしれない。
    ばらばらの寄せ集めではなく、
    ひとつのテーマに固執しているわけでもない、
    やんわりと、うまく言い表せないなにかでつながっている。

    これは戦争と音楽と罪悪感と芸術についてのはなしだ。
    戦争や過ちや間違い、罪悪感のコールタールみたいな地面から、芸術があればほんのすこし浮いていられる。
    そんなふうに生きたひとを覗き込むみたいな短編集。

    チャップマンの話しが一番好き。

    象を亡くした象使いや、天啓を受けるアメリカ人の少年、ピアノから出てくる小さなバッハに、大学教授のふりをするシェフ。家の前でバイクの事故が起きてしまったチェリスト。アホウドリを殺してしまった英文科教師。
    一族の過去。(もっと妙なことが実際には起きていた。もっと単純なことが、実際には起きなかった。)

  • 戦争・音楽を共通テーマとしながら内容も長さもタイプの違う短編が並ぶが、短編集としてまとまるとそれ自体がシンフォニーを奏でるというべきか、作り自体として非常に面白かった。最近戦争をテーマにした若い世代の作家による翻訳小説が増えている又は日本で紹介されているように感じる。祖先が経験した第二次大戦、アメリカは9.11とその後の中東での戦争。
    藤井さん翻訳に外れなし。

  • 面白いのもあれば、ピンとこないのもあり、の短編集。
    ずば抜けて良いのはやっぱり『赤を背景とした恋人たち』(ウェブで無料公開されている)
    ベートーベンと同居することになるというファンタジーと、現代女性の現実的な悩みや哀しみが、自分好みの重すぎないタッチで描かれていて気持ちいい。
    『十一月のストーリー』『爆破犯について私たちの知るすべて』あたりも好き。

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