靴ひも (新潮クレスト・ブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901615

作品紹介・あらすじ

荒らされた家、消えた猫……本当に失ったものは何だったのか。ふたりの子どもと妻を残して、夫は若い女と暮らすために家を出た。四十年前の危機を、乗り越えてきたはずの家族。彼らを繫ぎ留めていた紐帯は、留守宅を襲う何者かによって、ぷつりと断たれた――。ジュンパ・ラヒリが惚れ込んで英訳し、全米で絶賛された家族小説。

感想・レビュー・書評

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  • 父と母、兄と妹の、どこにでもいるごく普通の四人家族の話なんだけど、読んでいると、だんだん胸のあたりが痛くなってくる。普通の小説はここまで本音を書かない。人って、普通、本音で生きていない、だろう? ちがいますか? あなたは本当にしたいことをして、言いたいことを言っていますか? そんなことをしたら、周りにいる人を傷つけることになるし、一週間もしたら、口をきいてくれる人がいなくなるでしょう?

    それだからこそ、人は、嘘とは言わないまでも、建前で生きている。少なくとも、この国に暮らすたいていの大人は。舞台になってるのはイタリアだけど、イタリア人だって、そうはちがわないと思う。日本人よりは本音の割合が多いのではないかとは思うけれどもね。ところが、この小説に出てくるアルドという男は、三十四歳のある日、若い女性に魂を射抜かれ、妻子のことを放り出して、その娘と暮らし始める。

    この小説は、三つの部分に分かれていて、それぞれ、視点人物も、語り口も、時代も異なる。「第一の書」は、書簡体小説の体裁がとられている。手紙は九通。書き手はヴァンダ。アルドの妻で、サンドロとアンナ兄妹の母親である。一通目は、自分たちを捨てて別の女に走った夫に本当の気持ちを聞かせてほしいと訴える手紙である。初めは一時の気の迷いではないかと思った妻は、夫との話し合いを通じて、夫に帰る気がないことを知る。ヴァンダは夫と別居し、子どもと暮らし始める。

    「第一の書」は、妻から見た視点で貫かれており、いかに夫が身勝手であるか、切々と訴えかけてくる。それだけでなく、過去を忘れたいだろう夫に、結婚した当時の話を思い出させるふりをして、それがいつ、どこのことで、今は何年、何月になっているかを読者に教えてくれる。二人がナポリで結婚したのは一九六二年、アルドが二十二歳のとき。今はそれから十二年後。三年後に長男のサンドロ、七年後に娘のアンナが生まれている。最後の手紙で、サンドロが十三歳と書いてあり、手紙の書かれたのが一九七八年であることが分かる。

    「第二の書」は、夫の独白体。「私」は七十四歳で、時代は二〇一四年のローマ。どうなっているのか分からないが、妻はヴァンダで七十六歳というから、何と元の鞘に収まっているらしい。めでたし、めでたしと言いたいところだが、どうもそんな様子ではない。夏のヴァカンスに出かけるところから始まるが、最初から波乱含み。妻は猫のラペスを残していくのが不安で兄妹に世話を頼むのだが、四十代の兄妹は伯母の遺産争いで不仲になり、今では顔も合わさない。父親が餌やりのスケジュールを調整し、やっと旅行にこぎつけたところだ。

    事件が起きるのはヴァカンスから帰った後だ。部屋が荒らされ、家具は壊され、家じゅう足の踏み場もない荒れようだ。不思議なことに金目の物は盗られていないのに、猫のラペスがどこにもいない。警察はロマの仕業を疑い、妻は猫が誘拐されたと考える。夫は秘密の隠し場所が空になっていることに気づく。そこにはかつて愛したリディアの写真(ヌードを含む)が隠してあったのだ。もしや、その辺に散らばっているのでは、と妻の目を怖れ、血眼になって探し回り、見つからないとなると、写真を奪った犯人が強請に使うのではと不安になる。

    探している間に、妻が長い間ため込んでいた写真や手紙が次々と現れてくる。過去の回想を通して「私」は、五十二年という結婚生活の「複雑に縺れ合った時間の糸」を解いていく。何故、愛するリディアと別れ、妻のところに戻ったのか。戻ってから夫婦は元通りの関係に帰れたのか。ローマの大学で教鞭を執る夫は、感情的な妻と比べると知的で、周囲の人間にも愛されている。初めは一時の好奇心でつきあい始めた若い女の魅力に、次第に真剣になっていく過程が正直に語られる。視点が変われば、読者は視点人物の眼で事態を見るので、あれほどいい加減な男に見えた夫の気持ちもそれなりに理解できてくる。

    一口でいえば「中年の危機」だ。自分は本当にこれでいいのか、もっとやるべきことがあるのでは、という疑念をちらと抱いた時、若さと美貌、財産も住処もある、気立てのいい女性が目の前に現れたのだ。一度くらい本音で生きてみたい、とついその気になってしまう中年男をなかなか責められない。しかし、反省して家に戻った男を、妻は本音では赦していない。「昔から妻がこれ見よがしに私の生活全般を取り仕切り、私は抗わずに指示に従っている」という一文に、夫の不満が透けて見える。放蕩息子は妻の機嫌を窺って生きる人生を選ぶしかなかったようだ。

    「第三の書」は、アンナの視点で描かれる数時間の「いま」。会話相手は兄のサンドロだ。ミステリならこれが謎解きの解決篇にあたる。妹は兄に訊きたいことがあった。会うのを渋る兄をうまく言いくるめて、二人は親の家で会うことに。表題の「靴ひも」が、やっとここで登場する。家を出て行った父と兄妹が再び一緒に暮らすことになるのは、兄の独特の「靴ひも」の結び方が、父親のそれと全く同じだったことがきっかけだった。兄の語る昔の話で、父と母の秘密を知り、猫の名前の真の意味が明らかになる。最後になって、それまで曲がりなりにも成立していた「家庭」が一気にちゃぶ台返しされる。

    幼い頃に父親に捨てられた娘が親をどう思うか。それよりは少し年端のいった兄の方は両親の関係をどう見て育ってきたのか。子どもの目に映る親の姿を、ここまであけすけに聞かされるのは、親としては辛いものがある。ここまでひどい父親ではなかったと思いたいが、仕事にかかりきりで、夏の旅行のときくらいしか、まる一日一緒につきあったことがない。夫婦喧嘩をするところも見られている。どんな思いで育ってきたのか、知りたいようにも思うが、本音を知るのは怖い。そういう意味で「怖いもの見たさ」の心理をうまく衝いた「家庭小説」。問題のない人生を生きている人にはお勧めしない。脛に傷持つ人は、覚悟して読まれたい。

  • 第一の書 浮気をしている夫へ妻からの手紙。
    第二の書 40年後の夫の回想録
    第三の書 娘からの視点。子どもたちの気持ち。
    の三部構成で書かれている。

    第一の書は、妻の感情がストレートに伝わってくる。なじるかと思えば、すがり付く言葉。愛と憎しみの間で揺れている。突然の出来事に混乱している様子が痛々しい。
    第二の書は、老齢の夫婦が夏のバァカンスから帰宅すると家が何者かに荒らされていた。その家をかたづけながら、夫が過去を回想する独白。
    過去の浮気の美しい想い出に浸りながら、反省と妻にひたすら尽くしている様子を丁寧な言葉で飾りながら語っている。
    妻はヒステリーで夫に対し支配的。子どもたちは母親の気分が害さないようどれだけ気を使っていたか、知人たちは自分に同情的でさえあると平気で言う。身勝手で偽善的であり、憐れでもある。
    昔読んだ島尾敏雄の『死の棘』を思い出しながら読んだ。
    第三の書は、40代半ばの娘によって自分と兄の気持ちが語られる。両親の確執は、子どもにどれ程影を落とすことか。
    人の感情はなんて複雑なんだろう。家族はなんて複雑なんだろう。

    そしてラスト…!

    靴ひもはこっちを引っ張れば彼方がつれる。結び目が緩ければほどける。家族は靴ひものようだ。変わった結び方でも結ぶことはできる。繋ぎ止めることはできる。兄が父から受け継いだ変わった靴ひもの結び方のように。


  • 穿たれた傷は癒えたが、瘢痕となり肉に留められている。もはや疼くこともないその醜い跡は、“損なわれている”という事実が、すっかりと忘れ去られないように、身体に残されているだけだ。
    血は違う。脈打つ血が伝えてくるのは、“お前も人を傷つけ、損なうことができる側の人間だ。忘れるな。”という、間断ない囁きだ。
    それは不吉な呪いかもしれないし、言い古された警句かもしれない。だが、笑い飛ばす訳にはいかない。それが事実であることを僕は知って生きている。

    家族のあり方を一括りで語ることはできない。
    だが、本書に描かれた靴ひもの美しいエピソードは、結局は誰も救うことはなかった。
    すでにひび割れて砕けかけた器を、父の手が母の手が息子の手が娘の手が、それぞれの役割で包んでいることで形を保ったに過ぎない。
    うまくやったともいえる。
    9歳だった娘はなんだかんだで34歳まで同居し、和解から40数年経った老夫婦はバカンスに共に行く。息子は親への感謝を口にし、思いやりに満ちたメールを返す。
    だが、もはや家族という器は粉々になり、支えた手の指の間をこぼれ落ちてしまっている。そこにあるのは“あることになっている幻影”だ。
    では幻影すら白日の元に暴かれたラストの先に、家族は支える手を離してそれぞれが抱える矛盾と欺瞞に向き合っていくのだろうか?それが個人の再生のきっかけとなる希望なのか?
    いや、そんなこと起きないだろう。もはや誰も手を伸ばさずとも、ダラダラと家族は続いていくのだろう。
    それが善いことか悪いことかの判断なんて僕にはできない。結局、家族は幻想だと知っていても、血肉に染み込んでしまっているのだから。

  • 好きな作家の1人、ジュンパ・ラヒリさんが惚れ込んで英訳した作品だと知って読んでみることにしました。 物語は3つのパートからなり、最初は家族を捨てて家を出た夫を非難する妻からの手紙。次に寄りを戻して老いた夫婦の家が荒らされたことをきっかけに、夫が過去を振り返ります。最後は、夫婦の息子(兄)と娘(妹)の対話が描かれます。 この本を読んでいる間、内容の暗さもあり、あまりいい気分ではありませんでした。しかし、最後まで読み終えてよかったと思わせる内容でした。

  • ジュンパ・ラヒリが惚れ込んで英訳した本、ということで読んでみた。”もしも忘れているのなら、思い出させてあげましょう。私はあなたの妻です。”と書かれた手紙で始まる出だしで、まず相当に不穏。そして主人公のアルドというこの事件の元凶となった男がかなりひどいやつなのだ。愛人に入れ込んで家を出ていくし、愛猫には不吉な名前をつけるし。それに伴い妻はヒステリックになり子供達も闇を抱えて育つことになる。タイトルにもなってる靴ひもが出てくる場面は印象的。そして最後は問題は解決しないにしろスッキリとした気持ちになった。

  •  当初、本書の粗筋を私は全く理解できなかった。映画化されると聞き(邦題『靴ひものロンド』)、ホームページを検索して粗筋を読んでみたが、それでも意味不明だった。読了して言えることは、要約しにくいほどおもしろい作品だったということだ。寧ろ読者にならない限りこのおもしろさが充分に伝わらない可能性すらある。関口英子さんの翻訳も素晴らしい。
    「家族」――私たちにとって最も身近で説明しきれない、ある生き物の集団/集合体を、本書ほどコミカル且つシニカル且つグロテスクに描いた小説があったであろうか! 久し振りの満足のいく読書に興奮を抑えられない。

  • 不思議なほどアンナがわかりやすい。世代なのだろうか。それでも、家族に対してこうあってほしいという夢だけは全員がしっかりと抱えている。アンナは猫を連れていく。サンドロではなくアンナが。

  • 読みやすかった。
    浮気をして出て行った夫がまた戻ってきて一緒にいる家族。
    形だけの家族の本当の姿が、第3の書で明らかになる。
    家族は恐ろしいとも思えました。元に戻るとは言え、子供に与える影響の大きさが怖く思えました。

  • ★4.0
    ジュンパ・ラヒリが惚れ込んだ、というのも納得の1冊。三部構成の作りで、一部は夫の不貞を詰る妻、二部は40年後の夫、三部は夫妻の娘の視点から綴られる。それぞれで文章の形式が異なり、技巧の面でも楽しめる。が、ストーリーも全く以て申し分なし。表面上は取り繕えても、実際には崩壊している家族の40年間。各々が何を考え、何を思っているかは誰にも分からない。私的には、夫が本当にどうしようもないと思うものの、妻も妻でやっぱり怖い。ガラリと趣きが変わる三部が印象的で、鬱々とした気分が少し前向きに明るくなった気が。

  • エンタテイメントと呼ぶには、生々しい部分もあるのですが、物語の内容も、母から始まる物語の構成も、隙のない完璧さです。

    私自身、過去に両親に嫌な思いをされて、それを明け透けに出来ず、いまだに心の中に秘めていたりもしていて(もちろん良い思いもあるからこそ、こういった行動に出るわけですが)、それが今の自分の個性の一部になっている事を、実感しています。が、そういった鬱屈した思いをしているのは、自分だけでは無かったのだということを、この作品を読んで思いました。

    読んでいて、途中、重い気分にもなりましたが、読後感は決して悪くはありません。是非、最後まで読んでみてください。家族って、こういう部分もあるよなと共感できると思います。

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