「海の民」の日本神話 古代ヤポネシア表通りをゆく (新潮選書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106038723

作品紹介・あらすじ

古事記研究の泰斗が描く、この地の人と神の真の姿――。古代日本、「ヤポネシア」の表通りは、いかなる世界だったのか。筑紫、出雲、若狭、能登――『古事記』等の文献は勿論、考古学や人類学も含めた最新研究を手掛かりに、海流に添って古代の世界を旅すると、ヤマトに制圧される以前に、この地に息づいていた「まつろわぬ人々」の姿が見えてきた。三浦版「新・海上の道」誕生。

感想・レビュー・書評

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  • 昨年9月刊行。現在の三浦史観の集大成。「古代ヤポネシア表通りをゆく」という副題がつく。ヤポネシアは作家・島尾敏雄が日本列島を言い表した造語。著者は更に、古代では日本海に面した列島の海岸沿いこそは表通りだったと喝破する。ヤポネシアという名称はちょっと突飛過ぎてなかなか人口に膾炙しないかもしれないが、古代に未だ日本という名前は無く、自ら倭国と卑下するのもおかしく、国際的に当時の列島を言い表すならば良い名前かもしれない。そして地図上で、列島を大陸を下にして置いてみれば、正に日本海を通じて、北九州、山陰、北陸が表玄関だったことにガッテンがゆくだろう。

    三浦祐之氏は、日本を代表する古事記研究者である。しかも、世の文献史家にあるが如く7-8世紀の「記紀」と3世紀の弥生時代後期・4-6世紀の古墳時代を混合し記述することが極力ない珍しい史家である。考古学重視の私とて、記紀並びに万葉集は最古の日本文献なので、出来得ることならば参考にしたい。よって、氏の主張には多く頷くところがあった。

    以下、参考になったところをメモする(分かりやすくまとめる事叶わなかった。無視してください)。

    ◯第1章「海に生きる 筑紫の海の神と海の民」
    ⚫︎国引神話によって、出雲と新羅は「直接の」つながりかあることがわかる。50年前は大和国家中心主義に毒されていたので受け付けてくれなかった(石母田正を、著者はかなり嫌っている)。
    ⚫︎筑紫の宗像氏と出雲豪族は緊密な関係があった(日本書紀崇神60年)。出雲の息の根を止められた事件は、おそらく3-4世紀。

    ◯第2章「海の道を行く 出雲・伯伎・稲羽」
    ⚫︎出雲文化圏は、のちに国家となってゆくような権力的な集団というよりは、交易や流通を通してつながるネットワークの拠点の一つとして存在したのだろう。
    ⚫︎スクナビコとカムムスヒ。古事記によると、スクナビコは美保の岬を目指して、東の方からやってきた。母はカムムスヒ。古事記冒頭では、カムムスヒは高天原にいて、海の彼方にいるはず。スクナビコは海の彼方の常世の国から来て常世の国に行ってしまうという構造。それはユートピア化された国では無く、根源なる母なる世界と考えられていたようだ。その信仰の中心にあったのはカムムスヒ。祭神としている神社は、現在イザナミを祭る神魂(かもす)神社(松江市大庭町)と思える。その娘、キサカヒメが加賀潜戸で佐太神社大神を産んだ。
    ⚫︎ヤマト王権にとり、時に祟りをなす恐ろしい神、出雲大神(オホクニヌシ)を擁する出雲は蔑ろにできなかった。つまり祭祀では、切り捨てられなかった。それが古事記に繋がる。

    ◯第3章「神や異界と接触する 但馬・丹後・丹波」
    ⚫︎タヂマモリの異界への旅を、本拠地である多遅摩(但馬)からの船出として想定すると、昔話「浦島太郎」の原話にあたる古代の浦島子物語が、丹後国風土記(逸文)にあることに思い至る。(略)舞台になった丹後が、異界に近づくことのできる場所と認識されていたのだろう。その場所が、最先端をいく物語の出発点となるべき、モダンな場所でなければ、こういう物語を発想することはできなかった。だからこそ、漁師ではなく、容姿端麗な風流人である浦島子という主人公でなければならなかった。

    ◯第4章「境界の土地をめぐる 若狭と角鹿」
    ⚫︎大島半島に固有の社殿を建てないで神を祀る形態は、ヤポネシア全体に広く存在したと考えられるのではないか?巨木のしげる杜を祀るのは、沖縄の御嶽(うたき)、奈良の大神(おおみわ)神社、諏訪大社上社本宮など。
    ⚫︎福井県敦賀市の気比の松原において、のちの仲哀天皇の御子は、浜で御祓ぎをして穢れを落とすとホムワダケとなって都に凱旋し、母オキナガタラシヒメに迎えられて即位する。角鹿の仮宮での籠りと浜での禊ぎは、王の誕生儀礼ということになる。角鹿でなされたのは、ヤマト王権にとって、政治的にも経済的にも重要な場所だったからだろう。

    ◯第5章で、越前・越中・能登、◯第6章高志と諏訪、出雲は簡単に済ます。特筆したいのは、出雲大社東方約200mにある命主社の背後の真名井遺跡から寛文期(1665-71)に出土した勾玉は糸魚川翡翠であり、武器形青銅器は北九州産。どちらも海に舟を用いて運ばれたとみられる。また、五世紀の古代朝鮮・新羅の王族の墓から穴玉や王冠を飾る勾玉など、多量の翡翠製品が出土している。

    ◯終章 国家に向かう前に
    ⚫︎ヤマト政権が成立する前は、吉備と出雲が先行して王権的な世界を作ったという説を紹介した後、「もし」それらがヤマトに屈することなく吉備・出雲・筑紫が存在し続けていたらどうなったか?その時は、それぞれの国の戦乱と統一の繰り返しが行われただろう。
    ←私もそう思う。だから、(私の説だけど)吉備が率先してヤマトと共に西日本統一を目指したのは、(中国・朝鮮大陸の状況を見据えた)正しい選択だと思う。しかし、そのことで吉備の仲良し国だった出雲を始めとするヤポネシア表玄関は、やがて山陰地方というイメージを植え付けられていくようになる。1800年前に、吉備と出雲の間で、ヤポネシアの未来について、歴史的な激論があっても、決しておかしくはない。
    ⚫︎ヤポネシアの表通りを歩いてみると、筑紫にも出雲にも八上にも、但馬・丹後、若狭にも、角鹿(敦賀)にも能登にも奴奈川にも至る所に拠点と言える土地があり(略)それぞれが対等なかたちで向き合っている(略)そこには地形的に恵まれた大小のラグーン(潟湖)があり、それぞれは海の道で繋がれている(略)少なくとも、律令国家が介在する以前はには、陸の道の痕跡はほとんど存在しないとみていい。
    ←海の民族にとって、統一国家という概念すらなかった。そして、おそらくヤポネシアにはあまりにも豊かな「神話文化」があり、武力的に出雲を征服しても、神様の出雲参りを止めることは出来なかった。なんと2000年間、出雲の権威は落ちなかったのである。(←私の妄想)

  • 『「海の民」の日本神話 古代ヤポネシア表通りをゆく』三浦佑之著 | レビュー | Book Bang -ブックバン-
    https://www.bookbang.jp/review/article/717453

    前篇 旧石器時代からいた「海の遊牧民」 | 三浦佑之×安藤礼二「海の民、まつろわぬ人々――。」 | 三浦佑之 , 安藤礼二 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
    https://kangaeruhito.jp/interview/180249

    三浦佑之 『「海の民」の日本神話―古代ヤポネシア表通りをゆく―』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/603872/

  • ヤマトがもとになって日本が一つの国になっていく前の、海を隔てて大陸に直面した日本海側を表ヤポネシアと捉え直してゆく。そこには結果的に日本の中央となるヤマトとはまた別の人々が、海を通じたさらなる別の人々とのつながりの中で生きていた。
    古事記をもっとよく読んでみたいと思った。

  • 日本列島を逆にみた「逆さ日本地図」を見ると、日本海が内海であり、大陸との関係が全く異なって見えることにいつも驚く。
    本書も序章で「逆さ日本地図」を掲載し、古来は日本海側がそれぞれの地域同士のつながりや大陸との交流が盛んな「表通り」であったという。
    固有名詞が延々と続くあたりは斜め読みになってしまったが、古事記・万葉集を引用しながら、北部九州から北陸まで順にたどっていくと、普段馴染んでいるヤマトからの見方とは異なった古代日本の姿が理解できる。
    中央集権国家ができる前にこのような世界があったことが、とても生き生きとして豊かなことに思えた。

  •  ヤマト王権が確立する前後に、九州から北陸にかけて活発に活動していた海の民たちの交流を、神話や痕跡から読み解こうとする本。
     日本地図を回転して見ると、大海原が広がる太平洋側よりも、すぐ目の前の大陸に面している日本海側の方が昔から異国との交易が盛んで、文化や人間の交流があったのはあたり前だということにまず気づかされる。

     著者は、この日本海側の古代の「表通り」に焦点をあて、各地の神話や伝承・出土品に残るかすかな痕跡から、ヤマト王権ができる前にいかに多くの拠点が興隆していたかを探っていく。
     九州北部の筑紫から始まり、出雲、丹波、若狭、能登と北上しながら各地に栄えた拠点の姿を再現し、再びぐるっと出雲に戻ってくる。オホナムヂやヌナガハヒメなど神話に書かれた神々の行為に隠された真実、各地の地形や遺跡に残る手がかりなどから、出雲と能登、筑紫と諏訪といった距離的に離れた点と点が結ばれ、思わぬ共通点があぶり出されていく。
     残念ながら、日本列島を支配したヤマト王権によって各地の豪族たちの痕跡は抹消されてしまい、著者の想像力で補完せざるを得ない部分が多いのだが、かつての表通りに根付いていた海の民たちの再現は非常に興味深かった。

  • 古代の日本海をヤポネシア表通りととらえて、古代の文字資料や考古学・歴史学などの成果を踏まえ、その文化的なありようを模索した本です。日本列島をヤマト中心に国家から考えるという大方の古代研究者の保守性に反旗を翻し、外から、別の世界から、飲み込まれた場所から、いくつもの場所から日本列島人と日本列島を考えてみようとしました。国家に向かうという単一の方向だけではなく、この列島には国家に抗する社会や集団がいたのではなかったか、それが私の古代認識を支えているように思います。そのような立場で、古代の日本列島を考えようとしました。

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著者プロフィール

千葉大学名誉教授。1946 年、三重県生まれ。『古事記』を中心に古代文学・伝承文学に新たな読解の可能性をさぐり続けている。共立女子短期大学・千葉大学・立正大学等の教員を歴任し、2017年3月定年退職。著書に『浦島太郎の文学史』『神話と歴史叙述』『口語訳古事記』(第1回角川財団学芸賞受賞)『古事記を読みなおす』(第1回古代歴史文化みやざき賞受賞)『古代研究』『風土記の世界』『コジオタ(古事記学者)ノート』など多数。研究を兼ねた趣味は祭祀見学や遺跡めぐり。当社より『NHK「100分de名著」ブックス 古事記』を2014年8月に刊行。

「2022年 『こころをよむ 『古事記』神話から読む古代人の心』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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