- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106108327
感想・レビュー・書評
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深掘るべき点に尻捲って逃げ過ぎ、付き合いきれん
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【目次】(「BOOK」データベースより)
序章 なぜ君主号を考えるのか/第1章 「皇帝」/第2章 多元化する「皇帝」/第3章 西洋/第4章 日本の君主号と翻訳/第5章 世界史の転回ー近代日本と東アジア/終章 現代世界の君主号 -
看護を使うのが専門なのか知らないが、見たことのない言葉の使い方が出てくるので読みにくい。無駄にヨーロッパが長いし、編集は手を入れようとは思わなかったのか?
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[評価]
★★★☆☆ 星3つ
[感想]
序章で読むまで気にもしなかったがエリザベス女「王」の皇嗣がチャールズ「皇」太子と記述される事は言われてみれば、変だ。
内容としては東洋で「皇帝」という言葉が生まれ、多元化する歴史に西洋における「皇帝」に対応する君主号がどのように生まれたのか、最終的には日本の君主号がどのように生まれ、諸外国に伝える場合にどのように翻訳されたのかが解説されており、興味深い内容だった。 -
東2法経図・6F開架:209A/O42k//K
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多元統合の統治者を表し、王よりも格上、という皇帝の一般的なイメージは、少なくとも始まりの始皇帝以来の中国では概ね正しかったようだ。もっともそれを自称しても内実が伴っていたかは別で、中国での小国分立時期に各統治者が皇帝を自称していたり、ナポレオンは「フランス人の皇帝」を名乗ったり。
一方日本では皇帝と王の区別が曖昧。明治初期、条約を結んだ外国の君主は一律に「皇帝」と称することを決めている。足利時代と江戸時代には、朝鮮との関係を仲介する対馬藩が国書上で将軍の呼称を「日本国王」「大君」などと偽装して取り繕っていたのだが。