- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106108358
感想・レビュー・書評
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「人生百年時代]とは言え、「老い」は誰にとっても最初にして最後の道行き。〝メメント・モリ (死を忘ることなかれ)〟いつか訪れる最期を意識しつつ、巨匠・筒井康隆氏(1934- )が 「美しい老人の生き方」を開陳した12章の老人論。・・・死とまともに向かい合うのが不愉快なあまり「死ぬのは嫌じゃ」と周囲にわめき散らして、醜態をさらけ出すことは「最も美的でない老人の死に方」であると一刀両断・・・長生きして老衰で「まるで眠るように死んでいく」ことを念じる筒井康隆氏、知恵の泉の一端を披露。
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【正解ではない年功序列】
老人はおとなしくできない。
経験のない人たちがあーでもない、こーでもないと悩んでいると口を挟まずにはいられません。
お年寄りは自己の存在価値を承認してもらえる唯一のことが「先行で経験している」しかないからです。
「ここにいるみんなはまだ経験していないことかもしれないが、俺はすでに経験済みでその結末がどうなるかを知っている」
これがあるから年配者はみんなから必要とされ、自己の承認を得ることができるのです。
逆にそれしかありません。
しかし、最近は時代の変化が速すぎて過去の経験がすぐに陳腐化し正解でなくなってきているのです。また、情報共有が進んでおり調べればすぐにそこそこの答えが出てきます。
老人にとってこれはかなり苦しい状況です。
・過去の経験が役に立たない。
・既知の情報が固有のものでない。
・新しいことを貪欲に取り込んでいくパワーはない。
・若者ほど行動力がなく変化に弱い。
こうなると生きている間はなんとか既得権を固持するしか道はありません。
しかし、著者が考える老人は異なります。
美学があります。
・年老いたものが出しゃばって前にでない。
・昔の同僚(現在現役)にこちらから近づかない。
・不潔にならず孤独を楽しむということです。
これらは「清く引退する」ということに尽きるのではないかと感じました。
いつまでもしがみついてはいけないのです。
人は孤独が一番つらいように感じます。
デンマークでは福祉が充実しており老後の経済的心配がありません。男女間の差もありません。年老いて夫婦が離婚しても女性が生活に困ることもありません。
その結果、晩年の離婚は増え一人暮らしの自殺者が増加しました。
社会から孤立して何年も話をする相手がいない状態は想像を超えて苦痛を伴うものだと思います。
今はSNSがあるのでスマホやパソコンが使える間は、仮想空間ですが人とのつながり感を持つことができる時代です。
加速度的な技術の進歩により、将来的には話相手ロボットができ、他愛もない話を永遠にできる時代になるかもしれません。 -
帯に「最初で最後、最強の人生論!」とあったのだが、そこまで肩肘張っておらず、ライトなエッセイ。
(ご本人も「後記」で「語るべきテーマはまだまだある」と書かれているし、「最後」というのは言い過ぎでは…)。
「敵」「わたしのグランパ」「愛のひだりがわ」といった筒井作品の内容にも言及があるので、お好きな方は是非。
・・・
と、ここまで書いた後、Wikipedia を見て知ったのだが、この本が出た翌年、ご子息の筒井伸輔氏が亡くなっている。この本の中に、「菅原文太さんのは交通事故で一人息子を亡くしている。もう七十歳近くだったから、これはずいぶんつらかっただろう。小生にも一人息子がいるから、それがどれだけつらいことか、いやというほどわかるのである。」と書いてあったのを読み返し、なんともやるせない思いである。 -
熱狂的筒井康隆愛読者もしくは筒井康隆命の私は、筒井康隆の本とみれば再販だろうが文庫本だろうが、何だって手に入れなければ気が済まない性分ですが、この本は購入してまだ未読。
それより何より、さすが筒井康隆という一文を見つけて、思わず溜飲を下げる思いがしました。
わが筒井康隆の見事な見識ある意見は、チュートリアルの徳井義実の問題についてで、web上の 笑犬楼大通り 偽文士日碌 というサイトにありました。
「チュートリアルの徳井義実の件でホリプロより連絡あり。放送日が変更になる。徳井君出演回はどうやら放送中止となるらしい。なんてことだ。
別段誰かが死んだわけでもなければ泥棒をしたわけでもないし、税金も追徴課税を含めてすべて払っておる。徳井義実に代る才能はないぞ。
誰が責任を取るんだ。不寛容社会になってきたなあ。」
さすが お見事!筒井康隆! -
筒井さんの作品の主人公を通しての老人の生き方の美学のエッセイ。その作品を読もうかな。
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言葉を噛んでしまう。言い間違える。同じ事を二回言いがち。物覚えが悪い思い出せない。忘れ物はするなといってもする。この症状はすでに自覚しており、ああ家族や他人様の迷惑にならぬ様留意しよう。とは言えども現実は容赦無く私に試練をくだす。ままならぬ。そこで怒り出すと尚立場が危うくなる。はたから見れば八つ当たりして大人気ないじゃん誤解だ己に腹が立っているんじゃと言い訳も通用しなくなり冤罪じゃ私は無実なんじゃと弁解しても頑固爺の烙印を押される顛末を迎えようとしている。ならば、この本を読んで処世術の一つとして美学を確立しよう。さすれば、おじいちゃんという暖かさが伴う受け皿が待っているかもしれぬ。なに決して忖度ではないぞ勘違いするな馬鹿者。おやおやまだまだ未熟。
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美学の前に、とにかく元気でいることが大事だと思った。特に、精神的に。
老人であることの長所短所を理解してうまくやる。そういうことかな。 -
引用される『敵』『わたしのグランパ』は既読だったが、第七章で扱う『愛のひだりがわ』は未読なので、先にそちらを読む。
ビストロで若者たちから「作家ですよね」「どんな作品を」と訊ねられ「ま、『時をかける少女』とか」で、全員が「ええーっ」。『時をかける〜』が代表作になってしまったのはファンとして忸怩たるものがある。他に傑作・名作・問題作が犇めいているのに……。
「メンズ眉墨で眉を濃くしている」というのは、俳優でもある著者ならではの身だしなみ。あやかりにくい。
「長生きすれば老衰で死ぬことになり、その方が『まるで眠るように死んでいく』ことができるのだから、こんなありがたいことはない」。こちらはあやかりたい。