これでよろしくて?

著者 :
  • 中央公論新社
3.67
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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120040573

作品紹介・あらすじ

上原菜月は38歳。結婚生活にさしたる不満もなく毎日を送っていたのだが…。とある偶然から参加することになった女たちの不思議な集まり。奇天烈なその会合に面くらう一方、穏やかな日常をゆさぶる出来事に次々と見舞われて-。幾多の「難儀」を乗り越えて、菜月は平穏を取り戻せるのか!?コミカルにして奥深い、川上的ガールズトーク小説。

感想・レビュー・書評

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  • 家族になれない嫁。当事者にならない夫。心当たりありありのあり。それでも今を続ける、そしてそれはとてつもなく体力のいる事なのだよなー。

  • 同好会のおしゃべりが居心地良くて好き。
    私もおほほほって笑いたいなあ、。

  • いきなりですが本日の『議題』を説明しますね。はい、そこの貴方!勝手に逃げちゃダメですよ!

    ・議題その一『社会人の息子は独り暮らしをしています。先日息子の部屋に久しぶりに出向きました…当の息子はいなくて、かわりに息子の友だち某君と見知らぬ女の子が寝ていました… こんな時、どういう態度をとるべきでしょうか』。

    えっ!はっ!意味不明ー!という声が聞こえました。でも問答無用で進めます。次の『議題』です。

    ・議題その二『三十代男性です。妻には面と向かって言えませんが、野菜の切り方が大きすぎます。ことに問題なのはきんぴらです…どうしたら妻に言いだせるでしょう』。

    もしかして私のこと?と思った貴方!せっかくですから今夜ご主人との会話のきっかけにしてみてはいかがでしょうか?では、最後の『議題』です。

    ・議題その三『義理の母の独り暮らしの家に、夫と二人で帰省しました。お風呂に入る順番は、どうすればいいのでしょう』。

    あっ!それ、困ってたんです!どうしたらよいかわからなくって…だからついつい足が遠のいちゃって…という声が聞こえましたね。

    はい、どうでしょうか?なんじゃそりゃ?と上記した三つの『議題』を見て他人事に思った方、うんうんと頷いた方、そして意見をしたくなった方、それぞれの『議題』について色んな思いを抱かれたと思います。そう、一つの事ごとに対しても、人それぞれの立場から色んな反応が、違った反応が生まれるものです。上記の『議題』=悩みごとは、当事者にとっては悶々と苦悩する大きな関心事です。しかし、第三者的に、他人として見ればあまりに些細でどうでも良いことでもあるかもしれません。しかし、そうであるからこそ逆にその事ごとに的確な指摘ができる可能性もあります。”三人寄れば文殊の知恵”とも言います。一人で抱えていても解決できない問題はみんなで話し合ってみることで、思いもよらない視点が生まれる可能性だってあり得ます。

    さて、ここにそんな風にみんなで一つの事ごとをあれや、これやと好き勝手に言い合うことを活動目的とした『同好会』があります。『これでよろしくて?同好会』、なんだか意味不明なその会が、読後には、私も入会してみたい!と考え方が一変することうけあいのその『同好会』。

    この作品はそんな『同好会』に入会した一人の女性の物語。夫と二人の平穏な暮らしの中に、いきなり義理の母が押しかけてきて生活が一変してしまったという一人の女性の物語。そして、それはグダグダとした思考から抜け出せないその女性が『同好会』の活動の中から何かを掴んでいく様を見る物語です。

    『最初にその女のひとを見たのは、フローリスト木村の店先だった』と、『歳のころは五十代後半』という女性のことを思うのは主人公の上原菜月(うえはら なつき)、37歳。夫の光(ひかる)、39歳と結婚して『もうすぐ六年めに入ろうとしている。子供は、いない』という菜月。『その女のひと』が気になるのは『ものすごく、じろじろ見るひとだった』というその理由。『あんまりじろじろ見られるので、いたたまれなくなった』という菜月。『もしかすると、立原病院に誰かのお見舞いに来たひとかもしれない』と考えていると『インフルエンザの予防注射』を忘れていたことを思い出して『立原病院に行くことに』しました。『思いついてすぐに行く。こういうことができるのが、子供を持っていない、かつ介護もまだ始まっていない主婦の役得だ』と感じる菜月。しかし、『立原病院は混んでいた』という状況を見て『気を挫かれ』て帰ることにした菜月は、診察券を財布に戻しながら『わたしのお財布って、一生こんなふうにぱんぱんなのかな』とカードやレシートで厚くなった財布を見つめます。『ものごとを片づけられない自分の人生の象徴のような気が』したという菜月が『顔を上げると、さきほどフローリスト木村で会った女のひとが目の前に立って』いました。『あいかわらず、わたしをじろじろ見ている』と思いながら歩き出した菜月。そんな時『菜月さんでしょう』と『うしろから声をかけられて、びくっと』した菜月に『土井です』と名乗った女のひと。『聞き覚えのある名字だ。でもすぐには思い出せない』という次の瞬間、『土井優。結婚前につきあっていた男の子だ。この女のひとって、土井くんのお母さんだ』と思い出します。そして『身構えた』菜月に『優はまだ独身なの』と話す土井母に、『どうすればいいんだ』と思う菜月。成り行きでドーナツ屋に連れて行かれた菜月は『ねえ菜月さん、どうして優と別れたの』と訊かれ『ふられました』と答えます。『好きな女の子ができた』と言われたあの時を思い出す菜月。そして続く会話の中で『ねえ、菜月さん、あたしの入ってる会に、一緒に来てみない』と言われ『名刺大のカードを』受け取ります。『これでよろしくて?同好会』と書かれたそのカードを渡して『にこにこ笑っている』土井母。そんな土井母は『ねえ菜月さん、あなたカラオケで音程が合わない時、どうする』と唐突に訊きます。『自分の声に伴奏を合わせるの、なんだか、ためらっちゃうでしょ』と続ける土井母。そして店を出て行った土井母を見送りながら改めてカードを見た菜月は裏側に『携帯電話のナンバー一行だけが、そっけなく印刷されている』のに気づきました。一週間後、思い切って電話し、初めて『同好会』の会合に出た菜月は『議題その一。社会人の息子は独り暮らしをしています。先日息子の部屋に久しぶりに出向きました…当の息子はいなくて、かわりに息子の友だち某君と見知らぬ女の子が寝ていました… こんな時、どういう態度をとるべきでしょうか』と土井母が文章を読むのを聞いて『度肝をぬかれ』ます。そして、そんな『同好会』の活動を続ける中で『しっかりこの手でつかまなきゃならないのは』何かということに菜月が気づくことになる物語が始まりました。

    唐突に「これでよろしくて?」という疑問文の書名がつけられたこの作品。人は疑問文を突きつけられるとその答えを出さないとどうにも気持ちが落ち着かなくなります。私がこの作品を読むことにしたのも書名を見てしまって落ち着かなくなってしまったからにほかなりません。そんな『?』がつく小説として私が読んだものに綿矢りささん「かわいそうだね?」があります。それは、その言葉を発する心の内を捉えていく中で自分自身の考え方が整理されたとても印象的な作品でした。しかし、両作の書名の『?』には明確な違いがあります。綿矢さんの書名がある意味で同意を求めるのに比べて、川上さんの書名は自分自身の行動・行為、それがもたらす結果を踏まえ、その判断の正否を訊く言葉でもあり、余計に興味が惹かれます。そんなこの作品は、
    ①主人公の置かれている境遇が読者に提示される
    ②”①”の日常を変える起点となる人物・場と出会う
    ③主人公の日常に起こる事ごとを、”②”を通じて第三者的に見る事で主人公が何かを掴んでいく
    という、俯瞰すればこのような内容の作品です。全編を通して主人公・菜月視点で展開しますが、読んでいてイライラするほどにその文章は読みづらく感じます。それが、『すぐにわたしの考えは横っちょにずれてゆく』と菜月が認識しているそのままに、菜月の視点は、あることについての話題だったはずが、作品の骨子からはどうでもいいような話題にあっちこっちと飛び跳ねながらくどくどと展開していくという作りになっているからです。一例をご紹介しましょう。『きれい好き』の夫に『物はちゃんとあるべき場所に置くこと』と指摘されて菜月が片づけをする場面です。

    『わたしは腰をあげて、散らばった新聞や飲みさしのコーヒーマグやさっき脱いで部屋の隅にそっと置いておいたくつした - ごはんの支度をしているうちに暑くなったから脱いだのだけれど、食後じっとして寒くなったら履こうと思っていた - を、そそくさとかたす』

    わかるでしょうか?『くつした』の箇所です。『-』で囲まれた部分は、部屋の隅にあった『くつした』を”which”で繋げて説明している箇所です。物語的にはどうでもいいと言えるこの説明。このような余計な説明が乱発されるのがこの作品の文章表現の特徴です。また、上記した菜月の財布を厚くしている中身についても『硬いカード(銀行のキャッシュカードやスイカや立原病院の診察券)…』と細かく何行にもわたってその説明がなされます。これも、そんな細かいことどうでもよくて…と感じさせます。しかし、視点の主が菜月である限り、菜月の思考回路から抜け出して読者が物語を勝手に進めることはできません。そして、極め付きは『夕飯にカレー』と話題が出ての展開です。カレーにするならそれでいいじゃないかと思うのに、『一般的には、週に一回か。二回は多い、ような気もする…』から始まって『市販のルーを使わないカレーは、回数に入るのか…』とか、『ホワイトシチューとのかねあいは…』といったようにグダグダと、正直どうでもよい話が延々と続いて、物語がなかなか前に進んでいきません。『お願いだから、あっちこっちに飛んでいかないでくれ』と夫の光によく言われるという菜月。そんな菜月の思考のありようが文章表現という形で読者にダイレクトに伝わってくるこの作品。『知らない間にわたしはどんどんいろいろ連想してしまう』とそんな自身を理解し、『最初に考えていたことは、いつのまにかどこかにみえなくなっている』という問題点を認識もしている主人公の菜月。そんな菜月の人生が『これでよろしくて?同好会』での活動を通じてどのように変化していくのか、菜月視点だからこそ、読者はそれを文章表現を通じて体感していくことができます。自身の生き方に悩む主人公が何かを見つけていく、という作品は数多ありますが、文章表現を通じてその感覚を読者に体感させていく作品というのは私には初めてです。読書を終えてみて、読書中イライラさせられたその表現の意図に気づき、この作り、上手い!、と感激しました。

    そんなこの作品は『これでよろしくて?同好会』という会の存在がキーになっていきます。”これでいいですか?”という言葉に比べて、”奥様感”が増しているだけでなく、より訊かれた側の判断の是非を問いかけるような独特な言葉が『同好会』の名前というその不思議感。そんな『同好会』では、上記したような何らかのシチュエーションを元にした『議題』が出され、もし自分だったらその状況にどう対応していくか、ということを参加メンバーであれやこれやと言い合うというなかなか面白そうな場です。その『議題』は上記したものの他、
    『四十代男性です。妻の漬物の切りかたが細かすぎます…長年ずっと言いつづけているのですが…どうしたらいいのでしょう』
    と思わずクスッとなりそうな細かいものから、
    『長年連れ添って好みをのみこんでいるはずなのに、いまだに母は父の好まない服を買ってきます。そのうえ、服が好きでないと父が言うと、母は怒ります。どうしたらいいのでしょう』
    など、う〜ん、子供としては見ていて辛いよね、と思うものまで多種多彩です。そんな『同好会』の活動を当初は訝しがっていた菜月も、やがて『わたしはこの意味のわからない、いかにも非生産的な会合に、いつの間にやら易々となじみはじめているのだった』と変化を見せていきます。

    その一方で主人公の菜月には、試練が訪れます。義妹の『郁が「ママン」と呼ぶ義母が、やってきた』と、光と菜月が二人で暮らすマンションにいきなりやってきた『ママン』。『菜月さん、特別なお客だって、思わないで』とやってきた『ママン』の登場によって菜月の生活は一変します。『光のいない昼間も、光のいる夜も、わたしと「ママン」は、熱愛状態の新婚夫婦のように、べったりと一日じゅうくっついている』という生活を送らざるを得なくなった菜月。『いったいいつ、「ママン」は自分の家に帰ってくれるの?』と終わりの見えなくなった日々を嘆く菜月。そんな菜月は悶々とする思いを『同好会』の面々に話します。まるでそれが一つの『議題』であるかのように。しかし、面々にとってはあくまでそれは多々ある『議題』の一つに過ぎず、それぞれの立場から意見が出されます。

    人はそれぞれに何かしら悩みを抱え、何かしら不満を抱え、そして何かしらモヤモヤした思いを抱えながら生きています。しかし、どこまでいってもそれはその人個人のことです。似た境遇にいても、例えば夫婦であっても、その捉え方は一様ではありません。自分の問題は自分が解決していくほかありません。しかし逆に言えば、自分以外の人は自分よりも冷静に、少し離れた位置から物ごとを見ることができます。この作品に登場した『これでよろしくて?同好会』は、まさしくそんなモヤモヤとばかりした菜月の人生に一つのきっかけを与えてくれる場でもありました。『人と会うことがわたしたちを変え、人と別れることがわたしたちを変えてゆく』、そして『変わりたくなくとも、変わるつもりがなくとも、情け容赦なく、わたしたちは変えられてゆく』という人の人生の有り様に気づいていく菜月。くどくどと同じ場所をいつまでも巡り続ける菜月視点の物語が、『それでいい。それでいいんだ』と、極めて前向きな、清々しいまでに前向きな視点に変化していく結末に、「これでよろしくて?」という書名に対する一つの答えが浮かび上がるのを感じました。

    『人と関係をつくるのは、実際、ひどく難儀なことなのである』という通り、私たちは、『仕事の場』で、『友だちとの関係』で、そして『家族関係』で、人間関係を円滑に回していくことに日々心を砕いています。自分が正しいと思ったことであっても必ずしも相手が同じように捉えてくれるかは分かりません。その逆だって同じことでしょう。でも、だからといって私たちはそのことを諦めてはいけません。逃げてはいけません。この作品の主人公である菜月も色んな人との関わり合いの中から彼女なりに前を向いて歩いていくための答えを見つけることができました。『いろんなことに立ち向かってみよう』と顔を上げる菜月の姿を見るその結末に、”それでいいよね”、と清々しい気持ちで頷きたくなる、そんな作品でした。

  • 嫁姑にまつわるあれこれは、絶対いやな思いをするものなので読むのもしんどい。でも、「これでよろしくて?同好会」が面白くて読み進められる。多くの人は、わかりやすく大変なわけではないないかもしれないけど確かに大変な思いをしていて、救われる場所が必要なんだろう。終わり方がとても好き。

  • 夫婦・嫁姑問題について。川上弘美の描く若い嫁はどこかぼんやりとしている。

  • 二度目のはずなのに、小気味いい会話に笑ってしまった。

    なぜかこの小説の作者を別の人だと長いこと勘違いしていた。
    (で、その別の人の作品をたくさん読んで、「あれー?会話がおもしろい小説をかく人だと思っていたのになあ?」とがっかりしていた)

    川上弘美さん。これからしばらく読んでみようと思う。

  • ちょっと読んだ人少ないじゃん!めっちゃ面白かった。思わず吹き出しちゃうとこも。この作者の本で一番面白かった。って何冊も読んでないけど。何かの本の後ろのとこで紹介されてたもの。これでよろしくて?同好会はすごくいい。参加してみたい。こういう友達というか、どういうつながりかよく分からない、でもしっくりなじむ会、というのは素晴らしいと思う。ほんと土井母はどうして菜月を誘ったんだろう。しかし夫婦は大変だと思う。知らない人とも家族にならなきゃいけないんだから。やっぱ結婚しなくて良かったと思う。

  • 主人公よりママンの方を身近に感じながら、ママンを、身近な人に重なるかなどうかなと思いながら読んだ。嫁からどう見られるかの参考にしているようだった。

  • 菜月は何につけても我慢しすぎ。関係を悪くするのを恐れるあまり、苦情も言えないし、傷ついたということを伝えることもできない。嫌なことを無理にポジティブに考えて自分の心を抑え込んでしまう。こういう人っているんだよね。つぶれなければいいけど。
     そんな菜月に気づいて、土井母は「これでよろしくて?同好会」に誘ったのかな。

  • じわじわ効いてくる。
    結婚って?家族って?夫婦って?
    もやもやとした、誰にも言えない様な些末な問題について主人公が徐々に自覚し、解決への見解を見付ける物語。

    ★気に入ったフレーズ…

    時が場所を移る事が、人と会う事別れる事が私達を変え、変わりたくなくても変わるつもりがなくとも、情け容赦なくわたしたは変えられていく。

    今いる私はもう結婚前の私じゃないんだ。彼と恋愛をしていた頃の私でもない。1年前の私ですらない。今ここにいる私は、今だけの私。

    人間は変わっていくもの。しっかりこの手で掴まなきゃならないのは、過去や未来でなくて今現在、のこの生活。

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著者プロフィール

作家。
1958年東京生まれ。1994年「神様」で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞しデビュー。この文学賞に応募したパソコン通信仲間に誘われ俳句をつくり始める。句集に『機嫌のいい犬』。小説「蛇を踏む」(芥川賞)『神様』(紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞)『溺レる』(伊藤整文学賞、女流文学賞)『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞)『水声』(読売文学賞)『大きな鳥にさらわれないよう』(泉鏡花賞)などのほか著書多数。2019年紫綬褒章を受章。

「2020年 『わたしの好きな季語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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