- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121009425
作品紹介・あらすじ
1928年6月4日、関東軍最高級参謀の河本大作ら急進派がしかけた国際謀略・張作霖爆殺事件は、そのまま連続して柳条湖鉄道爆破事件の開戦謀略につながり、満州事変、日中戦争、アジア・太平洋戦争へと日本の破滅の道の第一歩となった。日本帝国の天皇は統帥大権を保持する大元帥であり、軍は勅命なしの軍事行動は絶対に許されない「天皇の軍隊」であった。それにもかかわらずなぜ軍部は独走したか?天皇の統帥権を検討する。
感想・レビュー・書評
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事件後の日本国内での処理過程を中心とした本。前半では、陸軍内での2つの反「田中・長州閥」グループを挙げる。1つは上原勇作率いる薩摩・佐賀派、もう1つは二葉会・一夕会のエリート中堅幕僚層だ。
後半は統帥権独立と天皇自身について。元老西園寺や岡田海相は真相公表派の一方、他の複数の閣僚や平沼など枢密院多数は反対派。田中首相の孤立が進む中、非公表への最後の一撃は白川陸相辞職の動きだったようだ。これを前提に著者はまず、統帥権独立は明治憲法に規定されていたわけではなく、帷幄上奏権や陸海軍大臣現役武官制の確立などにより、明治憲法からの逸脱で作られた制度だとする。
その上で、天皇は統帥権者なのに、田中首相を叱責する一方で参謀総長には真相究明の捜査を命じることなく、結果的に陸軍を免責したことを著者は批判する。そして、満洲事変までの一連の連続した過程の最大の原因は天皇のこの不作為であり、天皇は「軍部の横車」を激しく加速した、と結論付ける。本書出版は1989年であり、天皇の戦争責任論が再燃していた頃だったのだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1989年の改元の時に著された本。天皇陛下の戦争責任という重いテーマに対して制度面から論理的に演繹することを試みている。言いたいことは理解できたが、冷静な論述であるからか、心に響いては来なかった。
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本書は、1928年(昭和3年)の「満州某重大事件」ともいわれた「張作霖爆殺」事件前後の詳細な考察書であるが、「昭和天皇」や「田中義一総理」そして「軍部」や当時の「国家システム」をも分析した秀逸な本であると思った。
「昭和天皇」が田中義一総理を批判して内閣倒壊に追い込んだことや、「昭和天皇」が後に「独白録」でその事実を「若気の至りであった」と回顧していることは広く知られているが、当時の複雑な「軍部」との関係にも踏み込んだ本書は、読み応えのある迫力に満ちている。
本書では当時の「軍部」が「大陸政策」をはじめとする国家政策に強大な影響力を行使していることが明らかにされているが、シビリアンコントロールが当然とされる現代から見ると、なんとも違和感が残る。
本書では、「天皇がかけちがえたボタン」として軍事的君主としての「天皇」に批判的な考察を展開しているが、これはむしろ、「明治国家システムの欠陥」であって「昭和天皇」の責任とするのはちょっと酷ではないかとも感じた。
本書によると「昭和天皇の皇位継承」をいろどった事件は「昭和金融恐慌」「張作霖爆殺事件」「治安維持法改悪」であったとある。なんとも「暗い時代」である。
本書を読んで、この時代には日本はもはや昭和20年の敗戦による「大破綻」は避けられない道に踏み込んでいたようにも思えた。だとしたらば、日本の「ポイント・オブ・ノーリターン」はもっと前の時代に遡らなければならないのだろう。
本書は、この時代をよく知ることができる良書であるが、読後感はなんとも暗く重い。
本書では、当時「陸軍」が「陸軍のためであり、国家は眼中になかった」という愚かな組織であったことを突きつけられるように確認できるが、「国家としての利益」よりも「所属組織」に忠誠を誓うこの人々のあり方はひょっとしたら現在でも同じかもしれないとも思えた。