考えることの科学: 推論の認知心理学への招待 (中公新書 1345)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (186ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121013453

感想・レビュー・書評

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  • 定期的に読み返したい。
    頭の中でうすぼんやりとしていたことに名前がつくとすっきりする、ことがわかった。

  • 1997年が初版で、私が買ったのは2021年8月30日の16版でした。

    心理学の面白い実験がいくつか紹介されていて、興味深かったです。

    いちばん、不思議なのは三人囚人問題で、ヒントを与えられた後のほうが、助かる確率が下がってしまう、という話でした。

  • 「結果に賛成だと、推論過程も正しいと思ってしまう」

    「その行為が無意味である(つまり新しい情報をもたらさない)とき、仮説の確かさは当然ながら高まらない」

    シェマ フレームによる知識表層 スクリプト ボトムアップ

    面白さを「ドラえもん」という漫画に帰する為に必要な条件

    一貫性 テレビでも、映画でも、雑誌でも「ドラえもん」を面白がっている

    合意性 うちの子だけでなく、他の子も「ドラえもん」を面白がっている

    弁別性 他の漫画に比べて、とりわけ「ドラえもん」を面白がっている

  • 私たちが何らかの前提を置いて何らかの結論を得ること、つまり「推論」をするという働きを、論理と心理学の両面から考え直してみようという本。

    推論の働きは、通常、規範的(normative)な科学アプローチから研究される。具体的には、論理学、確率論、推測統計学などである。そして、これが「正しい」答えを導くものと考えられている。

    しかし、われわれの実際の脳の働きはこれらの理論とは異なる構造を持っている。そのため、規範的な科学から得られる結論とは異なる結論を出すことが多い。われわれの脳の推論がどのような構造になっているのかを知るのは、これらの異なる推論の方法の長所と短所を知るためにとても有益である。

    本書では、「論理的推論」、「確率的推論」、「日常場面における推論」という3つの分野に分けて、認知心理学や社会心理学の知見と規範的な科学を比較しながら、この違いを解き明かし、人が「考える」ことの特徴に光を当ててくれる。

    論理的推論との比較では、われわれの日常生活での推論が形式論理とは異なる結論を出しがちであるということはよく知られている。「AならばB」という関係性があるとき「BでないならばAではない」は正しいが、われわれはしばしば「AでないのでBではない」とか「BなのでAである」といった勘違いを起こしやすい。

    確率論的な推計についても同様に、われわれは確率論で計算された結果とは異なる結論を導き出す場合がある。ルーレットで赤が5回連続で出ると、次は黒が出るのではないかと予想したり、ベイズ統計学における事前確率を無視して、ある条件下での事象の生起確率を過大や過少に見積もったりする。

    このような違いが生まれる原因について、本書では主に「スキーマ」と「ヒューリスティックス」という概念を用いて説明している。

    スキーマとは、われわれが会話や文章の理解に際して使う知識体系のことで、認知心理学の中でよく使われる概念である。

    われわれの脳の推論は、形式論理に当てはめて考えるより、何らかの経験や知識に当てはめて結論を出す傾向にあり、この経験や知識がスキーマである。

    実は、形式論理の問題においても、われわれが日常生活でよく触れるルールや環境に当てはまる問題であれば、まったく同形式だがより抽象的であったり馴染みのない形で提示されたりした問題よりも、正答率が高くなる。つまり、われわれは純粋に形式論理の問題を解いているのではなく、スキーマを当てはめながら問題を解いているといえるのである。

    一方のヒューリスティックスは、「発見的方法」といった表現でアルゴリズムの分野で使われる概念である。不十分な情報しかない場合や計算量が膨大になる場合、必ずしも正しい結果が得られるわけではないが、簡便な方法で正しい可能性の高い答えにたどり着くための方法である。

    これに類する概念は、認知心理学の世界でも見られる。確率的な判断を代表性に置きかえて判断すること、検索可能性の高いものを判断材料としてしまうこと、アンカリングといって事前に与えられた無関係な情報に結論が左右されることなどが、例として挙げられている。

    このような推論の方法が、確率的推論とわれわれの脳が行う推論が異なった結果を導く要因になっている。このようなわれわれのバイアスや錯誤は、統計学の学習をすることによりある程度減らすことができる。

    また、形式論理との齟齬も確率的推計との齟齬も、問題を分かりやすい形で図化することによって、ある程度避けることができるとも述べられている。

    続いて、われわれの日常場面における推論の特徴については、知識や感情、他者によって大きく方向づけられるという傾向があると筆者は述べている。

    推論は知識に誘導される。われわれは日常的に何らかのフレームワークに基づいて物事を考えており、適切なフレームワークが見当たらないと、途端に理解が困難になったり、解決策を見いだせなくなったりする。また、物事を記憶する際にも何らかの親しみのあるストーリーや枠組みに当てはめて記憶することで、脳の負担を軽くしている。

    また、推論は感情や他者との関係に左右される。例えば、自己を守りたがったり、期待に導かれたり、他者に同調したりする傾向がある。

    このような推論のバイアスを知っておくことは、自分の判断を見なおすことや、他者の話を理解する際に、早期に微修正を施して、正しい理解の方向へ進んでいくために有益である。

    われわれの脳は、規範的な科学からすると不正確で不合理な形で推論をしているように見える。しかし、これは必ずしも短所ということではなく、社会や環境の中で日々判断をしながら生存していくために作り上げられた必要性の産物であるとも言えそうである。

    われわれが判断をするとき、脳は不完全な情報や情報処理能力の限界に直面しており、その制約の中で何らかの判断をしていかなければならない。また、スキーマやヒューリスティックスに基づく判断は、多くの人に共通の推論形式としてわれわれの社会の中で共有されており、これを踏まえた判断を下すことは、社会的関係を円滑に進めていくことにもつながる。

    一方で、これらの判断が規範的な推論から見ると誤りであることもある。

    本書を読んで感じたことは、一つひとつの判断を規範的な科学と心理学のような記述的(descriptive)な科学の両面で見ることによって、その違いを認識しておくことの重要性である。

    例えば、われわれが他人と交わす会話自体も論理的に発されるわけではない。本書の中でも挙げられているが、学校のクラスで「テストの結果が80点以上だった人は手を挙げてください」と先生に言われて、80点未満であっても手を挙げることは、形式論理的には間違っていない。80点未満であれば手を挙げてはいけないという条件付けは、先生の言葉の中には言及されていないからだ。

    しかし、われわれは日常生活のなかでは、「これは80点以上の人と80点未満の人を分類するための質問である」という認識(スキーマ)の下に、80点未満であれば手を挙げないという判断を下す。これは、社会的に誤った判断とは言えないであろう。

    このように、われわれの行う推論の前向きな意義を認めつつも、そのバイアスや錯誤の可能性を探求していくことが、結果としてわれわれがより良い判断を行っていくために必要な事だろう。

    本書はそういった、「論理的思考」の科学でもなく思考の「心理学」でもなく、その間をつなぐ「考えること」の科学という領域を指し示してくれている。

  • 久しぶりに再読。行動経済学の基礎的な話がきちんとまとまって書かれていて、わかりやすい

  • 読みやすかった。入門的な本。約25年前の著作なので、著者の最新の本があれば読みたいと思った。

  • ○イメージ的に考えることのできる図式表現を使うと、私たちの思考はずいぶん改善される可能性がある。
    ○ヒューリスティックスとは、もともとアルゴリズムに対して使われる用語である。アルゴリズムは必ず正解が得られることが保証された計算手続きであるが、多大な計算量を要することもある。ヒューリスティックスは、常に正解に至るわけではないが、多くの場合、楽に速く正解を見つけられる「うまいやり方」をさし、「発見法」などと訳される。
    ○会話や文章の理解において私たちが使う知識体系は、一般のスキーマと呼ばれている。なじみのない話を聞くと、再生されるたびにストーリーがどんどん変わってしまう。記憶というものは、聞き手のスキーマに適合するように解釈され、変容されていくものである。
    ○社会的な関係の中で推論というものは、さまざまなバイアスをもっている。こうしたバイアスが生まれるのは、私たち人間が、基本的に自分の自尊感情を満たしたいと思っているからではないだろうか。私たちは自分が愚かであると思いたくない。自分の意見が正しいという傍証の一つは、それがより多くの人々に支持されているということだ。あるいは、権威のある人が同じ意見を持っているということだ。だから、私たちはつい同じ態度を持った人と付き合うことになるし、新聞や雑誌で自分の意見に近い論説の方を好んで読むようになる。こうなると、ますます世の中の意見は自分に近いと思い込んでしまう。

  •  人間の判断過程・推論の仕方がどのようなものであるか、を描いた本書。
     私たちの推論やものの考え方というのが、統計学や確率論、論理学などに忠実かというと、そうではない(そうではないからこその、この一冊の本なのですね)。
     それどころか、人間の推論の仕方は、-この本ではいくつかの実験結果が紹介されていますが-、そういった正当・合理的なやり方と比べると随分プロセスが違ったりするわけです。

     「人間は合理的に考える生き物だ」なんというのは、たとえばミクロ経済学などを勉強すると、そんな仮定に出くわすわけですが、上のような事実を踏まえると、「人間は合理的に考える」というのは、どうやら怪しい、ということであります。
     (むろん、議論を進める前提として、そのような仮定や擬制を行うのは意味のあることですし、そういった仮定や擬制をすることがミクロ経済学にとってまずいことだ、といっているわけではありませんよ)
     かといって別に、断じて私たちの推論の仕方(繰り返しますが、これはしばしば合理的な手法にそぐわないことがあります)というのが、とるにたらぬ、出来損ないの機能かというと、それはそれで極論なんですね。
     ヒューリスティックというのは、それはアルゴリズムとは別の意味で、合理的な意味合いがあるのです(脳への負担を軽減するため、とか)。

     私たちの思考・判断過程と、合理的な推論・思考の仕方にはギャップがある。
     この現状認識は、ぜひ心得ている必要があるとおもいます。
     そしてそれこそが、考える葦の面目躍如だと思うのです。

  • 198円購入2018年11月4日

  • 臨床推論を勉強するにあたり、認知心理学に興味を持ち手に取った。
    人がどのように考えて推論しているのか、どういうクセがあるのか。
    人間はさまざまな状況と能力的な制約の中で、
    「だいたいにおいて」うまくやっていくための思考のしかたをとる。のだと。なるほど。
    この領域を、より掘り下げて学んでみたくなりました。

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著者プロフィール

1953年東京生まれ。東京大学文学部卒業。文学博士。現在,東京大学名誉教授,帝京大学中学校・高等学校校長。中央教育審議会教育課程部会委員として学習指導要領の改訂に関わる。専門は教育心理学。認知心理学を基盤にした個別学習支援や授業づくりなどの実践に携わっている。著書に、『考えることの科学』(中公新書)、『学ぶ意欲の心理学』(PHP新書)、『学力低下論争』(ちくま新書)、『学ぶ意欲とスキルを育てる』(小学館)、『「教えて考えさせる授業」を創る アドバンス編』(図書文化社)など。

「2023年 『これからの学力と学習支援 心理学から見た学び』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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