考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人 (中公新書 (1805))

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 257
感想 : 37
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121018052

作品紹介・あらすじ

通話、通信からデータの記憶、検索、イベントの予約まで、今や日常の煩わしい知的作業はケータイに委ねられている。IT化の極致ケータイこそ、進歩と快適さを追求してきた文明の象徴、ヒトはついに脳の外部化に成功したのだ。しかしそれによって実現したのは、思考力の衰退、家族の崩壊などの退化現象だった。出あるき人間、キレるヒトは、次世代人類ではないのか。霊長類研究の蓄積から生まれた画期的文明・文化論。

感想・レビュー・書評

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  • 「言語」と「コミュニケーション」を考える契機をくれた書籍であり、
    SNSのさらなる普及において読んでみると、
    考え方の幅が拡がると感じた。

  • ケータイを手放せなくなった現代の若者を「サルに退化している」と論じて2003年にベストセラーとなった 『ケータイを持ったサル~人間らしさの崩壊』 の著者で、チンパンジーの研究でも知られる霊長類学者の正高氏による日本人文化論の第二弾。友人の電話番号やメールアドレス、仕事のスケジュールや約束の時間・場所そして行き方... 全ての煩雑な情報を小さなマシンに記録する事でわずらわしい作業から解放されたはずの人間が、それによって節約できた時間を果たして有効に使っているのか? 数多くの重要な情報を自分たちの脳ではなくケータイに保管することで実現したのは、思考力の衰退や家族の崩壊などの退化現象に他ならないと結論付ける。増え続ける日本人の「引きこもり」「キレる」「ネット依存」などはIT依存による人間の「サル化」に他ならないという主張にはやや飛躍があるが、本書は現在のスマホ社会を予測したものと言える。

  • 前著『ケータイを持ったサル』(中公新書)とは異なって、こちらは科学的な装いを施すこともなく、ふつうのエッセイとして書かれた本だと感じました。もっとも、著者の基本的な主張は前著とおなじで、現代文明のゆくえに対するありきたりな愚痴に終始しています。

    いたってふつうのエッセイではあるのですが、内容はいま一つおもしろいと思えませんでした。

  • 言葉を大切にすること。

  • (「BOOK」データベースより)amazon
    通話、通信からデータの記憶、検索、イベントの予約まで、今や日常の煩わしい知的作業はケータイに委ねられている。IT化の極致ケータイこそ、進歩と快適さを追求してきた文明の象徴、ヒトはついに脳の外部化に成功したのだ。しかしそれによって実現したのは、思考力の衰退、家族の崩壊などの退化現象だった。出あるき人間、キレるヒトは、次世代人類ではないのか。霊長類研究の蓄積から生まれた画期的文明・文化論。

  • 考えるって、見えない部分を推察することから始まるのに、見えてるところだけから反応する奴ら。そういうのが今は周り中にうじゃうじゃいるんだね。

  • トンデモ本。

    ケータイによって脳の一部を外部化したことによってワーキングメモリー(一時記憶)が退化し、それが「キレる」や「引き篭もり」「ギャル文字」などの所謂若者文化の発展を即し、言語コミュニケーションではなく動物的な音声コミュニケーションしか取れないサルのようだとし、だから若者は駄目なんだと愚図る。

    タイトルが小林秀雄の捩りであるのが象徴的なように、全編親父の戯言であります。

  • 以前読んだ時の説得感がなくなったのは12年干支一回りの時間分か。あの時期にこれだからすごいなあと思うが、スマホ全盛をこの方はどう描くのだろうか。

  • さっと読めた。分かる、分かるんやけど・・・

  • 「考えるヒト」というタイトルの本があった。養老孟司だ。その本も非常に興味深く読んだ。それを意識したタイトルかどうか知らないけど、正高さんの最近の考えをまとめた本が出た。ただし私にとっては知っている話が多くそんなに面白いわけではなかった。その中では「言語遺伝子」の発見の話が新しい。生まれながら話ができない家系がある。その家族の遺伝子を調べてみると異常が見つかった。そこから、現在のようなことばが使えるようになる遺伝子があるということがわかってきた。それを調べていくとだいたい10万年前くらいからことばが使えるようになったのではないかと考えられているらしい。いろんなことがわかるものだ。さて著者は、ケータイメールなどの使用例を参考にしながら、今の特に日本人、あるいは東アジアの人間は、サルに近づいていっていると考えている。人間が人間らしく生きるために、便利な世の中にしようと次々に開発されるIT機器のおかげで、かえって人間らしさをなくしてきていると考える。もともとサルの研究者であるからこそ気づいたことなのかもしれない。ケータイメールでコミュニケーションはばっちりなんて考えているヒト、要注意ですよ。

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著者プロフィール

1954年大阪生まれ。専門は、ヒトを含めた霊長類のコミュニケーションの研究。
1983年 大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了
現 在 京都大学霊長類研究所教授

[主著]
ケータイを持ったサル 中央公論新社 2003年
音楽を愛でるサル 中央公論新社 2014年
自閉症の世界(共訳) 講談社 2017年

「2019年 『ニューロダイバーシティと発達障害』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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