広田弘毅: 「悲劇の宰相」の実像 (中公新書 1951)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121019516

作品紹介・あらすじ

日露戦争後、職業外交官の道を歩み始め、欧米局長・駐ソ大使など要職を歴任した広田弘毅。満州事変以降、混迷を深める一九三〇年代の日本で、外相・首相として、欧米との協調、中国との「提携」を模索する。しかし、二・二六事件以降、高圧的な陸軍と妥協を重ね、また国民に広がる対中国強硬論に流され、泥沼の戦争への道を開いた。東京裁判で唯一文官として死刑に処せられ、同情論が多い政治家・広田の実像に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 『落日燃ゆ』で描かれた「悲劇の宰相」像を外交電文などから描き直す。そこから浮かび上がるのは外務大臣として首相として陸軍に抵抗できなかった政治的軟弱さであり、時にはそれを利用したという事実である。政治家としての責任は大きい。人物評と政治家評は分けて考えなければいけないことの典型であろう。

  • 広田弘毅についての評価は城山三郎によって一気に上がったように思われる。本作では広田外交についてはある程度評価しているが、広田が首相になってから陸軍に対して抵抗しきれなかったという。

    むしろ近衛や世論に迎合して対局を見誤ったと言われる。

  • 戦前、戦中期に宰相や外相を務めた広田弘毅の伝記。
    読みやすくまとまっており、内容も理解しやすい。
    広田弘毅のとった行動や政策を通して彼の人となり、
    ひいては極東裁判の判決を考える一冊となっている。
    「執念」、「ポピュリズムへの迎合」などといった言葉が
    複数回登場するのが印象的。単純な同情論ではなく、
    彼のようなある意味で非常に人間らしい弱さを持つ人物が、
    揺れ動きながら政策に参加した結果、極東裁判で極刑を受けたこと。
    そしてその極東裁判を軍国主義・戦争犯罪の過去の清算として
    受け入れることの難しさを感じた。

  • 広田弘毅が絞首刑になってしまったことは東京裁判の正当性を疑わせる大きな悲劇なんだけども、彼が首相だったこともまた日本にとっての一つの悲劇だったんですよ。という本。

  • 中央大学総合政策学部准教授・服部龍二による1930年代に首相・外相を務めた広田弘毅
    の批判的評伝。

    【構成】
    序 章 二つの顔
    第1章 青年期-福岡から霞ヶ関へ
    第2章 中国と欧米の間-北京・ワシントン・モスクワ
    第3章 外相就任と協和外交-対中国政策の理念と迷走
    第4章 首相の10ヶ月半-陸軍との葛藤
    第5章 「国民政府を対手とせず」-日中戦争初期の外相
    第6章 帝国日本の瓦解-一重臣として
    第7章 東京裁判-積極的な追随者の烙印
    終 章 訣別

     皆が皆ではないだろうが、本書を手に取るような人の多くは城山三郎の『落日燃ゆ』を読んだことがある人ではないだろうか?そして、小説の主人公である「悲劇の宰相」広田の毅然とした態度と悲劇的な結末に同情を寄せる人が少なからずいるだろう。無論私自身も、そのような読者の一人であるわけだが、そうではあっても初めて読んだ高校生の時から、「それならばなぜ広田の時期に防共協定が結ばれ、軍部大臣現役武官制が復活したのか?」というような疑問が頭から離れなかった。
     本書の著者服部も、城山の小説を読み「悲劇の宰相」広田のイメージを抱いたことのある一人であった。しかしその副題からわかるように、この評伝は小説のイメージを、史料に基づく実証研究によって、大きく覆す内容である。

     史料から浮かびあがる広田像は、国士的思想家であり、政党政治に対しても懐疑的な立場を持つ外交官であった。そして、外交スタイルにおいても外務省内のポジションにおいても、1920年代に主流派を形成した親英米協調外交の幣原派とは一線を画す立場であった。
     広田の本領は対中国、対ソ連外交であり、強硬路線ではなく両国と宥和的関係を築くことが日本の大陸経営に益となると考えていた。そのため岡田・斎藤内閣の外相を務める中で、蒋介石国民党との関係改善に邁進した。
     しかし、結果的には広田の宥和路線は陸軍の大陸政策と相容れず、かえって反発を招き外務省の立場を貫くことを難しくした。そして、広田の元来のアジア主義的な思想は、容右翼的、容軍国主義的な立場と親和性を持ち、結果として2.26以後の「粛軍」と「外交一元化」という外交官出身の首相に求められた責務を果たすことができなかった。

     本書では、1936年以後の広田には特に手厳しい。広田が陸軍に対する毅然とした態度をとらず、無為無策・無気力にして軍部の意向に唯々諾々と従う閣僚としての怠慢を指摘する。そして、最終的にはそのような確固たる政治的行動のなさが戦後の軍事裁判における死刑判決へとつながっていくわけである。

     本書は、単なる感情論ではなく資料的な実証によって、宰相・外相の広田の採点をしようというものであり一定の信頼性を担保する研究であるだろう。しかしながら、本書の史料の扱い方にはややバランスを欠く部分があると感じられる。それは、広田の周りの人間の証言録や外務省公開の公文書などについては、数多く引用されているが、広田自身の言動や文章、手紙等がほとんど提示されていないという点である。石射猪太郎や原田熊雄の日記などはともかく明らかに戦後になって出版された著作から、何の留保もなく引用することは事実そのものを抽出する実証からは少し離れてしまっているのではないだろうか。
     また、著者は序章にて1930年代の外交の中に広田を位置づけるとしているが、本書を読む限り、これは「外交」ではなく単なる国内政治であり、部内政治である。
     結局のところ、本書を読んでも、なぜ広田という外交官出身の首相が軍部に宥和的な態度をとり続けたのかということは「無気力であったから」という理由しか見あたらない。このような疑問を解消するためには、ミクロには軍部と広田(あるいは外務省内部の親軍的派閥)との関係を探り、マクロには中国、ソ連、アメリカ、イギリスとの外交交渉を複眼的な視点で見つめることで見えてくるものではないだろうか?そうしなければ、どこからどこまでが広田の失策なのかが全くわからないままであろう。

     新書とはいえ、少し筆を急ぎすぎた感がする。

  • マンションで読む。再読です。外交とナショナリズムの問題は、現代の課題でもあります。さて、どうなるんでしょう。

  •  1945年の日本の敗戦は270万人とも310万人とも言われる膨大な日本人の死者をもたらした「失敗の歴史」であると思う。1930年代以降の日本の歴史の中のどこから過ちを犯したのかとの疑問を常々思っていたが、その答えを知る上で本書は高く評価出来ると思えた。
     「広田弘毅」は、東京裁判で文民指導者として唯一絞首刑となった「悲劇の宰相」としてよく知られているが、歴史的人物としては2線級と言っては失礼だろうが現在一般的に、詳細に知られているとはいえないと思う。
     しかし、本書で語られる「広田弘毅」の足跡は、激動の日本における主要人物として、重要な歴史の分岐を采配できる位置と立場にあったことがよくわかる。
     そして、その采配が誤っていたからこそ、日本が1945年の敗戦という「帝国の瓦解」に追い込まれたといえるのだろう。確かに「広田弘毅」は日本の歴史的責任者の重要なひとりなのである。
     本書による政治家としての「広田弘毅」の「日中提携政策」や「大陸政策」の取り組みや、その「破綻」の詳細な経過を読むと「決断力の不足」「優柔不断」「迎合」という言葉が思い浮かぶ。 
     本書はその理由にまで踏み込み、「合理的思考のエリート外交官と玄洋社のメンバーという国士の二つの顔」と考察しているが、この価値観の共存が国家の瀬戸際の決断に際しブレを生んだ可能性は高い。やはり政治家というのは「愚直」と言われるぐらいに断固として決断しなければならない時期があるのだろう。
     「広田弘毅」は、その1933年(昭和7年)の外相就任後においては「軍部と妥協」した結果「大陸政策」に失敗し、1936年(昭和11年)の二・二六事件後の首相就任後においての「粛軍」にも目に見える成果等を得ることは全くできず、「陸軍」への「妥協」「迎合」に終始した印象が深い。
     とりわけ、広田弘毅が1936年(昭和11年)に陸軍からの圧力で受け入れた「軍部大臣現役武官制」はその後も軍部が気に入らない総理を引きずりおろす道具とされたが、本書によると「広田弘毅」は「現役武官制を認める交換条件として広田は、首相が陸相を選任できるように改めたいと提案し、寺内から内諾を得たようである・・・だが、その交換条件は結局うやむやになった」とある。
     要は「陸軍」に「食い逃げ」されたのだろう。「詰めの甘さが広田らしい」とあるが、影響の大きさを考えると、政治家としてあるまじき失態である。
     その後の日米戦争時においても「重臣」として様々な影響力を保持していたにもかかわらず、積極的に活動した形跡は見当たらない。
     これでは本書で「不作為の罪」と指摘されても当然である。「広田弘毅」は日本が陸軍に引きずられて破綻に追い込まれる過程でブレーキをかけられる地位と立場にあったにもかかわらず傍観したのだ。
     東京裁判で「広田弘毅」が「陸軍」への「積極的な追従者」と断罪されたことには、アメリカをはじめとした戦勝国が裁く資格はあるのかとの思いは持つが、やはり本書の詳細な経過を読むと「広田弘毅」は「1930年代以降の日本の失敗」の重要な責任者のひとりと言えるのではないかと思えた。
     「広田弘毅」自身も自らの責任を自覚していたのだろう。東京裁判にあたって「一切の弁解をしないつもりでいる」「自分には責任はあります」と語り、証人として登壇を拒否するなど日本的美徳の姿勢を見せたが、歴史に責任のある政治指導者としてどうであったか。むしろ積極的に話すことによって、「過ち」を歴史に刻むべきではなかったのかとの思いをもった。
     2012年の現在、「尖閣列島」をめぐる日中関係の悪化がマスコミを賑わしているが、日中関係においては、いまだ1930年代から続く「大陸政策」は過去のものとはなっていないのである。そういう意味で本書は、過去の歴史から現在まで続く「歴史認識」を深めることができる良書として高く評価できると思う。少なくとも今までに読んだ多くのこの時期の本よりも本書は時代の雰囲気が見えた思いがした。

  • どうやら「悲劇の宰相 広田弘毅」という僕らのイメージは、「落日燃ゆ」で城山三郎によって多少創られたものであるようだ。
    少なくとも「玄洋社の社員」であったという事実は「自ら計らわぬ」悲劇の宰相にはなかった。いわゆるアジア主義者の一面だ。
    合理的な協調重視の外交官でありながら、国士でもあり、その立場が彼を数奇な運命へ導いた。
    首相就任以降は意思や決断力がないように、軍や大衆に流され、「無為無策」とか「協和的ではあるが軍と右翼の圧力に弱い」と評せられた。
    あとがき「広田が悲劇に襲われたというよりも、危機的状況下ですら執念をみせず、消極的になっていた広田に外相や首相を歴任させたことが、日本の悲劇につながった」が象徴的。
    戦争遂行へと確実に前進させた人物として、死刑という結果や戦争責任の正統性自体はともかく、批判されるだけのことはしていた。
    ちなみに、公的な資料中心に、結果から多くを判断したため、広田弘毅の人間性はほとんどうかがい知れない。

    以下要約。
    政党政治下、欧米協調外交をすすめた幣原喜重郎らとは一線を画していたため、30年代前半まで日の目を見ることはなかった。
    駐ソ大使の際、満州事変へのソ連不介入などの成果が評価され、外相に就任。
    欧米との協和を維持しながら、中国の親日派と、念願の日中提携をすすめる。
    35年の駐華大使館への昇格がそのピーク。中国分離を図る陸軍からの圧力が強くなる。
    重光葵ら外務省内の強硬派にも押され、満州承認や対日新善策を強要する「広田3原則」を打ち出し、日中提携は行き詰る。
    2.26事件後、軍紀粛正を期待されて首相に就任。
    結果的に軍部大臣現役武官制や日独防共協定など、失策が多かった。
    近衛内閣では再び外相に。軍・首相と一体となり、大衆迎合に走った。
    トラウトマンを介して日中講和を探りながらも強硬姿勢を崩さず、交渉は「国民政府を対手と」しない近衛声明で頓挫。
    東城内閣以降は実質権力をなくし、元老的な立場でありながら、終戦直前の効果のない対ソ和平交渉のほか、ほとんど何もしていない。
    東京裁判では南京事件不介入や近衛声明などの罪を問われ、「軍に追従した代表的文官」として死刑に処せられた。

  • 広田を主人公とした歴史小説に城山三郎の「落日燃ゆ」という本がある。非常に感動的な小説であるが、歴史を調べてみると正確に欠くところがる。本書は、極力公平に史実を記そうとしている姿勢は評価できる。内容は広田に辛くいくつか気になる点もあり広田贔屓の自分としては、心情的には残念であるが本書は力作である。
    なお大半の人が何故、戦争を止められなかったのか?という視点で論じる人ことが多いが、戦争を望む人達の視点から歴史を論じる本があってもよいと思う。

  • ペラペラチョクチョク読んだらやっと半年ぐらいで
    終了。新書はだるいな〜。

    確かに城山さんの小説以外の知識も必要かなと
    おもって。

    政治家の特徴ってつい自分を悲劇の主人公というか
    一般人はわからないんだよー難しいんだよーと
    いって自分のひ弱な決断を正当化するか、自分の地位に
    固執しているのに無意識に気づいていないかだね。

    かわりはいくらでもいるし公人だろ?

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著者プロフィール

中央大学総合政策学部教授
1968年生まれ 神戸大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学 博士(政治学)
〔主要業績〕
『増補版 幣原喜重郎──外交と民主主義』(吉田書店、2017年)、『外交を記録し、公開する――なぜ公文書管理が重要なのか』(東京大学出版会、2020年)、Eisaku Sato, Japanese Prime Minister, 1964-72: Okinawa, Foreign Relations, Domestic Politics and the Nobel Prize (translated by Graham B. Leonard, London: Routledge, 2020)

「2020年 『外交回想録 竹下外交・ペルー日本大使公邸占拠事件・朝鮮半島問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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