- Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121020918
作品紹介・あらすじ
和歌や俳句のいのちである季語。その代表は花である。世に花を愛でない民族はあるまい。だが、花道や能楽といった文化をもつ日本人の、花へまなざしは特別だ。花ばかりか、草木や鳥獣虫魚、万物の美しさを讃えた先人たちの細やかな精神を、我々は保てているだろうか。本書は「花なるもの」をテーマに、一〇〇篇のコラムを収録。豊富な句歌詩文から、自然の美が浮かび上がる。巻末に花人・川瀬敏郎氏との対談を収めた。
感想・レビュー・書評
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花そのものについてや日本人の花に対する感覚について、それらがうたわれた和歌や俳句、詩等を紹介しながら論じているが、この本では「花」=季節ごとの風流を感じさせるものとしており、ほととぎすや月、餅等もその論考のテーマに挙げられている。日本人が自然や行事、風流物に対して抱いてきた意識の奥深さ、歴史の長さを知り感慨深くなった。季節の変化を鋭敏に感知し、それに心を動かすことができるのは素敵なことだなと思う。
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摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99278369 -
そんな鏡餅を「花」と見立てたところに興趣が香る。穏やかな気候に恵まれた日本は自然を取り込み、共生してきた。その日本人が惜しげもなく自然を破壊していることに著者は警鐘を鳴らす。
http://sessendo.blogspot.jp/2015/01/blog-post.html -
S911.307-チユ-2091 300139490
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緩やかに季節が移り変わる国だから、植物への眼差しもとても繊細になるのかもしれない。
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東風【こち】吹かばにほひおこせよ梅の花主【あるじ】なしとて春を忘るな
菅原道真
北海道に暮らしていると、現実の季節と、季語とのずれにとまどってしまうことが多い。けれども、季語の原型といえる「暦」が、はるか古代に中国内陸部で作られたことを知ると、ずれがあるのも当然なのだと納得してしまう。
詩人高橋睦郎の「季語百話」は、そのずれを前提とし、中国大陸の文化史的背景から季語を解説した著書。また、それらが日本に根ざした経緯にも目を配っている。
たとえば、菊や梅を愛する習慣。これも大陸から渡ってきたもので、菊も梅も奈良時代の「文化的渡来植物」なのだという。
暦を民に定着させたのは、ときの国家権力だ。暦によって人々を支配したため、菊や梅という詩歌のテーマも、実は政治的な背景と関わっている。梅が詩歌のテーマとなったのは、天平2年(730年)のこと。ときの実力者藤原氏の命を受け、九州太宰府の大伴旅人邸で梅花の宴が開催され、花といえば梅を指すようになった。
掲出歌も、政治的な動きの中から生まれたものだ。梅の花を愛した菅原道真は、学問をよくし、右大臣となったが、左大臣藤原時平の策動で唐突に太宰府に配流された。配所で命を終えたその無念を「忘るな」なのか、という深読みも誘う歌だ。
そんな梅の別称の一つは「花の兄」。桜に先んじて咲くので「兄」と呼ぶのだが、桜が日本の花として定着する以前、梅に代表される中国の大陸文化が確かに存在していたことも語っているだろう。
梅も桜も、開花まであと少し。
(2013.3.24) -
第1週 1/11(水)~1/18(火)
テーマ「日本・日本人・日本語」
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https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00171926 -
本書は「花なるもの」をテーマに、一〇〇篇のコラムを収録。豊富な句歌詩文から、自然の美が浮かび上がります。巻末に花人・川瀬敏郎氏との対談を収めています。
新着図書コーナー展示は、2週間です。
通常の配架場所は、1階文庫本コーナー 請求記号911.307/Ta33 -
「歳時記も季語も日本人の発明ではない。」(pi)
著者は花の季語を中心に日本人の季節に関する感受性を問う。
新しく出た「歳時記百話」と合わせて読もうかな、、、やっぱり日本人の嗜みですよね。
新しく出た「歳時記百話」と合わせて読もうかな、、、やっぱり日本人の嗜みですよね。
「歳時記百話」も読んでみたいです^^
風流物に造詣が深い人って格好いいですよね、憧れます
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風流物に造詣が深い人って格好いいですよね、憧れます