東京復興ならず-文化首都構想の挫折と戦後日本 (中公新書 2649)
- 中央公論新社 (2021年6月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121026491
作品紹介・あらすじ
空襲で焼け野原となった東京は、戦災復興、高度経済成長と一九六四年五輪、バブル経済、そして二〇二〇年五輪といった機会を経るたびに、破壊と大規模開発を繰り返して巨大化してきた。だが、戦後の東京には「文化」を軸とした、現在とは異なる復興の可能性があった……。南原繁や石川栄耀の文化首都構想、丹下健三の「東京計画1960」など、さまざまな「幻の東京計画」をたどりながら東京の未来を構想する。
感想・レビュー・書評
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本書題名の「復興ならず」には二重の含意があるとする。第一は、戦後の東京復興が、文化首都を目指すものから「より速く、より高く、より強い」首都の実現にひた走る成長主義的な路線に転換していったこと、第二に、復興が、その本来の語義は「一度衰えたものが、再び盛んになること」という成熟を意味するのに、現実は元のものを残さない単線的な成長として捉えらてしまったこと、であると著者は言う。
壊滅的打撃を受けて敗戦を迎えた戦後日本は、その具体的内実はともかく、先ずは「文化国家」としての再出発が唱えられ、また廃墟と化した東京に広大な「文教地区」を建設しようとする様々な構想が大学関係者から、また文化首都建設を目指す復興計画案が東京都担当責任者の石川栄耀から出された。
しかし、「焼けた焼けたと云っているが、地上の建物は焼けても、土地はすこしも焼けていない、権利というものが幾重にも重なっていて…」とあるように、突破力がなければ机上の計画で終わってしまう。
そして時代は変わる。丹下健三の「東京計画1960」では線型平行射状のデザインが示される。また、東京の都市計画の先導役は、石川から山田正男に主役が移る。山田は、立体交差と首都高速により、『道路」の東京をつくっていく。また、より速い首都を実現するために、都電が一気に廃止されていく。
そうした動きの決定的なモメントとなったのが東京オリンピックの開催であった。大規模な公共用地の取得とインフラ整備の予算を引き出す日本的政治技術を、著書は、"お祭りドクトリン"と言う。
バブルと地上げで、東京はまた傷ついたが、失われた30年を経て、再び"お祭りドクトリン"の東京オリンピックを迎えようとしたそのときにコロナ禍。ポストコロナの東京、東京の未来をいかに構想すべきか。その答えの多くが、すでに過去の中にある、と著者は言う。
本書を読んでの感想。
これからの東京を成長至上主義で語る時代ではないとの主張は理解できるが、文化的都市と言っても、商業主義に毒されないでどのような具体化が可能なのか、イメージが浮かびづらい。
もう一つ、著書は丹下や山田に厳しいが、高度成長時代には彼らの計画は現実に適合していたのではないだろうか。ある時点からは方向転換が必要だったとしても。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ふむ
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著者のこれまでの視点をふまえて、東京の都市構想を批判的に論じた著作。
経済的な数字に現れやすい成長を追い求め、文化的な側面を後回しにしてきた東京という街のあり方を考える際に有効な視座となる。
過去の著作もあわせて読みたい。 -
東京が、戦後どのような設計思想で開発されてきたのかを丁寧に追う作品。
東京湾に人工島ができていたかもしれないなんて。。。すごい世界線。その一端がアクアラインというのは、あながち全く空想の世界ではなかったのかもしれない。
都電がなくなってしまったこと、バブルの地上げで地縁が断たれてしまったことは東京の魅力を大きく下げてしまったのかもしれない。
これからの東京を考えるにあたっても、過去を知ることは重要。 -
213.6||Yo
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東2法経図・6F開架:B1/5/2649/K
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著者のいう「復興」の理想は、ルネサンスにも似た、古い文化の復活のようだ。戦後すぐと、高度経済成長後の70年代末にそれぞれこの「復興」、言い換えれば東京が文化都市となる可能性があったが、いずれも直線的な経済成長思想に取って代わられた、というのが著者の主な主張だ。それが書名につながる。
文化=地方分散、経済成長=東京一極集中、とそれぞれ結びつけてもいるが、副次的に見える。
著者を否定するわけではないが、東京に失われた古い風景を惜しみつつ経済成長より文化を重視するのは、所詮著者が既に発展したこの都市で生まれ育ったためだろう、と穿った見方をしてしまう。