言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書 2756)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121027566

作品紹介・あらすじ

日常生活の必需品であり、知性や芸術の源である言語。なぜヒトはことばを持つのか? 子どもはいかにしてことばを覚えるのか? 巨大システムの言語の起源とは? ヒトとAIや動物の違いは? 言語の本質を問うことは、人間とは何かを考えることである。鍵は、オノマトペと、アブダクション(仮説形成)推論という人間特有の学ぶ力だ。認知科学者と言語学者が力を合わせ、言語の誕生と進化の謎を紐解き、ヒトの根源に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 人気がある本ということで興味津々で読み始めたが、なんだかよく分からなかった。
    特に難しいことを言っているわけではないのだが、何か発散してしまい著者の主張したいことが整理できなかった。
    サラッと読みこなせるような本ではなく、じっくりとかみ砕く忍耐が必要な本でした。

    本書で伝えたかった事とはピントがずれているだろうが、頭の中に残ったことを少し書いておく。

    ・言語の理解に身体性は必要か。→ 必要だと思っている。

    例えば、「リンゴ」を知っているとはどういうことか。
    人工知能は「リンゴ」をどのように認識しているのか。
    形、色、大きさ、重さ、硬さ、匂い、触感、食感、味、などなど。

    実際に食べたことがある人なら、これらの知識を持っているだろう。
    食べたことがない人は、食感や味を知りようがない。

    「愛」とか「恋」など実体のない言葉になるとなおさら身体性が必要そうだ。
    「愛」や「恋」は、うまく言葉で説明できないが、人工知能はどのように定義しているのだろうか。


    ・日本語はオノマトペだけで4500語もあるが、英語は少ない。

    たまごは やまを ころがって いわに ぶつかり はねて とまりました。
    たまごは やまを「ころころ ころころ」ころがって いわに ぶつかり「ぽーーん」とはねて「ストン」ととまりました。

    この2つの文を英訳すると、オノマトペの部分は省略されてほぼ同じ英文になる。
    英語は以下のように動詞で様態を細かく区別する傾向があるみたいだ。
    のんびり歩く(amble)
    そろりそろりと歩く(tiptoe)
    しゃなりしゃなり歩く(sashay)
    ぶらぶら歩く(stroll)
    ずんずん歩く(swagger)
    よちよち歩く(toddle)


    ・オノマトペは多義である。

    「コロコロ」だと、
    ボールがコロコロと転がる。
    コロコロとしたかわいい子犬。
    社長の話はコロコロと変わる。
    我がチームはコロコロと負け続けた。

    「バタバタ」だと、
    鳥がバタバタと飛び立った。
    猛暑で人がバタバタ倒れた。
    忙しくて毎日バタバタしている。

    いつの間にか、こんな言い方を覚えて、多様な文脈で使えるようになっている。

    よく分かったのは「言語の本質」なんて、私には理解できないということ。

  • 【感想】
    ドイツの心理学者ヴォルフガング・ケーラーが、言葉の持つイメージについてとある実験を行った。
    丸い曲線から構成されたアメーバのような図形と、直線から構成されたギザギザの図形を、様々な母語の被験者に見せ、「どちらの図形が『ブーバ』で、どちらが『キキ』か」と聞いたところ、約98%が「曲線の図形がブーバで、ギザギザの直線の図形がキキだ」と答えたという結果が出た。

    母語が異なる話者の間でも、「丸い音」と「角ばった音」の言葉のイメージは共通している。しかし、2つの言語の比較を高級な言葉(=一般語)にまで広げると、とたんに大きな差が生まれる。英語と日本語の品詞の性質や発音がどれだけ違うかを想像してもらえば、音韻の共通点よりも相違点の方が大きいことは明らかだろう。
    しかしだとすると、ケーラーの実験は「いかに異なる言語であろうとも、原初的な言葉においては、音と意味とのシンボル性が共通している」ことを指し示している。であるならば、原初的な言葉――つまり「オノマトペ」にこそ、多くの言語に通ずる「本質」が眠っているのではないか。

    本書『言語の本質』では、人間が赤ちゃんや子どものときに習得し、大人になるにつれあまり使わなくなっていく言葉――「オノマトペ」の性質を読み解き、人間がオノマトペから一般語を体系化し習得していくメカニズムについて明かす。筆者は「人間の言語自体が擬音語・擬態語を起源とする」という説に立っている。つまり言語の本質はオノマトペにあり、オノマトペに繰り返し触れ続けることで、一般語に含まれている抽象的概念を学んでいく(例:「キョロキョロ」という言葉から「見る」という行為を一般化する)と主張している。

    オノマトペは赤ちゃん言葉に使われることが多い。赤ちゃんは「ブーブー」や「ピョンピョン」といった言葉によって、それが指し示すのが「車」や「ジャンプ」といった名詞であるという条件を学んでいく。しかし実際には、子どもは意味を取り違えて覚えていることが多い。例えば「切る」という言葉。包丁で切る、水を切る、電話を切るというように、様々な意味を持つが、子どもはある単語の意味を覚えると、その意味と違う意味でその単語が使われる文を読んだとき、知っている意味に合わせて誤って(自分勝手に)文の意味を考えてしまう。「ブーブー」や「ピョンピョン」は正確には「クラクションの音」と「飛び跳ねるという行為」であるのだが、この違いが理解できず、自転車も「ブーブー」と呼んでしまう。
    実は、この誤読の解消に、オノマトペ特有の性質が役立っている。例えば「コロコロ」という言葉。コロコロ転がる、コロコロと変わる、コロコロと鳴く、と意味は豊富だ。しかし、オノマトペには「音と意味の関係がわかりやすい」という特徴がある。コロコロという音から「軽い」「丸い」というイメージを持ちやすいので、かなり離れた意味もなんとなく推測できる。加えて、オノマトペは一般語とほとんど変わらない音で構成されているため、一般語の推論に活用できるという特徴もある。
    こうした音と視覚情報の対応づけを感覚的に「感じる」ことで、子どもが「ことばの意味は文脈によって変わる。だから自分の知っている意味を押し付けてむりやり解釈するのではなく、文脈にあわせて意味を変える方がよい」という洞察を得るのだ。

    本書は上記のほか、オノマトペそのものが一般語に変化する過程も説明している。例えば「吹く」の語源は「フー」という擬音語で、「轟く」のトドロはドロドロという音からの派生、さらに「騒ぐ」は擬声語「さわ」の動詞化した語である。
    加えて、そうして一般化した言葉が再びオノマトペ化する過程も記述している。例えば「ハラハラ」「パラパラ」「バラバラ」というオノマトペは重さの違いによって分けられているが、もともとは「h、p、bを体系的に対立させている」という日本語独自の音韻体系から生じた「二次的オノマトペ」である。

    こうした、オノマトペ⇔一般語という間のやりとりを繰り返し、それがよい塩梅に収まった所で、今の日本語ができているのだ。

    ――オノマトペは言語のミニワールドである。一般的なことばと同じように、語根に接辞がついて意味が変化する。絵本の中でオノマトペは豊富に使われる。絵本を読んでもらいながら、子どもは軸となる要素につく小さい要素がいろいろあることに気づく。ことばは要素の組み合わせで構成されることに気づき、大きな塊から小さい要素を抽出してその意味を考える。
    ――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 記号接地問題
    認知科学には未解決の大きな問題がある。記号接地問題という。
    私たち人間は、知っているそれぞれのことばが指す対象を知っている。「知っている」というのは、単に定義ができるということではない。たとえば、「メロン」ということばを聞けば、メロン全体の色や模様、匂い、果肉の色や触感、味、舌触りなどさまざまな特徴を思い出すことができる。もちろん、これは「メロン」を写真で見ただけではなく、食べたことがあれば、である。
    しかし、実物を見たことも食べたこともない果物はどうだろう。「○○」という名前を教えられ、写真を見せられる。すると、その果物の外見はわかり、名前を覚えることができる。「甘酸っぱくておいしい」のような説明が書いてあれば、それも覚えることができる。しかし、○○のビジュアルイメージを「甘酸っぱくておいしい」という記述とともに記憶しただけで、○○を知ったことになるだろうか?イチゴの味を知っていて、「イチゴは甘酸っぱくておいしい」と思っていたら、○○の味もイチゴの味と考えてしまうかもしれない。
    記号接地問題とは、人工知能の知識表現において、そこで使われる記号を、実世界の実体がもつ意味に結び付けられるか、つまり記号同士の組み合わせだけで言語の本当の意味が学習できるのか、という問いのことなのだ。
    そして、これは人間の問題でもある。記号を別の記号で表現するだけでは、いつまで経ってもことばの対象についての理解は得られない。ことばの意味を本当に理解するためには、まるごとの対象について身体的な経験を持たなければならない。だとすれば、人間はどのように、記号の組み合わせを超えた「言語」を学習していくのか。

    この記号接地問題を解決する鍵になるのは、「オノマトペ」である。


    2 そもそもオノマトペは「ことば」なのか?
    日本語の範疇におけるオノマトペとは、擬音語、擬態語、擬情語を含む包括的な用語のことである。さらさら、わくわく、ゴクゴクといった言葉だ。
    しかし、いざ「オノマトペとは何か」を定義しようとすると、かなり難しい。現在ではオランダの言語学者マーク・ディンゲマンセの定義が広く受け入れられている。
    「感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作り出せる語」

    一般に、オノマトペはその言語の母語話者にはしっくりくる。まさに感覚経験を写し取っているように感じられる。ところが、非母語話者には必ずしもわかりやすいとは限らない。実際、日本語のオノマトペは、外国人留学生が日本語を学ぶ際の頭痛のタネになっている。「髪の毛のサラサラとツルツルはどう違うの?全然わからない!」と彼らは言う。
    感覚を写し取っているはずなのに、なぜ非母語話者には理解が難しいのか。「感覚を写し取る」というのはそもそもどういうことなのか。この問題は、オノマトペの性質を理解する上でとても重要である。

    オノマトペには「アイコン性」がある。トイレのマーク、非常口のマーク、絵文字などのアレだ。しかし、絵のアイコンと違って、オノマトペは物事の一部分しか写せない。「ギクッ」という言葉と「Σ(゚Д゚)」という顔文字では、抽象度が違う。オノマトペは一部分を写し取り、残りの部分を換喩的な連想で補う。写し取るというオノマトペの性質ゆえに、その語形や発音、構成音そのものの特徴、さらには共起するジェスチャーや表情にまでアイコン性が宿る。

    オノマトペは、言語に必要な十大原則――コミュニケーション機能、意味性、超越性、継承性、習得可能性、生産性、経済性、離散性、恣意性、二重性――の大部分を満たしている。オノマトペとはれっきとした言語であり、その語形・音声や非言語行為のアイコン性を駆使して、感覚イメージを写し取ろうとする「ことば」なのである。


    3 言語の習得をオノマトペが担う
    子どもたちが言語を習得する課程で、オノマトペはどのような役割をしているのか。
    子どもは1歳の誕生日を迎える頃から、本格的に単語の意味の学習を始める。意味の学習を始めたばかりで意味を知っていることばがほとんどない時期は、単語の音と対象の結びつきを覚えるのも簡単ではない。オノマトペの持つ音と意味のつながりが、意味の学習を促す。
    2歳近くになると語彙が急速に増え、文の意味の理解ができるようになる。しかし文の中でも動詞の意味の推論はまだ難しい。そのときに、オノマトペが意味の推論を助けるのである。子どもを育てる親たちも、絵本作家たちも、そのことを直感的に知っていて、子どもの言語の発達段階に合わせ巧みにオノマトペを使って、子どもが必要とする援助を無意識に行っているのだ。

    実は言語学習をまだ本格的に始めていない赤ちゃんも、ことばの音と対象が合うと右半球の側頭葉が強く活動することがわかった。脳が、音と対象の対応づけを生まれつきごく自然に行う。これが、ことばの音が身体に接地する最初の一歩を踏み出すきっかけになりうる。
    ことばの音と対象の対応づけが自然にわかり、これを何回か繰り返すと、「単語には意味がある」という洞察を赤ちゃんが得ることができる。モノには名前があるという気づきを得ると、その気づきが、身の回りのモノや行為すべての名前を憶えようとするという急速な語彙の成長、「語彙爆発」と呼ばれる現象につながる。語彙が増えると子どもは語彙に潜むさまざまなパターンに気づく。その気づきがさらに新しい単語の意味の推論を助け、語彙を成長させていく原動力となるのである。

    そして、オノマトペは、音と意味を自然につなげ、「単語に意味がある」という「名付けの洞察」を引き起こすきっかけになるのだ。

    子どもがオノマトペから言葉を学ぶメカニズムは次のとおりだ。
    ①オノマトペのリズムや音から、母語の音の特徴や音の並び方などの特徴に気づく。(オノマトペは、一般語とほとんど変わらない音で構成されているため、一般語の推論に活用できる)
    ②音と視覚情報の対応づけを感覚的に「感じる」ことによって、耳に入ってくる音が何かを「指す」ということに気づく。それは「ことばは意味を持つ」という気づきにつながる。
    ③母語特有の音と意味の結びつき(たとえば、音の清濁と対象の大きさとの対応)を感覚的に覚える。これは大人になってオノマトペを効果的に創造的に使う、つまり新しいオノマトペを状況に即して即興的に作っていくための基礎となる。
    ④たくさんの要素がありすぎる場面で、オノマトペのアイコン性は単語が指し示す部分に子どもが注目するのを助け、その意味を見つけやすくする。例えば動詞や形容詞は、目の前に見える対象そのもののごく一部を切り取ったものが意味になる。動詞を学習するときは、たくさんの要素からなる場面で「動き」や「行為」にだけ注意を向けなければならない。オノマトペはそれを助け、子どもが目の前の情報を「切り出す」ための武器となる。(例:「ゴロゴロ」という言葉が、石を指すのか、石の動きを指すのか、石の状態を指すのか最初は分からないが、多くのオノマトペに触れていくことで段階的に理解できるようになる)


    4 アイコン性の変遷
    言語は進化の過程で、アナログな表現からデジタルな記号的表現に進化していく。
    言語は多義性を獲得していくことでアイコン性が薄まっていく。表現したいすべての概念に対し、一対一の単語を立てて区別しようとすると、膨大な語彙が必要になる。そのため、一つの単語に異なる意味を担わせる、いわば「単語の使いまわし」を行う。加えて、ヒトは想像によって意味を派生させようとする志向性を持つ。この志向性によって、ヒトは、決まりきった使い方にとどまっていられず、つねに隠喩・換喩によって意味を発展させ、新しい意味を創り出そうとする。
    言葉の基礎はオノマトペである。しかし、オノマトペが増えすぎると、似た意味の言葉と区別がつかなくなる。水鳥の名前、コガモやハクチョウやシラサギがすべて「クワックワッ」であれば、意味の特定が難しくなってしまう。そのため、語彙の量が増える(オノマトペから一般語にシフトする)につれて、使用する言葉のアイコン性が薄まっていく。

    使う語が高級になり、論理的関係(てにをは、否定形など)や抽象的概念(友情、正義など)を表す語にまで及ぶと、オノマトペは使われなくなる。論理的関係は感覚経験を伴わないため、意味と音の間の「似た」感覚を作りようがないからだ。

    語彙が成長するにしたがってアイコン性が薄まり、ことばの形式(音)と意味の関係が恣意的になっていく。しかし、単語の数が増えると、単語同士が関係づけられ、体系化されていく。体系化によって、語彙が整理され、同じ要素やパターンを持つ単語のクラスターができてくると、クラスター成員の間で「似ている」感覚が生まれる。二次的なアイコン性が生まれるのである。結局言語は、「一次的アイコン性→恣意性→体系化→二次的アイコン性」と、アイコン性と恣意性の間の関係を変えていき、最終的には両者の間の絶妙なバランスができる。これを私たちは「アイコン性の輪」仮説と呼ぶ。

    アイコン性の輪を例で辿ってみよう。いわゆる擬音語の中でも語音と意味の類似性が明らかな「フー」や「アハハ」は、一次的アイコン性の例と見ていいだろう。それに対し、「フー」を語源に持つという「吹く」は、一般動詞の体系に組み込まれたためかなりアイコン性が薄まって恣意性の方向にシフトしている。おそらく擬音的基盤すらない「笑う」は、語音と意味の関係が高度に恣意的である。
    今度は体系化が二次的アイコン性を生む例をあげてみよう。日本語はh、p、bを体系的に対立させる。この3音の対立は日本語独自の特徴である。たとえば助数詞「本」は、「二本 nihon」「一本 ippon」「三本 sanbon」と、前に来る音によってハ行、パ行、パ行を行き来する。日本語のオノマトペは「ハラハラ」「パラパラ」「バラバラ」のように、この対立をアイコン性をつくるのに利用する。バ行よりパ行のほうが軽く、ハ行はさらに軽いものを表すという三つ巴の音象徴は、実は日本語独自の音韻体系から二次的に生じたものなのだ。
    しかし、日本語母語話者は擬音語の「フー」のみにアイコン性を感じるわけではなく、「フー」(一次的アイコン性)も「ハラハラ」(二次的アイコン性)も同じようにアイコン性を感じる。これは、言語固有の音の体系が意味の対立にも拡張され、二次的なアイコン性を生み、母語話者がそれを一次的アイコン性と区別できないほど自然な音象徴と感じるよい例である。


    5 ブートストラッピング・サイクル
    子どもは、オノマトペから一般語の壁をどう超えるのか?
    それはブーストラッピング・サイクルにより可能となる。既存の知識が新たな知識を生み、語彙の成長を加速させ、さらに言葉を学習するという循環のことである。

    動詞の学習は、モノの名前とは文の中で現れる位置や形が違うことばがあり、それは動きとともに発話されやすいという最初の気づきから始まる。しかし、動作そのものは曖昧で、どのように切り出し、どの部分がことばに対応するのかは観察してもわかりにくい。子どもは頻繁に誤りを犯しながらも、動作や行為のどこにことばが対応するのか、つまり動詞の一般化の基準を探索していく。
    一般化の基準、つまり「似ている」と思う基準は、視覚的な類似性に限らない。言語を学習することによって、抽象的な関係性や同じパターンで使われる関係性など、もともとは「似ている」と思わなかった概念にも類似性を感じるようになる。乳幼児期から子どもは、知覚的な類似性を検出することができる。その「似ている」感覚を足がかりに、動詞の持つ抽象性を緩和し、動詞を学習する。さらに、動詞を学習することで、抽象的な関係性にも「似ている」と感じることができるようになるのだ。言い換えれば、動詞を知らなくてもわかる知覚的な類似性を利用して、大人のように、抽象的な関係性を「似ている」と見なせるようになる。自らをブートストラップしているのである。

    ブートストラッピング・サイクルによる学習では、知識はつねに再編成され、変化を続けながらボリュームを増し、構造も洗練されていく。節目節目で重要な「洞察」が生まれ、「洞察」が学習を大きく加速させたり、概念の体系を大きく変化させたりする。つまり言語習得とは、推論によって知識を増やしながら、同時に「学習の仕方」自体も学習し、洗練させていく、自律的に成長し続けるプロセスなのである。

  • 「生きた知識」を身につける 言語学習から「学び」の本質を考える | 2020年4月号 | 先端教育オンライン(2020年4月号)
    https://www.sentankyo.jp/articles/d74dbed9-97aa-468d-bbbb-ae73a6804691

    慶應義塾大学 今井むつみ研究室
    https://cogpsy.sfc.keio.ac.jp/imailab/

    Kimi Akita - あきた きみ
    https://sites.google.com/site/akitambo/jpn

    言語の本質 -今井むつみ/秋田喜美 著|新書|中央公論新社
    https://www.chuko.co.jp/shinsho/2023/05/102756.html

  • 認知科学と言語学が専門の今井氏と秋田氏による、言語の多様性、言語進化、人間の思考の本質についてなど、着地点が最後まで見えない長い旅のような本。途中とん挫しつつ何とか読み終えた。
    「オノマトペ」に着目し、視覚ではなく聴覚要素で対象認識とイメージにつながる、言語取得の早い段階から用いられる、言語は必然性がないことが原則だが、オノマトペは例外として共通性がある場合がある(例:犬の鳴き声)などの指摘があった。
    現在英語アプリハマり中、語学学習の大変さを痛感。
    紹介されていた、五味太郎『日本語擬態語辞典』は詠んでみたいと思った。

    言語の十原則

    コミュニケーション性、意味性、超越性(今ここにないものを表現)、継承性、習得可能性、生産性、経済性、離散性(アナログでなくデジタル的)、恣意性、二重性(音のつらなりで意味をなす)

    著者たちの考える「言語の大原則」は読みごたえがあり、何度も読み返したい。

  • はじめに 言語の謎 記号設置という視点 言語の抽象性ー「アカ」を題材に
         言語の進化と子どもの言語習得の謎
    第1章オノマトペとは何か
    第2章アイコン性ー形式と意味の類似性
    第3章オノマトペは言語か
    第4章子どもの言語習得1ーオノマトペ篇
    第5章言語の進化
    第6章子どもの言語習得2ーアブダクション推論篇
    第7章人と動物を分つもの
    終章 言語の本質

    筆者の興味

  • 赤ちゃんや幼児と接する時に、無意識下でオノマトペを多様していたし、好きな絵本にもオノマトペがたくさん。
    改めて理論的に説明され、言語の本質とはそういうことかと納得できた気がする。

  • 「言葉を覚え、使うために、果たして身体経験は必要なのか?」

    記号設置問題とコンピュータの関係性から、「分かる」とはどういうことか今一度見直される。
    AIは「まるで人間のように」疑問に対して答えを述べてくれるが、それは私たちの思う「分かる」とは何か異なっているように感じる。

    本書ではさらにオノマトペの言語性を掘り下げていく。
    擬態語、擬音語としての役割を持つオノマトペだが、言語と同様に他国のオノマトペに理解できないものがある。

    また、オノマトペを含め、子ども(赤子)が言語を習得することには、どのような過程を辿っているのか。
    物には名前がついているという一般性に気付いたヘレンケラーの例を挙げ、アブダクション推論へと繋げていく内容は面白い。

  • オノマトペを中心とした言語の本質を問うた本。残念ながら、まだ自分には難しい内容だった。

  • 最近見聞きした話とかぶるところが多くあって、腑に落ちまくり。

    「必ずひとつの正解が決まる演繹推論と異なり、帰納推論とアブダクション推論は、絶対正しい正解が決まらない推論である。だから新たな知識を創造するのだ。」

    「アブダクション推論は、誤った結論に至る可能性がある。しかし、誤りを修正することで、物事の理解が深められる。科学においても、仮説を立て、実験をし、実験の結果が仮説と異なっていたら仮説を修正することによって、人類の科学的知識は発展してきた。アブダクション推論は新たな知を生み出す推論である。」

    「たとえ間違いを含む可能性があってもそれなりにうまく働くルールを新たに作ること、すなわちアブダクション推論を続けることは、生存に欠かせないものであった。アブダクション推論によって、人間は言語というコミュニケーションと思考の道具を得ることができ、科学、芸術などさまざまな文明を進化させてきたと言えるかもしれない。」

    本書で取り上げられている論点は、大阪大学フォーサイト・松波博士の話で初めて耳にした「アブダクション」の一例であり、哲学者・近内悠太が言う「人間は矛盾に遭遇しても回避できる。矛盾をきっかけに先に行くことができる。」という指摘は、人間にしかできないアブダクションの言い換え。

    気持ちがいいほどつながった。読書の快感。

  • きわめて平凡な私たち。
    素朴で単純な乳幼児。

    それらがインテリ教授今井むつみさんの手にかかると
    ものすごい複雑なことをしているように見えます。

    たとえば
    〈動物が対称性推論をするかどうかの問題は、ヒト以外の動物が因果推論に代表される非論理的で経験則に基づく推論をできるかという問題につながるので、世界中の多くの研究者たちが関心を持ち、長年取り組んできた〉

    つまり「ヒトは因果推論に代表される非論理的で経験則に基づく推論ができる」ということですね。

    「私はそんなややこしいことした覚えはありません」
    と思われるかもしれないのですが、皆やってきました。

    中をちゃんと読むと、実験があったりイラストで紹介していたりして、なるほどとわかるようになっています。

    こういう内容を言語化してもらうと、
    本当に面白いですね。
    今、人気のある本。
    それも納得です。

    〈日常生活の必需品であり、知性や芸術の源である言語。なぜヒトはことばを持つのか?子どもはいかにしてことばを覚えるのか?巨大システムの言語の起源とは?ヒトとAIや動物の違いは?言語の本質を問うことは、人間とは何かを考えることである。鍵は、オノマトペと、アブダクション(仮説形成)推論という人間特有の学ぶ力だ。認知科学者と言語学者が力を合わせ、言語の誕生と進化の謎を紐解き、ヒトの根源に迫る〉

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著者プロフィール

今井 むつみ(いまい・むつみ):1989年慶應義塾大学社会学研究科後期博士課程修了。1994年ノースウエスタン大学心理学博士。慶應義塾大学環境情報学部教授。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。著書に、『親子で育てる ことば力と思考力』(筑摩書房)、『言葉をおぼえるしくみ』(共著、ちくま学芸文庫)、『ことばと思考』『英語独習法』(ともに岩波新書)、『言語の本質』(共著、中公新書)などがある。

「2024年 『ことばの学習のパラドックス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

今井むつみの作品

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