実験の民主主義-トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ (中公新書 2773)

著者 :
制作 : 若林 恵 
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121027733

作品紹介・あらすじ

デジタルが社会を変える時代。だが技術の進展は分断を生み、民主主義の後退と政治の機能不全は深刻だ。なぜ私たちは民主主義を実感できないのか? 本書では、大転換期を生きたトクヴィルの思索と行動を手がかりに、選挙ではなく行政府に、政党ではなく結社(ファンダム)に注目。分断を乗り超える、「実験」の民主主義像を提示する。民主主義論の大家が名編集者と力を合わせ、社会課題を探り出し、新しい政治構想を描く。

感想・レビュー・書評

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  • トクヴィルが見たアメリカは「民主主義の実験場」。

    「平等化」を促したものとして、プロテスタンティズム、銃、印刷、郵便というものを挙げている。

    それまでの教育は過去から伝わる「規範」を身につけるものだったが、平等化の趨勢は、「自分で考える」ことを促していくのではないか?

    「政治的集権化(政権)」は必要
    「行政的集権(治権)」は不要

    平等化によって孤独が起きる。なぜなら平等化が進むとちょっとした違いが気になってしまうから。
    互いに平等なはずなのに残る不平等について、人々はより過敏に反応することになる。

    「編集者は最初の読者だ」
    アマチュアであることのプロであることが求められる

    DXとはユーザー中心のこと

    「行使の民主主義」とは選挙の日だけでなく、情報やデータを公開させて、それを使って有権者に問題提起やソリューションの提案まで市民が行政に提案できること。
    重要なキーワードは、「透明性」、「ネットワークを活かした民主主義」、「開かれた統治」

    これまでの民主主義は「承認の民主主義」であって、「行使の民主主義」がちゃんと問われてこなかった。
    それによって「意思決定」と「その実施」の区別が「なし崩し」になっている。

  • 東2法経図・6F開架:B1/5/2773/K

  • とても面白かった。タイトルに民主主義が入っているから政治的なことがメインかと思いきや、ビジネスや社会参加、生産者と消費者の関係性まで、幅広い議論が行われている。知識や技術の「民主化」により、平等化が進むが、それは必ずしも平和や安定を意味せず、むしろ細かい違いに注目がいき、差別や偏見を生むことになる。同時に、それまでの権威に対する信頼失墜に繋がり、社会が不安定化する。これに変わる信頼がファンダムに集まっている。いわゆる「推し」であり、確かに一定のお作法、共通の価値観、奉仕や貢献の意識など、コミュニティを維持する要素が詰まっている。現代社会を理解するのに非常に参考になる一冊。

  • 戦後の日本では職業を通じて経済活動をしていれば立派な社会の一員だった。民主主義とは何か、面白い一冊だった。

  • 民主主義の立法権だけではなく執行権(行政権)への着目、新たなアソシエーションとしてのファンダムの可能性への対話。
    行政権のアップデートは萌芽を感じる。
    ファンダムは試みとして興味深いが、ポピュリズム以外の着地が浮かばない。

    第1章 「平等化」の趨勢
    ・平等化をめぐる想像力。かつてと比べて「違い」は相対化されたが、むしろその小さな違いに敏感になる。平等化の趨勢は不可逆。
    ・道具の民主化と民主主義化は別物
    ・個人主義の不安

    第2章 ポストマンと結社
    ・政治的集権と行政的集権を区別する
    ・「自由を援け合う術」としての結社(アソシエーション)。デモクラシーを相対化する。
    ・宗教(所属する教会など)による信用度の担保。ファンダムによるアソシエーション。インターネット社会によるアソシエーションの暴力化(ハイブリッド戦争における「総動員」の常識化。

    第3章 行政府を民主化する
    ・ペスト流行から「人を生かす権力(生権力)」として、国民の生の把握と管理のための官僚機構が精緻化。
    ・「合理的な法と統治システムさえあれば、社会はよくなる」という考えから、立法権に関心が集中。行政権は従属的とみなされる。実態の転倒。
    ・官僚の機械的イメージ。
    ・日本の武士から由来する「学問だけではダメだ」という価値観。揶揄しても潜在的な「お上」への信頼。
    ・人文的教養を重視する欧米の官僚制。プロの視点よりも幅広い教養。
    ・「アマチュアであることのプロ」。編集者と共通する素養。国民と政治家をつなぐファシリテーター。
    ・官僚の人間化。

    第4章 「市民」とは誰か
    ・「市民」という言葉には、ルソー的な古代の都市国家に依拠した「政治に主体的に参加する人(シトワイヤン)」という意味と、「単にそこに暮らす人」、あるいは「経済活動に専念している人たち(ブルジョワ)」という三つ概念が混在じている。
    ・Z世代の80%以上が推し活をしている。消費から創作。

    第5章 分断を超えるプラグマティズム
    ・リテラシーは受動、コンピテンシー(何かを「する」能力)は能動
    ・プラグマティズムは、人が何かを「信じようとする権利」を最大限に擁護することを、思想の基盤に置く。人間は考えがあるから行動するのではなく、行動する必要があるから考えを持つ、その行動から得られた結果をもって、さしあたり、その理念が正しかったかどうかを検証することができる。
    ・Do it with Others (DIWO)。「参加型」「行動」の重要性。終わりをデザインするのではなく始まりをデザインする。

    第6章 「手」の民主主義
    ・ファンダムの可能性は、選挙ではなく、その外にある共創活動
    ・エネルギーの地産地消など所有と利用が一体となる、距離の近さと即応性

    第7章 感情と時間の政治へ
    ・自立というのは依存先を増やすこと。「自由」と「依存」は対立的な関係にあるのではなく、現実的にはむしろ補完的な関係
    ・一方的なものではなく相互依存というレイヤー
    ・分担ではなく「持ち寄る」という発想

  • 『実験の民主主義』とは、自由の国として建国されたアメリカ合衆国を、19世紀のフランス思想家トクヴィルが指した言葉である。王政からの革命によって混乱期にあったヨーロッパから見て、理想的な分散型主権国家を築きつつあった合衆国は眩しく見えたに違いない。

    この19世紀の理想的な民主主義国家が、21世紀には強烈なポピュリズムと分断に見舞われていることを私たちは知っている。メディアの発展やデジタル化は、情報の非対称性を解消するとともに社会階層の平等化に寄与したと考えられてきた。ところが実際は偏った情報によるイデオロギー極化や、小さな価値観や立場の差異による分断差別が起こっている。

    この古くて新しい課題に対して、国家という統治フォーマットは無力である。むしろこの政治と行政の機能を一緒くたに考えてきたからこそ、社会機能が制約を受けてきたというトクヴィルの思想は慧眼であろう。そして政治体制としての中央集権と行政区分としての自律分散こそが、理想的なフォーマットであると説く。

    政治体制といっても、従来のイデオロギーに準じた敵味方の色付けはもはや大多数の無党派無関心層を生むだけである。むしろファンダム≒推し活のような熱狂を生む仕組みこそが求められる。またそこから行政区分は切り離し、デジタルによる恩恵を最大限に発揮すべきだろう。

    個人的には、実験≒プラグマティズムの考え方にとても親和性を覚える。自分自身が小規模でも実験的なことを繰り返してきた人生であるし、スケールするにしたがい政治や行政のシステムが絡んでくるのを正直鬱陶しく思っていた。これからのポジショニング含めて、考えさせられる内容だった。

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/569217

  • 最初はトクヴィルの復習だったが、途中から推し活とかファンダムの話が出てきてずいぶんと雰囲気が変わった。宇野さんが、聞き手の若林恵さんの話をしっかり聞かれていることに好感が持てた。そのことがあって、本書の中身がうんとおもしろいものになったのだと思う。オンラインゲームのこととか、マイクラだとか、いろいろと生徒たちからよく聞かされるが、僕はほとんど理解していない。どうも興味が持てないでいる。ファンダムということば自体は今回初めて目にしたわけで、あまりイメージはできていない。ただ、自分としては、30年ほど前の新聞記事で、岡田節人先生が使っていた「学問のファン」ということばを知って、それ以来ずっと勝手に自分のことを「学問のファンクラブ会長」と言ってきた。昨年、自治会の会長をしたりして、生徒たちにも会長と呼ばれたりしていたが、僕の中では、もっと前から会長であった。学問のおもしろさをみんなに伝えたい、そんな思いがずっとあった。それは、宇野さんが最後に書かれている編集者の仕事と近いものがあるのかもしれない。そもそも学問のファンとは専門家ではないけれど、専門家が狭く深く入って行くとするならば、ファンは広く浅く学んでいくものだと考えている。専門家になれなかった自分の言い分けとして、「学問のファン」ということばに逃げたと言えなくもない。それが、どうも本書の中で取り上げられている行政の職員とつながっていくように感じた。特定の分野の専門家ではないが、より広い知識を持っていることで、具体的にどう動いて行けば最適かが分かる。あるいは周りをうまく動かしていく、ファシリテータのような役割と書かれていたかもしれない。とにかく、民主主義に必要なのは、立法より行政。どんな決まりがあったとしても、それを具体的にどう行動に移していくか、そちらの方が実は大切なのだろう。そこに関わっていくことで、選挙のときだけではなく、より政治に近づくことができる。うーん、なかなか頭の中は整理できていないが、そんなようなことを本書を読みながら受けとめた。最後に、何より対話は楽しいと宇野さんが書いている。対話が大切であるということは、僕が最近ずっと聞いている苫野一徳さんの話などにも出て来る。しかし、でもなあ、と思う部分があった。それが本書の中で腑に落ちたような気がしている。この本の中のことだったと思っているが、それが定かではない。最後の宇野さんのことばでそれがあいまいになった。要するに僕は対話が苦手だ。アドリブが効かないというのか、パッと返せない。対話は大切だったとしても、対話だけで事を進めると、やはり対話が得意な人を優先することになってしまう。僕なんかはいつも、あとになってあのときこう言っておけばよかったなあなどと思うことが多い。だから、繰り返し読み返せて、繰り返し書き直せる文章の方がありがたい。いろんな形で政治に関わっていけると良いと思う。さて、25年にわたって、自分の勤務する校舎で発行する通信を書いてきた。毎年いろいろ考えながら、楽しみながら、苦悩しながら、連載を書いてきた。テーマを決めること自体も楽しかった。ここ数年は、なるべく調べずに書けるものにしていたが、一時はかなり図書館で本を借りて勉強して書いたものもある。それが自分の肥やしになってきたと思う。その通信が、あと3回で終了となってしまった。僕が、定年退職となる年度に入って、校長職からはずれるからだ。まあ、今後も、何かに追われることなく、のんびりと書き続けていきたい。この読後のレビューも、もともとは通信で紹介するために書き出したものだが、今では書くこと自体が楽しみになっている。その本の要約とかではなく、その本を読んで自分が何を思ったかを書いてきたから、後に読み直すのも楽しい。これは、本を読むことをやめない限りは続けていくことになるだろう。

  •  トクヴィルが見た社会や政治参加の「平等化」の趨勢の説明から本書は始まる。そして個々人がどう政治参加するか、社会がどう形作られるか、というのが本書を貫く問題意識だ。
     昔ながらの選挙や中間団体に代わり著者が注目するのが、執行権への直接的な働きかけを可能とし得るテクノロジーの発展、そして新たなアソシエーション(結社と言い換え可能?)としての、芸能やゲームへの「ファンダム」。
     いずれも発展途上の現象であり、著者も何かを断言するわけではないが、書名の「実験」としては面白い問題提起だった。

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著者プロフィール

東京大学社会科学研究所教授

「2023年 『法と哲学 第9号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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