物語 江南の歴史-もうひとつの中国史 (中公新書 2780)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121027801

作品紹介・あらすじ

「一つの中国」といっても、古来、大陸に君臨した北方「中原」と経済文化を司った南方「江南」は分立し、対峙してきた。長江が流れる湿潤温暖な江南で稲作が始まり、楚・呉・越の争覇から、蜀の勃興、六朝文化の興隆、南宋の繁栄、明の興起、革命の有為転変へ、多元的な中国史を形成してきた。北から南夷と蔑まれた辺境は、いかにして東アジア全域に冠絶した経済圏を築いたのか。中国五千年の歴史を江南の視座から描きなおす。

感想・レビュー・書評

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  • ◆多元性 鮮やかに描く[評]瀬川千秋(翻訳家)
    <書評>『物語 江南の歴史 もうひとつの中国史』岡本隆司 著:東京新聞 TOKYO Web
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/305547?rct=shohyo

    物語 江南の歴史 -岡本隆司 著|新書|中央公論新社
    https://www.chuko.co.jp/shinsho/2023/11/102780.html
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    (yamanedoさん)本の やまね洞から

  • 中国の歌やゲームで江南を題材にしたものがあり、江南は特別な場所であるという認識をしていた。江南だけに焦点を本は日本には少ないと個人的に思っていたため、本著にとても興味があった。

    結果的にやはり、中公新書のこの著者の本は、一般大衆向けではないように感じた。まあそれは当然のことかもしれない。中国の首都は北京で北方が主であることから、北がメジャーで、南がマイナー。江南は中国の南方の歴史なので、そもそも扱っている題材が一般大衆向けではないのか...?

    この本で一番良かったのは、最後について来る江南の歴史 関連年表だった。空白部分も多いが、分かりやすくまとまっていた。江南を中国の南方とかなり広範囲としていた。本を読む前、江南は杭州とその周辺地域と思っていたが。

    この著者の本にはいつも、通貨やモンゴル帝国、気候地形、宦官、シルクロード、科挙、アヘン戦争のくだりなど基本的な歴史の軸があるので既視感はいつもある。

    この著者の中国史に関する本を何冊か読んでみて、自分は個人的に、中国史はそこまで深く知りたい欲がなく、中国語の文法のほうが知りたい欲が明らかに多いことが分かった。

    江南には個人的に興味があるので、本著を2回読んだが、感想は1回目とおおむね同じ。

  • 漢民族の目は概して北に向いていた。太古の長城の時代からソ連との対立の時代まで。

    しかしソ連は解体し、ロシアもライバルからパートナーへと力が落ちて来た(=中国が強大化した)事により、ここ30年の間にすっかり南方(江南)が中華となった感がある。沿岸部の経済発展然り、香港・澳門の返還然り、台湾への攻勢然り。

    そして今その目は海に向かい日本やフィリピン、一帯一路にまで向かっている。その膨張をどう歯止めをかけるのか、そういう所に思いを馳せた一冊だった。

    江南の地位が低く見られていたのは、中国が政治に重く経済に軽かったから。経済に比べ政治のプレゼンスが低かった江南はどうしてもそう見られがちだった。
    中国の経済が台頭する今、必然的に江南の存在感は高まる。

    華北に対する江南の逆襲、と言った所か。

    ジュンク堂書店近鉄あべのハルカス店にて購入。

  • 手元に中国の地図と、年表置きながら読みたい(全然頭に入っていないので、ちょっとしんどかった)。
    一地域だけに限定して、その地域の気候や環境も踏まえて歴史を読むって面白いよねーって思える人におすすめ。

  •  書名から江蘇省、浙江省、安徽省あたりを想像していたが、実際には「南方」全般を扱う。後書きで著者が強調するのが中国の多元性。教科書的な北方中心とは違う角度で歴史を見る。
     南方の中でも本書の中心をなす長江流域は、まず六朝時代に文化と経済が発展し独自のプレゼンスを示す。唐代後期には塩の専売と両税法によりその財政基盤が重要に。北方の政治・軍事と南方の経済という分業は、南北朝時代は勢力対峙ともなる。宋代には流通経済の発展と都市化。著者は明の靖康の変も、南と北=カタイとマンジ(蛮子)、の対比の文脈で見る。
     同時に、南方の中でも均一ではない。福建・広東では特に海洋貿易が意識される。しかし辺境のはずの福建で朱子学が起こり、科挙合格者が全土トップというのが不思議だ。四川は断続的に自立勢力が起き、17世紀には人口の大量流入。湖広は明代に農業開発、太平天国からは特に出身者が政治的に存在感。

  • 中国の南部 江南地方の歴史がよくわかった

  • 中国の歴史は長く、地域も広い。
    “江南”という地域を限定しても、やはり通史概論的にならざるを得ない。

    この本では、現在の地名でおもに「四川」「江蘇 安微 広西 浙江」「福建 広東」「湖北 湖南」の四つの地域でまとめてある。
    その為か何度も同じ時代が地域を替えて出てくるなど、なかなか読み込みに力がいった。

    それでも、政治 経済 文化などが丁寧に解説されており、「中国史」としてはやや脇役的立場の地域が果たした役割が、よく知られている「中国史」への影響と結びついて、とても新鮮だった。

  • 江南と呼ばれる中国の南方地域を中心として中国の歴史を読み解いていこうという、ユニークな視点を持った中国史の本。

    江南は政治的な中心となったことはそれほど多くはないが、経済や文化の面では中国史に多くのものをもたらしている。また、多くの政治家や革命の運動が黄河流域の中原を離れたこの地から生まれているという意味でも、中国の歴史を語るうえでは欠かすことのできない地域である。


    この江南は主に長江流域に広がるが、歴史的には上流域、中流域、下流域がそれぞれ異なるタイミングで発展した。

    上流域は古くは巴蜀と呼ばれ、現代は四川省にあたる地域である。この地はチベット高原から流れ下った長江がはじめてまとまった扇状地を形成する場所であり、気候も温暖であることから考古学的時代から人が多く住み、農耕を中心に文化も発展していたようである。この地から起こった政権が中国全土に覇を唱えることはなかったものの、絹織物などの産業が早くから興り、その経済的な土台から李白・杜甫や、三蘇といわれる蘇洵・蘇軾・蘇轍等の文化人を生んだ。また、中国の奥座敷として、三国志の蜀をはじめとする多くの政権がこの地に一時逃れて再起を図るといった場所になっていた。

    下流域は上流域に次いで発展した地域で、春秋時代の呉・越が登場するころから歴史に名を残すようになる。この地域が大きく発展したのは三国志の呉からその後の六朝時代である。低湿地を大規模に干拓して農地化する技術が開発され、多くの人口が流入した。それにともなってこの時代に六朝文化と呼ばれる豊潤な文化が栄えた。以降も南朝の文化は中国を代表する作品を多く残している。この地はまた海に面しているということから日本とのつながりも深く、日本においては中国と言えばこの地域との交易を通じて触れる世界であったとも言える。

    最後に発展したのが中流域で、荊湖、そして湖広などと呼ばれるようになる地域である。この地域は比較的小さな盆地が多い地形であるため、大きな産業が育ちにくく政治的にも小国が分立していた。この地域に多くの人口が流入したのは唐宋時代に中国全土、特に南部で人口が増加した時期である。その後、主に農業地域として中国の経済を支えているが、一方で、曾国藩、毛沢東など、現代中国史で中心的な役割を果たす人物がこの地で旗揚げをするなど、歴史の重要な舞台にもなっている。


    中国の歴史が北の中原と南の江南の対比を通じて形成されてきたという事実には、中国大陸は北方の騎馬民族と南方の農業を中心とした文化圏の境界線上に位置しているという、地理的な背景もある。中国の歴史はこの南北の相剋が中心的なテーマになっていたといってもいいのではないかと思う。

    このことは、中国を外から見る上でも一つの分かりやすい整理軸となっていたようで、ヨーロッパ人は、中国の北方を契丹からなまった「カタイ」と呼び、南方を蛮子からなまった「マンジ」と呼んでいたという。カタイが契丹、女真、モンゴル等様々な騎馬民族の度重なる来襲にさらされていたのに対し、マンジは農業をはじめとする生産力の高まりとともに商業が発展し、その経済力を背景に文化や学問が発展する地域となった。

    朱子学や陽明学といった学問も、このような江南の土壌から生まれてきた。そして南方では、中国独自の科挙制度を背景に、一族から中央官庁の役人を出すことで発展する「郷紳」呼ばれるエリート層も生まれる。

    彼らは、中央に取り立てられるときには仕官するが、一方で明朝のように江南出身の官僚をたびたび粛清、弾圧した政権になれば、任官せずに地方にとどまり、文化活動や経済活動に従事する。このような中央との距離感が、単線的な経路をたどらない中国の歴史や文化に奥行きを与えているように感じた。


    江南、特に下流域の発展が中国の歴史にもたらしたもう一つの大きな影響が、海上交易の発展である。これは宋や明の時代に、中央の統制する経済とは離れた独自の経済活動として始められたものであり、「倭寇」などがその代表例である。このような経済圏は、韓国、日本はもとより、台湾や東南アジアにも広がっていく。この中から、現在の福建地方である閩や広東、台湾といった地域にも、中国の経済圏が広がっていくことになる。

    中国はもともと内陸部を中心とした大陸国家である。中原も黄河の中流域に広がる地域であり、長江流域で最初に発展したのも上流域である。しかし、これらの海上交易の発展により、徐々に沿岸部にも居住地が広がっていき、都市化が進んだ。明以降の中国は、それまでの南北に分かれる構造から、発展する沿岸部と辺境の内陸部という形に転換をしたといってもよい。この構造は現代まで続いているが、その先導を江南が担っていたとも言える。


    江南の歴史を丁寧に見ていくと、このように中国の歴史が王朝の変遷だけではなく経済や文化の発信地の変化という面も含めて、立体的に見えてくるようになる。江南は政治的な中心にはならなかったが、中原と関係を持たなかったわけではない。むしろ、中国という大きな大陸国家の構造を規定するような様々な影響を与えている。辺境から起こる変化が伝播し国の構造や文化にも影響を与えていくというこの国の歴史のダイナミクスを感じることができた。

    また日本にとっても、中国を知るにあたって、江南地域との交流が非常に深く、むしろ中原よりもより深い人的、文化的な繋がりがあったとも言える。中国という国を捉える上でも、このように多様な文化や歴史的背景があるということを理解した上で、一元的な見方に陥らないようにしていく必要があると思う。

  • 京都府立大学附属図書館OPAC↓
    https://opacs.pref.kyoto.lg.jp/opac/volume/1282462?locate=ja&target=l?

  • かつて中華史観にあって江南地域は辺境(蛮)だったが、人口の流入などで農地が開発され、王朝がそこに逃れたり、または王朝が興ったりするうちに、中華の軸が南の海側にシフトし、交易による富も蓄積すると、近世になる頃には中国を養うエリアとなって存在感を一新した。ただ、南から統一を果たした明が、北を本拠にしていた朱棣に簒奪された経緯や、またのち北の満洲が清朝をたてるなど、近代以前は一貫して"強さ"は北にあり、"豊かさ"の南と対を成すのが基本構造だった。もうひとつの中国史という副題は、温暖地域から見た中国史とも言い換えられるし、海を加えた中国史であるかもしれない。長い歴史と広い国土におけるそんな変遷が、今後の中国史にどう作用するのだろうか。

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著者プロフィール

1965年、京都市に生まれる。現在、京都府立大学文学部教授。著書、『近代中国と海関』(名古屋大学出版会、1999年、大平正芳記念賞)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会、2004年、サントリー学芸賞)、『中国経済史』(編著、名古屋大学出版会、2013年)、『出使日記の時代』(共著、名古屋大学出版会、2014年)、『宗主権の世界史』(編著、名古屋大学出版会、2014年)、『中国の誕生』(名古屋大学出版会、2017年、アジア・太平洋賞特別賞、樫山純三賞)ほか

「2021年 『交隣と東アジア 近世から近代へ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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