謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年 (中公新書 2783)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 21
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121027832

作品紹介・あらすじ

平安遷都(794年)に始まる200年は激変の時代だった。律令国家は大きな政府から小さな政府へと変わり、豊かになった。その富はどこへ行ったのか? 奈良時代宮廷を支えた女官たちはどこへ行ったのか? 新しく生まれた摂関家とはなにか? 桓武天皇・在原業平・菅原道真・藤原基経らの超個性的メンバー、斎宮女御・中宮定子・紫式部ら綺羅星の女性たちが織り成すドラマとは? 「この国のかたち」を決めた平安前期のすべてが明かされる。

感想・レビュー・書評

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  • 書店で目次を開き面白そうと思い購入。以下にまず目次を記します。

    はじめにー平安時代は一つの時代なのか?/序章 平安時代前期二〇〇年に何が起こったのか/第1章 すべては桓武天皇の行き当たりばっかりから始まった/第2章 貴族と文人はライバルだった/第3章 宮廷女性は政治の中心にいた/第4章 男性天皇の継承の始まりと「護送船団」の誕生/第5章 内親王が結婚できなくなった/第6章 斎宮・斎院・斎女は政治と切り離せない/第7章 文徳天皇という「時代」を考えた/第8章 紀貫之という男から平安文学が面白い理由を考えた/第9章 『源氏物語』の時代がやってきた/第10章 平安前期二〇〇年の行きついたところ

    平安時代というと、煌びやかな王朝文化が花開いた割合安定した時代というイメージがあるが、なんとも漠然としており自分な中ではっきりとしたイメージが持てない。平安時代ってほぼ400年続いているわけですが、それすらあまり意識しておらずこの時代を描いた歴史小説をあまり読んでないのもあって、なんとなく安定したいい時代くらいの認識しかなかった。

    で、本書だが、目次を紹介させていただいたが、中々面白げな章題が並んでいる。いざ読むと歯応えがあり、夥しい人名の渦の中で理解が進まず途中からは斜め読みになってしまった。それでも、第10章に辿り着き、ここに著者の言いたい事はコンパクトに集約されていた。

    一番の驚きは、女性の地位が奈良時代に比べて、大きく低下していると著者が認めていること。宮中(政治)の中で能力のある女性の活躍する場が減ったことが、サロン化された後宮の中で花開き、女流文学の隆盛に寄与しているという見立て。現実に紫式部も和泉式部、清少納言も本名すら伝わってないと言う。日本の女性問題には長い長い歴史があるんですね。

    参考文献も沢山紹介されているのも親切だが、果たして自分の理解出来る本がどれくらいあるだろうか。

  • 平安時代の前半の政治から文学まで幅広く開設された一冊。皇族や貴族など多数の人名が出てきて、ちょっと難しく途中斜め読みになってしまった部分もありますが、最後まで読了。
    一番印象に残ったのは、奈良時代は女性が女官として活躍していたのに、平安時代になると女性の活躍する場が失われていってしまったこと。奈良時代は天皇のそば近くに支えていた女官の姓名が記録に残っているのに、平安時代はそうではないこと。清少納言、紫式部や赤染衛門といった後世に名を残す才女も公的な女官ではなく、貴族に私的に雇われた女房にすぎないし、本当の名前も伝えられていない。平安時代は女性が活躍してたとばかり思っていたけど、女性の地位は奈良時代よりも低くなっていたとは知らなかった。

  • 大河ドラマの考証担当の歴史学者のインタビューか何かでおすすめされていたので、興味を持って手にとった。平安遷都から鎌倉の武士政権の誕生まで400年というのは江戸時代より長いわけで、たしかにその割に知識は薄く、内乱のような特筆できる史実が少ないのは安定していた時代だからとも考えられるけど、貴族の国風文化とか藤原氏の興隆といったざっくりした印象でしかとらえていない。

  • [図書館]
    読了:2024/5/4

    たぶん応天の門つながりで予約したやつ…。

    応天の門とか他作品で人物の人となりが頭に入ってる部分「第四章 男性天皇の継承の始まりと「護送船団」の誕生」などは頭に入ってきやすいが、安和の変の説明p. 123「清和源氏の源満仲の「冷泉天皇に代わり、皇弟為平親王を擁立しようとする謀反計画がある」と言う密告が、為平の妻の父である、左大臣源高明に飛び火して、ついに高明太宰府左遷に至る大事件に発展したものである。(中略)(源高明は師輔の妻の同母弟かつ師輔の女婿であり)準摂関家とも言える立場だったが、師輔が右大臣在位中に五十二歳で亡くなり、その後援を失った後は、為平親王の外戚となることをかえって警戒されたのである。」のあたりは出てくる名前が多過ぎ(本当は師輔の妻や娘の名前も一文中に全部書いてある)て一読では頭に入らなかった…知ってる人なら分かるんだろうけど。もうちょい家系図を小まめに入れてほしかったかも。

    p. 105「良房は清和の外戚となるため、その異母兄で文徳も期待していた惟喬親王を排除し、幼い清和を傀儡として皇位につけた、とよく言われるが、意外に見落とされているのは、清和が父系でも母系でも嵯峨の曾孫だと言うことである。言うまでもなく、父系では嵯峨-仁明-文徳-清和だが、母系でも嵯峨-源潔姫-藤原明子-清和なのである。このように清和は他の皇族より優れた出自で、その母の明子は準皇族的な立場なので、清和即位後にすぐに皇太后となる。そして父の良房が、単なる外戚ではなく、天皇を中心に据えた父系母系集団の最年長者として、この集団指導体制を牽引する。つまり嵯峨上皇と同じ立場になる。良房は嵯峨の遺産を最大限活用して、文句の出ない形で自らの地位を固めたのである。」
    →母系でも〜のところは言われてみれば確かに、と言った感じだった。良房には子が明子しかいないのは、天皇の娘を正妻にもらった(異例中の異例)結果、側室を置くことが出来なかったから、というのも言われてみればそうだよなぁ、となった。

    p. 114 「不運なことに基経は寛平三年(八九一)に死去してしまった。ここで気づいて欲しいのは、基経家というものがまだなかった、ということだ。基経は長良の子から、いわば養子のような形で、良房に引き抜かれた。(略)そして義房は基経とその妹の高子に後事を託したのだが、高子とは陽成廃位に至る仲違いをしてしまった。基経は孤独な最高権力者だった。」
    →応天の門で一番好きな基経なのでここの文にはグッときた。

  • 女子栄養大学図書館OPAC▼https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000068834

  • 一般的になよっとしたイメージを持たれがちな平安時代であるが、有名な紫式部や藤原道長などが活躍したのは平安時代の後半であり、平安遷都からの約200年間=「平安前期」は、時代の転換期で面白く変化に富んだ時代だったという問題意識から、桓武天皇の事績とその後の皇位継承、貴族と文人の関係、宮廷女官、斎宮・斎院、紀貫之を通して見る平安文学など、平安前期の様々なエピソードを解説。
    確かに著者がいうように、平安時代としてイメージするのは平安時代の後半期のことが多く、平安前期については、高校の日本史で習った通り一遍のことは知っていても、その具体的なイメージはあまり持っていなかったので、本書の内容はとても興味深かった。「平安前期200年は、奈良時代に作られた律令国家を基盤として、律令国家という外枠を残しながら、古代から中世に向けてのいろいろな試行錯誤が行われた時代」だということがよくわかった。
    特に、平安前期には地方出身のインテリが文人として出世する道があったが後期には閉ざされていったこと、また、平安前期までは宮廷女官も政治の中心にいたが、その後女性が宮中で活躍できる場が少なくなり、女房のサロンに能力のある女性が集約されたことで、女性による王朝文学が華開いたということ、あるいは、和歌の名手は出世とは無縁の人が多かったことなどは、目から鱗だった。
    また、天皇・皇室に関心が強い自分としては、平安前期の天皇や皇室についての知識を深めることができたのも有意義であった。
    著者は、斎宮歴史博物館の学芸員として長年斎宮の研究や普及に取り組んでおり、本書もその研究成果がふんだんに盛り込まれている(斎宮についての記述が異様に充実している)。また、一般向けの展示解説などの経験が豊富なこともあって、ポケモンやコミケなどの卑近なたとえ話が多いなど、文章もとてもわかりやすかった。

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/570775

  • イメージが湧きにくい平安時代の前期200年を天皇、文人官僚、貴族、宮廷女性など多様な視角から描き出そうとする試み。人名などに馴染みがないので読み進めるのが難儀な箇所も多いが、時折平たく噛み砕いて説明してあるので、何とか読み通すことが出来た。

    最後の第10章に全体のまとめがあり、これはわかりやすい。序章の年表もわかりやすい。ただ中身はそう簡単に理解できない。とくに第5章、第6章は読み返さないとついていけない気がした。

    やや強引にまとめると、中国の律令制を模倣しようとして完コピに失敗した日本があらためて国家目標としたのは、「天皇を中心とした官僚制度」の確立であり、それは桓武天皇から始まりようやく醍醐天皇の時代に完成する。しかし、醍醐天皇の親政時代は同時に藤原支配体制の始まりでもあった。菅原道真排除に成功した時平・忠平以降の「護送船団方式」内の権力争いに最終的に勝利したのが、花山天皇の退位事件であり、新たな摂関政治が始まる。以後の200年近くが平安後期ということになる。

  • 東2法経図・6F開架:B1/5/2783/K

  • 平安時代前期の政治や文化の流れがよくわかった

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著者プロフィール

榎村寛之(えむら・ひろゆき)
1959年大阪府生まれ。
関西大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得修了。
博士(文学)。
1997年より三重県立斎宮歴史博物館の建設及び研究・運営に関わる。
著書に『律令天皇制祭祀の研究』『伊勢斎宮と斎王』『伊勢斎宮の歴史と文化』『伊勢斎宮の祭祀と制度』など。

「2020年 『律令天皇制祭祀と古代王権』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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