純文学とは何か (中公新書ラクレ 604)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121506047

作品紹介・あらすじ

芥川賞と直木賞の候補作選びにはじまり、村上春樹はノーベル文学賞をいつとるのか、など、季節ごとに繰り返される文学的時事ネタがある。話題の根底にあるのは、「文学」そのものへの関心であり、境界がみえなくなりつつあるといわれる「純文学」と「大衆文学」の違いである。しかし、本当に「純文学」と「大衆文学」の区別はなくなったのだろうか。
「母子寮前」で第一四四回芥川賞(平成二二年下期)、「ヌエのいた家」で第一五二回芥川賞(平成二六年下期)の候補になったこともある著者が、『久米正雄伝』で「純文学では食べていけない=純文学余技説」を論じ、『芥川賞の偏差値』で詳細なデータブックをつくり、いま、満を持してはなつ、「純文学とは何か」。
日本における「純文学」と「大衆文学」それぞれの歴史を、過去の具体的な作品をとりあげながら考察する。また、専門分野である比較文学の立場から、ノーベル文学賞をはじめとする海外での文学賞のあり方や、とくに特徴的な英語圏における「文学」の定義づけ、そして映画、コミック、ラノベなどのジャンルにおける今日的「文学」のあり方を描く。

感想・レビュー・書評

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  •  小谷野節というか、本当に面白く文学の世界の魅力について書いているので、読書をする人間でよかったと思える。めちゃくちゃ楽しめる。純文学とは何かを知る本というより、「源氏が純文学なのかどうかは時代によって変わるかもしれない」かつ「でも、純文学、大衆文学の区別はある」であり、「これだ!」というのは示されていない。(と思う)
     様々なジャンルとそれに該当する作品を取り上げて縦横無尽に書きあげられているので、この本自体が、「作者と一緒に図書館を歩き回っているような魅力」を持っている。

     私も小説を趣味で書いているのだが、それを人に言ったらまあ必ず「どんなものを書いているんですか」と言われる。そういう時、「純文学です」と返事するのがものすごく恥ずかしくて、「ええと、ひきこもりのおっさんみたいな話を書いています」とか言ってしまう。でも、なにもウケない。読んでくれとしか言えない。読んでもらえたら、結構面白がってくれる。たぶん純文学という言葉は、どこか「私? ええ、普段は哲学者です」と飲み屋で言い返すのに近く、どことなく、「純文学」という言葉が大きすぎる。酒場で恋愛話をしているとき、「ええ、純愛主義です」とか「ええ、処女です(童貞です)」というような告白に近い怖さを感じる。
     それに、「書いているのが純文学です」というと、酒場のオヤジどもは必ず、「あんた純文学ってのがわかってんのか!」「日本の文学は、世界文学になられへんねん! 社会が書かれていないから! サルトルを知ってるのか!」みたいな、若者いじりになってしまう。つまりこれは「あんた、人生の深さをわかってんのか!」ということだ。純文学とは、そういう「人生の味わい深さ」を書いた「告白らしきもの」である。「生きづらさが生きづらさのまま終わる告白」ということを書いていなければならない。けれど、ハッピーになっても純文学っぽいものはある。(多分)

     私は同人誌活動をしているので、よく、「昔ながらの同人誌に載る話で、現在優秀とされる作品」「地方の文芸賞とかで通る作品」に目を通したりするが、今、現在、最も認められやすい作品は、今村夏子が書くような作品である。というか、「たべるのがおそい」という雑誌で今村夏子が作品を載せていたのだが、「うわ! 同人誌によくある作品のまんまや!」となったのであるし、印象としては、芥川賞受賞した「穴」とかとも変わらない。
     たいがい主人公は更年期障害か一歩手前の女性で、まわりは出産したり子育てをばりばりしていて一生懸命。こっちは子供を産めない身体とか何らかの障害がある。自分はそんな豊かではなく、家族も味方なのか敵なのかわからない。プレッシャーとマウンティングにさらされる。夫は奇妙に透明な存在かつ、女の方がビールを注いだりしていてなぜか亭主関白。不幸が重なり、途中から幻覚や不思議な現象に巻き込まれ、現実なのかどうかわからなくなる。最終的にその幻覚から卒業するか、それがさらに悪化することを受け入れて、最後に夫あたりが「俺、実はビール嫌いなんだよね」みたいなことを言って、窓の外にビールを投げ捨てるみたいな印象的なことをして終わる。いま即興で書いてみたが、そんな作品ばっかりである。「これから没落していく女性」を書きつつ、生理で下着が血まみれになって……みたい描写を書くと、同人誌評で、女性の心理がよく書けているということにつながっていく。(のかもしれない。)
     じゃあ男性が書くとするならば、女性がいかにクソみたいにズルいかを「告白」することかもしれない。告発を花束に仕上げてプレゼントするのだ。そして、事件や問題解決を花束に仕上げてプレゼントするのが、大衆文学だろう。
     純文学は、時代をかなりしぼって映す告白性があるので、たぶん、どれも似たようになるのは、仕方ないのだろう。

    • nejidonさん
      瓜さん、はじめまして♪
      フォローしてくださり、ありがとうございます。
      こちらのレビューがあまりに面白かったので、コメントします。
      軽い...
      瓜さん、はじめまして♪
      フォローしてくださり、ありがとうございます。
      こちらのレビューがあまりに面白かったので、コメントします。
      軽い自虐が入ると、読む側にとっては面白いのですよね。
      純文学の作品、いつか手に取って読んでみたいです。
      リフォローさせていただきますので、よろしくお願いします。
      2018/01/03
    • ハタハタさん
      nejidonさん
      いらっしゃいませ!レビューお読みいただき、ありがとうございます^^
      純文学論って本当に難しいので、卑近な例で述べてみ...
      nejidonさん
      いらっしゃいませ!レビューお読みいただき、ありがとうございます^^
      純文学論って本当に難しいので、卑近な例で述べてみました。これからもどうぞよろしくお願いします~☆
      2018/01/03
  •  文学と大衆小説があるというのを知ったのは予備校の現代文の授業で、人によって定義があるようだ。この本では「純文学」に限っては、明確に私小説に限定していてとてもすっきりする。「文学」と「純文学」でまた違うのかもしれない。ノベルズを出版すると、純文学作家に入れてもらえないといった因習があるのが面白かった。

     外国の小説家の名前や作品が列挙されているところはさっぱり分からなくて、注釈があったらいいと思ったけど、ちょっとした注釈なら分からない上に読むのが面倒になるので、これでいいのかもしれない。

    ※著者ご本人より指摘いただき、「私小説」に限定はしていないそうです。また、ノベルスを出した作家は「純文学作家に入れてもらえない」のではなく直木賞が取れないとのことでした。うろ覚えで適当な感想を書いてしまい、失礼しました!!

  • ともかく知っている「情報」をどんどん打ち込んでいく作業を続けるとこの本ができる。言いたいことは、何もないのだが、、。

  •  純文学の定義をめぐる論争のたぐいは、過去の文壇にもあった。が、「純文学とは何か」という問いに一冊丸ごと費やして答えるこのような一般書は、ありそうでなかったと思う。

     しかも、「古今東西すべての広い意味での文藝について、一応の位置づけをしたい」(「はじめに」)との企図から書かれた本であり、扱う範囲が広く網羅的である。
     戦後日本文学のみを対象とした狭い議論になりそうなテーマを扱いながら、海外の状況に触れ、『源氏物語』などの古典を俎上に載せ、果ては映画やマンガ、音楽などにおける「純文学」についてまで言及しているのだ。

     比較文学者で、小説の実作者でもある著者ならではの、よい仕事だと思う。

     蒙を啓かれる卓見も、随所にある。私が付箋を打った箇所を引用しておく。

    〝どうやら、実在の人物を描いた歴史小説の数は日本が圧倒的に多く、そのことは、海外には「純/通俗」の区別がないという俗説が形成される一因をなしていると言えるだろう。海外では、通俗小説は、推理小説とその変形の冒険小説、ロマンスが一般的で、歴史・時代小説があまりないのである。〟

    〝「黒人問題」などのまじめな主題を扱っているから純文学だ、というのは、学生などがよくやる過ちで、たとえば南北戦争の一因をなしたとされるストウ夫人のベストセラー『アンクル・トムの小屋』(一八五二)は、通俗小説とされている。お涙ちょうだいだからである。
     近代の「純文学」は、人間の醜い面をシニカルに描くというのが基本線なので、「人情」を熱く語った小説は「通俗」にされるのである。〟

     帯に引用されている柳本光晴のマンガ『響 ~小説家になる方法~』の人気(実写映画化も決まったそうだ)が、本書を生んだ一つのきっかけなのかも。
     ちなみに、本文にも一ヶ所だけ『響』への言及がある。

  • いまいち純文学って?大衆小説って?となっていたので、購入してみた。
    でも不勉強なので、作家や作品をたくさんあげられても全然分からないあたり、自分にがっかりする。

    そもそも大衆小説が歴史や時代小説をさし、通俗小説とは違うというのは知らなくて、びっくりした。

    時折話題になる、あの界隈でのこの手の区別、この本を読んでみても私にはどうってことのないことだった。好きなものを買って読む、それがどんな小説でもいいいのだから。研究者なら別だけれど。あいにく私は一読者に過ぎない。
    ジャンル分けは便利だけれど、便利さゆえに何か楽しみが一つ消えてしまった感がある。興味のない分野はさほど足を運ばないもの。そこまで読書が好きかと言えばそうではないし、時間もない。読みたいもの=好きなジャンルしか行かなくなる。

    なんか話がずれてしまった。
    何が正しいのかなんてない、なんで、どうしての境が曖昧、それがまた文学の面白さなのだろう。人間だもの(笑)

  • タイトルに釣られて買いましたが、他の文化や「純文学でないもの」を取り上げる箇所が多く、純文学の定義も古いとしか言えません。
    私は後半部分しか満足しませんでした。
    それでも柳田さんの話は面白かったです。
    文学フリマってそんなエピソードがあったのですね。
    私は個人的に純文学が死んだなら産みなおすのも楽しいかと思います。

  • 2017/11/09

  • 興味深く読んだが「純文学とは」というよりも著者の文学感をあらわしたもの

  • 「純」と「大衆」の違いについて、はっきりとした明確な定義を与えるのではなく、文学の範疇に留まらない例を挙げてその輪郭を浮かび上がらせて行く。ただ、挙げられた作品名を見ても全くピンと来なかった自分には、理解するための読書量が余りにも足りていなかったみたい。

  • 「純文学とは何か」(2017.11)、小谷野敦氏の作品ですから難しいとは思いましたが、一読しました。芥川賞と直木賞、三島由紀夫賞と山本周五郎章・・・、純文学と大衆文学、この本を読んでもその境界は不明でした。ただ、最近の芥川賞はつまらない感じがして、芥川龍之介に(私が云うのもなんですがw)申し訳ない気持ちです。純文学という言葉には高尚な響きを抱きますが、私の場合、「読んで楽しいか」「読んでためになるか」「読んで共感を得るか」、そんな気持ちで本と接しています。

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著者プロフィール

小谷野 敦(こやの・あつし):1962年茨城県生まれ。東京大学文学部大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士。大阪大学助教授、東大非常勤講師などを経て、作家、文筆家。著書に『もてない男』『宗教に関心がなければいけないのか』『大相撲40年史』(ちくま新書)、『聖母のいない国』(河出文庫、サントリー学芸賞受賞)、『現代文学論争』(筑摩選書)、『谷崎潤一郎伝』『里見弴伝』『久米正雄伝』『川端康成伝』(以上、中央公論新社)ほか多数。小説に『悲望』(幻冬舎文庫)、『母子寮前』(文藝春秋)など。

「2023年 『直木賞をとれなかった名作たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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