エリートと教養-ポストコロナの日本考 (中公新書ラクレ 753)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121507532

作品紹介・あらすじ

政治家は「言葉の力」で人々の共感を醸成できるのか? 専門家は学知を社会にどのように届けるべきか?――不信感と反感が渦巻く今こそ、エリートの真価が試されている。そこで改めて教養とは何か、エリートの条件とは何か、根本から本質を問うた。政治、日本語、音楽、生命……文理の枠に収まらない多角的な切り口から、リベラル・アーツとは異なる「教養」の本質をあぶりだす。科学史・文明史の碩学からのメッセージ。

政治家や官僚、大学人、企業で指導的な立場にある人、医師やエンジニアなどのリーダーを対象読者にする。エリートと教養の本質を再確認させてくれる、日本人必読の書。

感想・レビュー・書評

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  • 政治家の教養不足
    日本の政治における「教養不足」、今の政治家は国民の不満を満たす言葉を巧みに使うがそこに教養溢れる新たな社会システムを生み出す仕組み作りをしていない、ということだろうか。現実、日本のエリート=教養ある専門家を活用した政策で推し進める社会システム構築は他国と比べて相当遅れている。それは、日本がいつまでも古風な習慣と利権で固定化させていることでデジタル社会の出遅れを一層深めているのだ。小手先の給付金、補助金などは源は国民の税金で回しているだけで結局国民の税負担はその後に回るだけだ。

  • 政治、感染症、エリート、日本語、音楽、生命の6つの分野において、教養とは何かを考えさせる本。著者が1936年生まれとあり、若者には馴染みのない話やお説教めいたお言葉もありますが、「なるほどね〜」「そういうのを教養があるというのか」という気付くことはたくさんありました。自分の教養のなさを率直に指摘してくれるひとが周りにいないので、いい刺激になりました。

    p16
    「教養ある」ということは、しばしば「知識豊かな」と同義と考えられがちですが、私は、それは事の本質ではないと思います。(中略)「教養がある」ことの意味の一つは、何事にも「慎みがある」ということなのではないでしょうか。

    p20
    「教養ある」とは、人間が仲間内で静穏に生きていくために弁えておくべき行動習慣(私はかつてそれを「規矩」という言葉で表現しました)を実践できることです。

    p22
    自らの規矩はしっかりと定め、守りながら、それ以外の規矩に従って行動する人々を理解するだけの自由度を、自らのなかに持ち続けること、これも「教養ある」ことの一つの局面であります。

    p23
    言い換えれば、「教養ある」ことの一つの結果は、どんな他者とも、意思の疎通を(少なくともある程度の充分さをもって)行うことができる状態、と言ってもよいのでは、と考えています。

    p65
    つまり人間がある才能を有する、ということは、神から特別に「贈り物」を頂戴したことに他ならないのです。その結果、その人は、その才能の点で、衆に抜きんでることになる。それだけのことですが、神は、その才能を自分と人々のために使うことを期待して、彼(女)に才能を贈ったのですから、贈られた側は、それだけの義務と責任が生じます。それが〈Nobless oblige〉ということでもあります(このフランス語は、「高貴なる者の義務」のように、熟語として解されることが多いのですが、本来は「高貴なる者には、それなりの義務を課される」という一つの文章です)。つまり、エリートとは、普通の人々よりも、より多くの、より大きな、義務と責任を背負った人間であることになります。

    p171
    (前略)歌としての七・五の調子は、平安時代に一世を風靡した、「今様」に直接は由来する、というのが定説のようです。「今様」は、文字通り「今風」であり、当時流行した「流行歌」一般を指す言葉です。後白河法皇が熱中しすぎて、一時期声が出なくなった、という話が伝わっています。その真偽はともかく、後白河法皇の命で『梁塵秘抄』という歌集が編まれたことは、法王の趣向を端的に表しています。
    実は、こうした世界が「音楽」の意味であることは、この「梁塵」という言葉からも推測できます。この漢語は、「魯の虞なる人が歌を歌うと、その声があまりにも朗々として見事だったので、梁の上の塵までが動いた」(「発声清越、歌動梁塵」)という故事に由来しています。

  • 教養を身につけたくて新書を読んでいるというわけではないのだが、できれば教養ある人間でいたいとは思う。教養とはいったい何か。本書の中で、いくつものテーマで語られている。まあとにかく、矢継ぎ早に余談が登場するので、本筋がどこにあるのかを見失いそうになる。これは、私が学生時代に聴いた集中講義でも同じだった。今でも覚えているエピソードは、現代では外科医と言えば医者の花形であるが、中世(たぶん近世も。このあたり教養がないゆえの自信のなさ)外科手術のような刃物を扱う作業は床屋などが行っていた。そのためか、現在、理髪店の前で回っている赤青白のヤツ(サインポールというらしい)の3色は動脈・静脈・体液を意味しているとのこと。また、サイエンティストということばは19世紀に入ってからできたのだが、当初istと呼ばれることを嫌った自然哲学者が多かったようだ。ianなら許せるのだとか。その辺の意味の違いは教養のあるなしに入るだろうか。ただし、本書では、「知識がある」=「教養がある」とは考えられていない。慎み深いとか、ディーセンシー(decency)ということばが使われている。あるいは、「人間が仲間内で静穏に生きていくために弁えておくべき行動習慣(規矩という)を実践できること」と書かれている。なかなか難しい。具体例として、言葉の問題が上がっているが、私も「ら抜き言葉」などを使わないように気をつけているがあやしい限りである。肯定的な意味での「やばい」はできれば使いたくない。パソコンはなんとか許してほしい。まあできるだけPCと書くようにするか。「ライン」はもうどうしようもない。cultureが耕すから来ているということは知っていたが、その派生語であるcultivateについては気付いていなかった。花園高校にそういうコースができているのにもかかわらず。これもまた教養のなさか。いや、単に知識がないだけか。いやいや、知らないことばがあったのに調べようとしない姿勢が教養のなさか。村上先生ご自身、大変厳しい規矩をお持ちのようだが、どうやらそれはお父様から受け継がれているようだ。そういう様子が本書の中で垣間見える。(規矩ということばの使い方は正しいのだろうか。)

  • ふむ

  • 村上陽一郎氏の歯に絹着せぬ物言いが好きだ。
    『あらためて教養とは』は語り下ろしであった。本書は書き下ろしである。文章の端々からも氏の教養が滲み出ている。例えば、「雅味」(がみ/雅な味わい)という言葉を私は知らなかった。
    氏の広範な知識を老害と捉える読者もいるだろう。よく分からないことを長々と語られたら嫌気がさすのも当然だ。しかし、若者にさえ大人が媚びる今の時代に、読者に媚びずに持論を展開する物書きも珍しい。その意味で本書は村上氏の持論に触れたい人だけが読めば良いだろう。
    自分の至らなさを誰からも指摘してもらえない年齢になってしまった。もはや自分で自分を教養するしかあるまい。
    ちなみに、村上氏は原稿をPCで書いていることが分かった。論文を書くことを生業にした学者だから当然ではあるが、そのためいささかペンが走っているところがあるように思った。

  • ひどくスノッブで保守的な老人が書いた本であると感じた。

  • 多数の文献に溺れることで、自分で考える力を失った無教養人を模すことに人生を捧げた最高の教養人の姿がここに!

  •  いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。
     村上陽一郎氏単独の著作としては「やりなおし教養講座」を読んで以来になりますが、いまだ現役の碩学である村上氏の“教養”“リベラル・アーツ”論だと聞くとちょっと気になります。
     中身は、堅苦しい論考というよりは、様々な“教養”の現出シーンをモチーフにした“村上流エッセイ”といった趣も感じられる興味深い著作でした。

  • 教養の本質を問う。皆が欲望のまま好き勝手に行動すれば他者と共存できなくなるため、教養あることは無分別な行動を戒める理性に繋がる。理性的に行動しようと思えば、視野広く物事を考えなくてはならず、自然と知識も増えていきそう。言葉や習慣など、現代の感覚で安易に取捨選択するのではなく、それが持つ意味や背景を熟知し、慎みを持って他者のために尽力できる人こそ真のエリートなのだろう。本書を読んでそう感じた。

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著者プロフィール

1936年東京生まれ。科学史家、科学哲学者。東京大学教養学部卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学教養学部教授、同先端科学技術研究センター長、国際基督教大学教養学部教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。東京大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授。『ペスト大流行』『コロナ後の世界を生きる』(ともに岩波新書)、『科学の現代を問う』(講談社現代新書)、『あらためて教養とは』(新潮文庫)、『人間にとって科学とは何か』(新潮選書)、『死ねない時代の哲学』(文春新書)など著書多数。

「2022年 『「専門家」とは誰か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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