生体解剖: 九州大学医学部事件 (中公文庫 M 168-2)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122009509

感想・レビュー・書評

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  • 人間はどこまで残酷になれるのか。実験台にされた方々には本当に申し訳なく思う。

  • 1982年(底本1979年)刊。

     本書は、墜落B29のパイロットを麻酔剤で眠らせたまま解剖実験を実施、戦後戦犯に問われた九州大学医学部と陸軍関係者をリサーチした書である。
     具体的には、敵パイロットを捕縛した陸軍は、九大医学部の関係者と語らい生体解剖を画策。具体的には、癲癇に関わる脳や肺・肝臓等の摘出手術、代用血液として希釈海水を注入するという実験的な施術を施し、結果、死亡させた事案だ(ちなみに、著者もこの事案の存在は肯定するよう)。
     また、引用典拠は戦犯裁判での供述調書という同時代性ある未公開史料。
     かような本書に関し、刊行当時の反響の高さは推測できる。


     とはいえ、生体解剖に加え、全件無罪となった人肉食事件を含む点には難がある。これらは本質的な問題を異にするからだ。
     なるほど何れも戦犯裁判という衣に包まれているが、後者は一般的な刑事事件・冤罪事件でも妥当する自白供述調書の問題(自白法則・補強証拠法則や、供述調書の任意性)。
     前者は現代(というよりも近代社会)において高い倫理性を求められ医師が、実験目的という到底許されない殺人に手を染めたという点であり、問題の所在が異質だからだ。
     残念ながら、著者の力量では両者の異質性には触れられない。


     勿論、本書刊行への努力、リサーチャーの責任を全うした著者には敬服している。「一言半句許可なく…発表することを…許しません。…済んでしまった過去を…曝された場合…その弊は累九属に及ぶ結果に」という脅迫文を超えて本書を刊行した著者であれば猶更である。

     しかし、どうしても著者を好きになれない自分もいる。それは、生体解剖事件の存命被告人に対して、慰めの言とはいえ「いずれは銃殺になるはずの飛行士だった」から生体解剖で殺されても大差はないと考える発想を持ち、そればかりか、これを衒いもなく発言できる人物には、何とも言えぬ嫌悪感を感じるからだ。

     しかも、この著者に比して、当の被告人が、その事件を止められなかったこと、加担してしまったことに痛恨の想いを抱え続けてきたことを告白する様、その高潔なこと。人としての格の差をまざまざと見せつけるのだ。


     加えて、何でもかんでも戦犯裁判の問題に帰着させる著者の姿勢には牽強付会を感じずにはいられない。刑事訴訟法の本で「自白」項目だけでも読破し、冤罪事件に多少アンテナを張っていれば…、と感じる所以である。
     もっとも(それゆえ)、人肉食事件を叙述する第二部は、自白冤罪事案の教科書的実例として参考に供し得ようか。

  • 戦中に九州大学医学部でアメリカ兵捕虜の生体解剖を行ったというのは戦中史においてはわりと有名な話だと思う。その深奥をさぐったルポルタージュ。
    首謀者とされる「岩山福太郎先生」の三十三回忌法要から話は始まる。一件の首謀者が「先生」とされ、懐かしむ集いのようなことが行われていることに驚かされた。ただ、その後を読んでいくと、世間で言われているように(ということは裁判の記録にあるように)、関わった医療者たちを極悪非道のようにいうのにも疑問がわく。というのは、なかには逡巡した人もいて、何とか手を下さなくてよいようにしようと人がいて、(果たして岩山氏がそういう意図かは不明だが)罪を一身に受けようとした人がいたようだからだ。
    それは日本人としての身びいきやあまさかもしれないし、正当性に欠けた印象の裁判のせいもあるだろう。著者がこの一件に注目し、本を書き上げたのも同じような思いを抱いたからのようだ。諸相をしっかり踏まえ、結んでいく手腕はお見事で読みごたえがあった。
    本書の単行本が出たのが1979年だから、戦後30年と少しの頃。この頃であれば、これほど当事者が存命であったことも、当たり前のことだけど驚いた。すでにそれから倍くらいの年月がたっている。いま同様の企画が成り立つだろうか。時代の雰囲気も相まってゆがんだものになりそうでもある。その意味で、当事者が語れるときにまとめられた本書の意義、価値は大きい。
    あとがきによれば、当初、本書の内容は「サンデー毎日」に掲載され、その後単行本化されたのだとか。その際、雑誌掲載から単行本にする間に、担当編集者が連載の反響が出そろって、それを踏まえたものにしようと著者に進言したのだとか。結局はそれによって、沈黙を守っていた生体解剖当時の助教授・飛巣氏との面会がかなったりもする。こうした示唆ができることこそ編集者だと思う。本の価値が高かった時代の昔ばなしなのだろうか。

  • 終戦間近に、九州地方でB29が撃墜される。
    その生き残りの搭乗員が、生きながらに解剖された。

    九州大学の医者が生体解剖に手を染めたのだが、
    なぜ、そのようなことをしたのか。

    本土が敵機に爆撃されているような戦況の中、
    間もなく日本が戦争に負けるということは、
    わかったろうに。

    戦争に負けたら、生体解剖の事実は直、知れ渡るだろうに。

    しかし、悲しいのは教授の部下。
    上司の命令に服して、戦争犯罪人、しかも絞首刑とは。

    命令に服すも地獄、背くも地獄。
    あほな上司つくかどうかは運命としか言いようがない。

    なお、この本は、
    上坂冬子昭和史三部作の一遍として読みました。

  • 米国でひっそりと保存されていた裁判資料等を紐解き、事件の全容を書き起こしている。事件の記録として、非常によくまとめられていると感じた。
    この米兵の生体解剖は、生体実験と言うには程遠く、刹那的に切り刻まれたと言っていいと思う。もともと致死量を超えた麻酔を投与し、手術しなくても死亡するのだから、と自己を騙しながらの解剖だった。人の狂気の思い付きが、戦争という状況の下で、いろんな人を巻き込みながらも止められずに実現してしまった。
    これに関連して、でっち上げられた人肉試食事件についても書かれている。
    一人、女性の看護師だけが最後まで作られた事実を認めなかった、(他の関係者は皆作られた事実を事実として認めたがため起訴された)というのが印象に残っている。

  •  
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4122009502
    ── 上坂 冬子《生体解剖・九州大学医学部事件 ~ 19890220 中公文庫》19820810
    http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030603 生体解剖(19450603)
     
    (20120816)
     

  • 遠藤周作『海と毒薬』を読んだからには、こちらも必要だろう、と思った。克明に再現される事実資料と、『海と毒薬』のような小説と、さていずれが心を打つか、そんなことも考えた、遠い昔のことをなぜか思い出してしまったので。

  • ・終戦直前に九州大学で起きた、B29搭乗員に対する生体解剖について30余年後深く深く掘り下げたノンフィクション。
    ・1人の才気の暴走と、戦時という状況と封建的な権力が結びつくと、ここまで狂気が迸るものなのか。
    ・発案者と言える笹川が終戦を前に死ぬあたり、事実は小説よりもよほど奇なり。
    ・すべて史料と証言を元にここまで書いた上坂冬子はほんとに圧倒的。今後この事件に関しては本書が定本になったであろう事に疑いの余地なし。
    ・肝食いはいくらなんでもなぁ。でもサインしちゃうのね。70年前の戦勝国も、今の警察官もやることは一緒で物悲しい。
    ・原因について笹川、岩山、佐藤に求めるのは容易い。けど上坂の言うように、それだけじゃない状況にあった。「戦争」ってのはそういうことなのだ、と言う部分に行き当たる。
    ・彼らを残虐だと糾弾することはできる。けど、自分だったとして止められたか?
    ・白い巨塔を彷彿とさせる、医局の絶対封建制はこんなころからあったのだ。
    ・人間は学術的好奇心でここまでできるようだ。だとしたら、もう少しテーマをきちんと絞って解剖ならぬ実験にすれば良かったのにと思わずにいられない。

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