- Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122014664
作品紹介・あらすじ
小説「楢山節考」で中央公論新人賞を受賞し、異色の文壇デビューをした著者が、畏敬する作家たち正宗白鳥、武田泰淳、井伏鱒二などとの奇妙でおかしい交流を綴る。生涯を自然流に生きた異才の抱腹絶倒の文壇登場日記他。
感想・レビュー・書評
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・当時の文豪達とのおもしろエピソード・思い出話・小噺集
の3段構造。
作家の自叙伝の中ではかなり笑えた。
ピュアだったんだなあ。。。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これは深沢七郎のごく初期のエッセイ集であり、「風流夢譚」事件よりも前に書かれたものである。
「楢山節考」の作者の頭の中がどんな風になっているか、人はこの本で少し知ることができ、同時に、驚いたことだろう。或る者は侮蔑の意で「白痴」とも呼んだらしい。
深沢七郎はどうやら本当に、文学のことをほとんど何も知らずに、文学の世界にやって来たのである。そして文学者たちの知識の豊かそうな言動にいちいち感動し、「びっくり」し、自分の言動が「恥ずかしく」なる。なんという素朴さだろう。
遠藤周作のユーモアは、知識人が知識人たることを最後まで捨てない、矜持をたもったユーモアだった。北杜夫のユーモアは、優れた文人たちより自分を一段ひくく見ながら、しかし卑屈さを感じさせないようにゆるやかな浮遊感、漠然とした境地をもって、「笑い」を醸し出していた。
深沢七郎のこのエッセイは確かに可笑しいが、そこには衒いも何もない。ひたすらに素朴なのである。この人は「天然」と呼ぶべきなのだろう。しかしこの「天然」ぶりは愚かさなのではなく、不思議な世界観から来ているものらしい。知能が高くわけのわかっている「野人」が、文明人の滑稽さに出会ったことの滑稽さを、全身で表現しているような。
彼には、「近代人」がとらわれてきた過剰な「自意識」が無い。これは驚くべきことだ。彼には野望がない。文学者としてトップに立とうとか、他の作家を批判しようとか、そんな棘はまったく無いのだ。
なんということか。
私たちは必死になって「勉強」し、他人よりも高い視点を獲得するべく血眼になって努力してきたのに、ここに、そんな世俗の欲望にからめとられない素の人間がいる。
深沢七郎、彼は私にとってはまだまだ謎が多いのだが、音楽的な成果をあげようと汲々とし、自己の能力の低さに悩み、それはそもそも自尊心が強いからで、「世間」への復讐心から高みに立ってやろうなどという、くだらない野心にとらわれた私とは何というちがいだろう。彼の文章を読むと、自分のくだらない執着があほらしくなってくる。これは衝撃だ。価値観を一変させるような発見なのだから。
このような「とらわれなさ」が、現代人にはあまりにも異様なので、彼の小説はあんなにも不気味なのだろう。
恐るべき作家である。 -
あほか天才か。気前がいいのかケチなのか。
深沢七郎とつきあいのあった当時の文豪たちが、ちっぽけに思えてくる。ニセモノに思えてくる。ところが、がっかりさせられるのでなく、ちっぽけに見える正宗白鳥や武田泰淳なども、どことなくかわいらしく思えてくるから不思議。たぶんかれらが深沢七郎に困惑してたじたじになっているからだろう。 -
「小説「楢山節考」で中央公論新人賞を受賞し、異色の文壇デビューをした著者が、畏敬する作家たち正宗白鳥、武田泰淳、井伏鱒二などとの奇妙でおかしい交流を綴る。生涯を自然流に生きた異才の抱腹絶倒の文壇登場日記他。」
「3.11震災以降、テレビもネットもほとんど見ていなかった。出来るだけ耳をふさいでいたかった。信頼できる言葉だけを探して肩に力が入っていたようだ。昭和の文豪たちが時を超えてやってきて私の肩を優しく揉み解してくれたような読後感だった。言葉はやっぱり楽しいものでもあるのだ。」
(『小泉今日子書評集』の紹介より) -
自分の過去の恥ずかしい失言を思い出してうわーってなる感じ、わかる
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素直で、ピュアで、まじめで、不器用で。そんな人となりが目に浮かぶ。だから、みんなに愛されて、ちょっと変わっているといわれて。
嵐山光三郎の酔仙人を読んで、この本にたどり着き。読んでみて、しっくりきた。読んでよかったぞ日記。 -
これは、本当にあの『楢山節考』の作者なのか…?
と思うような日記でした。正宗白鳥に「先生は酒の…、菊正宗の…?」と聞いてしまうエピソードとか、思わず笑ってしまった。(もちろん「ボクはそんな家とは何の関係もないよ」と白鳥先生に否定されている。)
偉大な作家にこういう言葉を使うのは失礼だけど、天然で自然体で、少し人とはずれていて、可愛い人だなあと思う。きっと、正宗白鳥をはじめとして文壇の先輩方に可愛がられていた人なのでしょう。深沢七郎の人間的な魅力に触れることのできる一冊でした。 -
読売新聞サイト上の小泉今日子の書評を読み、タイトルに惹かれ手にとってみた。
『楢山節考』の著者が綴ったエッセイといくつかの短編。文豪や著名 な俳優と交流するなかで、ぐずぐず思い悩んだり、あれこれ後悔する様子がおかしい。謙遜なのか、自信がないのか、トボけているのか、よくわからない人。
『楢山節考』がベストセラーになり、「おっかさんが生きていたら」 (喜んだだろう) などと言う人について、「どうしてもできないことを、ボクにさせようと苦しめる」「残酷な人」と書いている。人間臭い人だなと思った。
とにかく『楢山節考』を先に読んでから、これを読むべきでした。 -
わたしも友人・知人・家族らとのエピソードを、この本のように(白々しいほど無邪気に)まとめておきたい。グルメとマンガ録に成り下がっているブログをちゃんと更新しよう…
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楢山節考は昔に読んですきだった覚えがある。その人が書いた日記。表題作は、少し面白かったけど最後のほうはあんまりだった。
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深沢七郎さんの本は初めて読みました。
ひょうひょうとしたお人柄が文章にも表れている。 -
タイトルが秀逸。
つい気になって手に取って、初めて深沢七郎さんが楢山節孝の著者と知る。
映画は見ていたけど、原作を読んでいなかったので、楢山節孝も読んでみたくなりました。
日記はユーモラスでおもしろく、母や女中の思い出話などもとてもよかったです。
深沢さんの人柄は魅力的です。 -
深沢七郎の文壇からの浮き具合とギター好きさ加減がとても良い。古典的ラテンな人な気がする、正直この人の文章はあまり好きじゃないのだけど、この人は好きになれる、というかとても魅力的に見える。
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正宗白鳥をはじめとする文豪とのやりとりが面白い。連作ポルカも味わいがあって良い。
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深沢さんカワイイ。
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語り口が軽妙。何せタイトルが良い。
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再読。いや、再々読? ときどき思い出しては読み返す深沢七郎のエッセイ集。
なかでは、「とてもじゃないけど日記」がいい。うっかり(?)小説『楢山節考』がベストセラーになってしまったことで巻き込まれる珍騒動の数々、そして、本人の思いとは別のところでひとり歩きするイメージに苦悩する日々…。とてもじゃないけどやってられないよ、というわけだ。
『楢山節考』が芝居化された折り、役者による迫真の演技を目の当たりにして「おっかなく」なってしまい、思わず結末を変えようと作者みずから言いだして周囲から止められるエピソードには失笑せずにはいられないが、そんななかすべてを心得た尾上梅幸のふるまいには一流の役者ならではの含蓄を感じさせてくれて感激する。そしてこういうところに、むしろ、深沢七郎というひとの観察眼の並々ならぬ鋭さを発見するのである。
それにしたって、文中に登場する石原慎太郎ときたらなんとも「いいひと」なんだがなぁ…(笑)。