渋江抽斎 (中公文庫)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122015630

作品紹介・あらすじ

明治維新前後の転変が、一家一族の上に及ぼした影響も描かれて、総体として、行きとどいた家族年代記、もしくは時代的展望を内にふくむ屈曲に富むグループ・バイオグラフィ。つまり、一個人の生涯と業績という枠をはるかに踏みこえた、いわば大河伝記の試みであり、この点での『渋江抽斎』のユニークさと斬新さは、今日の時点から改めて大きく積極的に再評価されるに足る。

感想・レビュー・書評

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  • ■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/0000095902

  •  1914(大正3)年作。
     読み始めてすぐ、この硬くて古く、難読漢字だらけの文体がいつもの森鴎外らしいが、それ以上に、「これは小説ではない」ということが実感される。小説であれば無駄な枝葉に違いないディテールが非常に多い。人名が新たに出てくるごとにいちいち「字は○○」だの「父は○○」だのと克明に書かれるが、どうやらほんのチョイ出の人物でさえこう詳細に書かれるので、「筋を追う」読者には煩わしくなる。しかし、これは「筋を追う」ことが主眼ではないようだ。
     鴎外の実に熟語のボキャブラリーの多い「硬い」文体は、当時の文人であれば普通であったと覚しき漢文や相当古い文献の教養から来るのだろうが、それにしても難しげである。また、漱石など他の作家が用いた文体が粘土のような可塑的な素材で像を造っていった風であるのと対照的に、どこか木彫のような、鑿で一打ち一打ち彫り込んでいくような風趣がある。本書の文体はまさにそのように歴史を彫り込んで行くような感じがする。江戸時代から明治初期にかけての、歴史上では全く目立たない平凡な人間たちを文献等から掘りだしていき、やがてそこから市井の生活や生き様が立ち現れてくる。
     それにしても登場人物が異様に多すぎて、その数に圧倒される。書名になっており中心的な人であるはずの渋江抽斎は、しかし、さほど重点的に掘り下げられているわけでもない上に、本書の真ん中へんで早々に死んでしまう。実はその辺りから面白くなっていくように私には思われた。
     掘り出されてゆく大量の人物の像はみな遠景にひしめいており、まるでブリューゲルの絵のように、遠近のダイナミクスのない群衆像をなす。歴史書一般では、「歴史を動かした」ような際立つ政治家等を中心に書かれ、そこに因果関係によって統制されたストーリーが浮上してくるのだが、本書では無数の「ささやかな、凡庸なストーリー」が並列されていて、実際の市井人の生とはそのようなものであろう、という印象に結び付く。
     読み始めたときにはあまり面白くないように感じたものの、進んで行くにつれ、大パノラマに点景として刻み込まれてゆくそんな生のありさまがしみじみと面白くなっていった。
     渋江抽斎その人よりも、たとえばその妻である五百(いお)は怜悧でアグレッシブで、不審な輩が旦那を襲おうとしたとき、風呂から出てきて裸で懐刀を口にくわえ連中に熱湯を浴びせかけるような勇敢さを見せる上に、もともと読書家で知識欲も旺盛、60を過ぎて英語を学び洋書を読むなど、際だって興味深く印象的な人物である。鴎外もこの女性像にもっとも興味を惹かれたのではなかったか。
     文章は難しく内容は地味ではあるが、読んでみるとしみじみと味わいのあるような本だった。

  • 正直、前半を読み終えるまでは、登場人物の経歴の微に入り細を穿った説明に辟易し、ページを繰るたびに出てくる漢語に辞書を引きつつ、遅々として進まない読書に嫌気が差していた。
    それが、皮肉なことだが、主人公である渋江抽斎が亡くなった後の後半に入ると、俄然おもしろくなる。話の中心は、抽斎の4番目の妻である五百(いお)である。書いた鷗外自身も、実は抽斎のことではなく、この五百の物語を書きたかったのではないか。そう思わせるほどに、五百が亡くなるまでのほぼ四半世紀にわたる渋江家の経緯を語る鷗外の筆は、冴え渡っているである。

  • 引用の「老驥櫪に伏すれども、志千里に在り」の個所は巻末に「有為の人は不遇の一生を送ってまさに死せんとするときでも、なお遠大の志を失わない」という注解があって、それで確かに意味は分かるのだけれども、「驥も伯楽に逢わずば槽櫪の中に老いるのみ」ということわざを知って読むのとそうでないのとでは味わいの深さがだいぶ変わってくると思う。そう考えれば、他にも知らないがために味わいきれていない個所がまだまだあるのではないかという気がしてくる。

  • とにかく読みにくかった。内容は渋江抽斎という人の伝記なのだけれど、渋江抽斎って誰?という気持ちのまま事細かに来歴が語られていくような。そういう点ではどこに注目しながら読めばよいかわかるように、あとがきから読んだ方が良いと思う。読後感は良い。

    内容をもう少し言うと著者の森鴎外は武鑑を集めるのが趣味。武鑑というのは野球で言う武士の選手名鑑のようなもので職制や給料など事実のみが載っているため時代考証に有用。その集めた武鑑に抽斎の蔵書印が多く押されていて、さらに渋江抽斎が医者であったことから自分と重なるとこが多いので興味を持つ。渋江抽斎は維新の数年前に没し、著者と時代も近いことから、抽斎と係わる人を探したり、直接話を聞いたりしながら抽斎の人となりやなんかを書き連ねている。

  • 渋江抽斎の伝記なのに、渋江抽斎が半分位のところで死んでしまって呆然とすることになるが、本書の面白さはむしろ抽斎死後にあると言えるかも。幕末明治の変革期に抽斎周辺の人物が見せる世渡りに人生の機微を感じる。

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著者プロフィール

森鷗外(1862~1922)
小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医。本名は森林太郎。明治中期から大正期にかけて活躍し、近代日本文学において、夏目漱石とともに双璧を成す。代表作は『舞姫』『雁』『阿部一族』など。『高瀬舟』は今も教科書で親しまれている後期の傑作で、そのテーマ性は現在に通じている。『最後の一句』『山椒大夫』も歴史に取材しながら、近代小説の相貌を持つ。

「2022年 『大活字本 高瀬舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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