鉄砲を捨てた日本人: 日本史に学ぶ軍縮 (中公文庫 ヘ 4-1)
- 中央公論新社 (1991年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122018006
作品紹介・あらすじ
16世紀後半の日本は、非西欧圏で唯一、鉄砲の大量生産にもまさる鉄砲使用国となった。にも拘らず江戸時代を通じて日本人は鉄砲を捨てて刀剣の世界に舞い戻った。武器の歴史において起るべからざることが起ったのである。同時代の西欧では鉄砲の使用・拡大によって戦争に明け暮れていたことを考えると、この日本のが示唆するところは大きい。
感想・レビュー・書評
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16世紀半ばに、ポルトガル商人が日本の種子島に鉄砲を売り込みに来航した。
日本列島は戦国・群雄割拠の時代であった。
以降、合戦での勝敗に決定的な影響を与える武器となる鉄砲を、戦国大名はこぞって調達しようとした。
南蛮貿易の開始した当初は、ヨーロッパからの輸入品がその多くを占めていたが、のちに鉄砲の国産化が各地で進み、堺や根来といった鉄砲の名産地が生まれた。
信長による長篠合戦での「鉄砲三段撃ち」のエピソードは、従来の騎兵中心の戦術が時代遅れとなってしまったことを象徴的に示していた。
鉄砲は、天下統一のスピードを加速させた。
豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵において、日本軍は火力の面で朝鮮軍や明軍を圧倒していた。また江戸時代初期には日本から東南アジアへ少数ながらも鉄砲が輸出されていたと言う。
江戸時代には、徐々に鉄砲の使用に制限が加えられるようになり、鉄砲は武士階級の独占物となった。
鉄砲生産は、堺の鉄砲鍛冶のみが堺の奉行の許可のもとで細々と行うものとなった。
鉄砲職人は食い扶持を求めて刀鍛治などに転職し、武士の魂ともされる刀や装飾的で華麗な鎧・甲冑などの制作に勤しむようになった。
江戸時代の外交体制は鎖国と呼ばれる。
幕末に外国船が来航するようになるまでは、海外との交流は限定的であり、対外戦争に巻き込まれることもなく国内における内乱も発生しなかった。
戦争に明け暮れた西欧諸国に比べ、日本の兵器製造の技術は立ち遅れ、米国から来たペリー提督からは江戸湾防備の強化の必要性を指摘される始末であった。
その後、明治維新によって新生国家となったわが国は、欧米諸国に追いつき追い越すことを目指し、富国強兵をスローガンの一つに掲げて、軍制整備や近代兵器の調達による軍事力強化を達成した。
日清・日露戦争の頃には、わが国の兵器製造の技術は欧米と比べても遜色ないほどに成長した。
他の非欧米圏の国々と比べて、これほど早く欧米に追いつくことができた背景には、経済成長著しかった江戸時代に培ったものづくりの高度な技術という蓄積があったからである。
江戸時代には鉄砲が放棄され、軍事技術は停滞を見せた。
しかし、江戸時代には豊かで平和的・文化的な生活が営まれていた。
軍事技術の停滞と、国民の豊かさは両立したのだ。
現在、世界には多くの軍事大国が存在する。
江戸時代とは国際環境が全く異なっているものの、鉄砲を捨てた江戸日本の歴史から学ぶことがあるのではないか。
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なぜ鉄砲という近代兵器を捨て刀の時代に戻ったのか。
世界で日本だけに起きた文明の後戻り。
面白かったあ -
210
「16世紀後半の日本は、非西欧圏で唯一、鉄砲の大量生産にもまさる鉄砲使用国となった。にも拘らず江戸時代を通じて日本人は鉄砲を捨てて刀剣の世界に舞い戻った。武器の歴史において起るべからざることが起ったのである。同時代の西欧では鉄砲の使用・拡大によって戦争に明け暮れていたことを考えると、この日本の〈奇跡〉が示唆するところは大きい。」
「戦争を防ぐための手段として、軍縮という考えがある。しかしこれは他国を相当程度信用できないとなかなか話が進まないものであり、実際に世界の歴史の中で軍縮がおこなわれた実例は数えるほどしかありません。しかもそれは実際のところ、財政負担の削減などの経済上・事実上の要求からやむなく行ったというのが事実。しかし、世界の歴史の中で、特異な軍事力の発展が見られた後に、自らそれを封印して軍縮に成功し、300年近くにわたって平和な社会を築いた国が存在した。それは、ぼくたちの国、日本でした。」
(『世界史読書案内』津野田興一著 より紹介)
目次
初めに 世に知られていない物語
第1話 日本に鉄砲が伝来した
第2話 鉄砲はどのように広まったか
第3話 鉄砲の全盛時代
第4話 日本はなぜ鉄砲を放棄したか
第5話 鉄砲から刀へ
第6話 近代兵器の再来
結び 日本史に学ぶ軍縮 -
イエズス会やフランシスコ会が日本の植民地化も視野に入れたカトリックの伝教を行っていて、秀吉や家康がそれにどう対応したか、という本はいくつか読んできた
そこから「16世紀に伝わった鉄砲は、日本が戦国時代であったことも影響して大量生産され、にほんは世界最大の鉄砲輸出国になっていた」という事実は知っていた
この本はその先にある、日本人はなぜ鉄砲を捨て、刀文化に戻ったのかという事実に目を向ける。それは秀吉や家康が大航海時代の世界潮流から日本を守ったことで必然的に江戸時代の鎖国に繋がり、それが結果的に日本文化を形成したことに繋がる。
渡辺京二の名著「逝きし世の面影」にも繋がる、外国人が日本という稀有な存在を考察した本。
念の為言えば、この「稀有な国日本」というのは、渡辺京二が言うようにすでに失われてしまっており、決して過度な愛国心に基づいてはいない。ただ、自分の国が昔こうであったという事実は、やはり知っておくべきだと思うのだ。 -
武士の美学が鉄砲を斥(しりぞ)けたとすれば、鉄砲での殺傷を彼らは「卑怯」と憎んだのだろう。そこにあるのはフェア(公正)の精神だ。銃を持てば中学生でも宮本武蔵に勝つ可能性がある。どう考えておかしい。何がおかしいかを考えるのも厭(いや)になるほどおかしい。
https://sessendo.blogspot.com/2020/02/blog-post_90.html -
好きなアメリカのインディーロックバンド「Vampire Weekend」の楽曲「Giving up the Gun」が本書に触発されたものと知り、購読。
訳者あとがきにも記載されていたように、明言はされていませんが、反戦・反核の書でもあります。鉄砲の伝来に関しては歴史の教科書でよく見かけましたが、放棄に関して知る良い機会になりました。
本書では、刀と鉄砲の持つ倫理的な違いが語られていました。自分としては、アメリカの銃社会やそれに関する事件を見ると、どうして銃を捨てないのだろうと思ってしまいます。けれども彼らにとってある意味では切っても切れない、深く魂と繋がっているものが「銃」という存在かもしれない、という認識でした。それなら刀も持つことのなくなった日本人は、と思わなくもないのですが、この2020年に色々と考えさせる書物でした。
単行本発行は1984年。 -
[評価]
★★★★★ 星5つ
[感想]
アメリカ人が日本への鉄砲の伝来から放棄、そして再装備についての歴史が書かれている。
当時の日本の状況や同時代の欧米の状況を比較しながらの解説は江戸時代に日本が鉄砲を放棄したことは世界的にみるとかなり珍しかったのだということがよく分かる。
また、日本の鉄砲技術を継承するための伝書の図はかなり楽しく読むことが出来た。 -
若かりし頃、朝鮮戦争に従軍することにより、たまたま日本という国を横浜から佐世保までの鉄道の旅で知った著者。
その時の日本の素晴らしい景色に魅入られた。
そして、若い頃に経験した朝鮮戦争での思い、その後の場とナム戦争でのアメリカのやり方。
また、ベトナム戦争の頃には、世界史上類礼を見ない17世紀の日本における鉄砲の放棄という事実を知ってた著者が書いた著作である。
第1話 日本に鉄砲が伝来した
第2話 鉄砲はどのように広まったか
第3話 鉄砲の全盛時代
第4話 日本はなぜ鉄砲を放棄したのか
第5話 鉄砲から刀へ
第6話 近代兵器の再来
結び 日本史に学ぶ軍縮
という内容です。
種子島に鉄砲が伝来した当時の日本社会、そしてその当時の西欧社会、その後の徳川時代の到来、その中で西欧社会との比較も交えながら、徳川日本が世界史に稀に見る独自の文明社会を創造していったのか、アメリカの英米文学者が見た、鉄砲を放棄した日本人の分析、短い作品ですが、面白く読むことが出来ました。