- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122021235
感想・レビュー・書評
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お友達の紹介で読んだ本です。
丸谷才一さんの「輝く日の宮」が面白かった、という話をしたら、「これも絶対面白い!」というお話で。
源氏物語の解説書のようなお話だったので、
「ずいぶん以前に谷崎潤一郎訳で読んだんだけど、ほぼ忘却しているので、源氏自体を読まないと、判らないのでは?」
と、尋ねたら、
「いや、これを読んだら、源氏を読んだ気になれます!」
というお勧めの言葉で。ならば、と購入。
いや、推薦の通り。
物凄く面白く読めて、しかも源氏物語の立派なダイジェストになっています。
この本は、素晴らしい。まだ上巻読んだだけですが、脱帽です。
1989年の本だそうです。中央公論社さん、素晴らしい。
小説家で英文学者、日本語国文学にも詳しく、大人な洒脱なエッセイストでもある、丸谷才一さん(1925-2012)。
アカデミックな日本語学者さん、大学教授、研究家、そしてコラムやエッセイも手掛けた、大野晋(すすむ)さん(1919-2008)。
このお二人による、対談形式の本です。
内容は、「源氏物語」。西暦1008年頃には書かれていたとされる、紫式部さんの長編小説。
この時代に、これだけのキチンとした超・長編小説が描かれて、それも(恐らくは)特定の個人がそれを書いて、
それが20世紀、21世紀になっても、ダイジェスト、マンガ、映画、現代語訳、外国語訳という幅広い形で一般に親しまれている。
そういう意味では、ほんと、大げさではなく、ピラミッドと同じくらい謎めいた、奇跡のような小説です。
シェークスピアだって16世紀なんです。源氏は、書かれ始めたのは下手すれば10世紀ですからね!
研究家はともかく、一般の本好き、物語好きの守備範囲で言うと、気が遠くなるようなブンガクです。
「源氏物語」というと、まあ、研究家の人以外は、原文に取っ組んで、「オモシロイな~」と思うことはあり得ません。
だって、わかんないもん。言葉が違いすぎて…。滝沢馬琴や近松、膝栗毛や西鶴だってキビシイんだから。
その上、後述するような作品としての特性もあって、「徒然草」とか「方丈記」の方が(一部であれば)読み易い。源氏はちょっと無理でしょう。
与謝野晶子さん、谷崎潤一郎さん、田辺聖子さん、橋本治さん、マンガ「あさきゆめみし」など…数えきれない翻訳翻案脚色作品がいっぱいあります。
僕も、もう霞彼方の昔話になりますが、谷崎潤一郎さんで、読んだことがあります。
先入観的に、ざっくり言うと、
●平安時代の王朝貴族の社会を舞台にした、架空の物語。
●主人公は光源氏。天皇さんの子どもで、皇位継承者にならずに、臣籍に降下した人。
●この人が、超・イケメンで、文化芸術政治色事、踊りに和歌に人情機微、スーパーマンな男性。
●この人が、とにかく大勢の女性と恋愛しまくる。
●ロリコン的に美少女を子供時代から自分好みに育てて、自分の愛人にする、「紫の上」。
●いい女かな、と思ってHしたら、鼻の赤い醜女だったという「末摘花」。
●などなど、キャラクターの際立った女性たちが華やかに周囲を彩る。
●当時の貴族社会の風俗として、やたらと和歌をやりとりする。和歌のいっぱいある、小説。
●最終的には次世代の話まで伸びていく大河小説。
●なんとなく日本的仏教思想なのか、はかなかったり、「もののあはれ」だったりするような、そんな後味。
と、言うような感じなんです。恐らく「源氏物語」って。
で、この「源氏物語」について、丸谷才一さんと大野晋さんが、1章ごとに語り合います。
本の作りとして戦略的なのは、
「源氏物語、ちゃんと通して読んでないんだよなあ」
「読んだけど、もう大昔のことで忘れちゃったなあ」
という読者でも大丈夫、という感じに作られています。
ものすごーく、ざっくりだけど、
「この章は、大まかこういう筋なんですけど」という風にフォローしてくれるんです。
だから、お二人の話に最低限、読者がついていける。
その上で、お二人が(あるいは丸谷さんが?編集サイドが?)選んだ、章ごとの部分部分を、原文抜粋が入ります。
でもまあ、原文はかなり難解なので、抜粋の直後に、丸谷才一さん訳の現代語訳が入ります。
これが、さすが丸谷さん、判りやすくて、品格がある。
その上、和歌まで、原文の匂いを失わないように工夫して訳/解説してある。
そういう趣向の本です。
(実は、僕は浅学な上に、せっかちな読者なので。抜粋の「源氏原文」は、読み飛ばしています。丸谷訳だけ、読んでます…。)
(和歌を訳解説するのに、五行自由詩みたいな形態を取られてるのですが、これ、素晴らしいと思います)
僕の印象としては、
「判りにくいところは判りやすく」
「かったるいところ、詰まらないところは、カッ飛ばして」
「下世話な話から時代背景まで、注釈的なお話を、対話形式で楽しく」
「源氏物語の成立、という、場合によっては源氏物語の内容以上に不可解で興味深い視点を常に提供しつつ」
「ことば、小説、物語、日本語、古代日本の精神や風俗について、知的な興奮を誘いつつ」
「永遠不滅に源氏物語の魅力である、男女関係の機微やH話、人生の四季や歳月について、その魅力を浮き彫りにしてくれる」
「そして、十分に源氏物語を読んだ気になれる、満足感」
という。
実に一粒で何度も美味しい読書体験です。パチパチ。
「源氏物語」をアカデミックに研究している方たちからして、暴論や推論が多くあるのかも知れませんが、
読書を愉しみたい我が身からすれば、まずは本として面白く興味深くないと始まりません。僕は、大好きです。
「源氏物語」という魅力深い謎を解いていく、シャーロック・ホームズのなぞ解きを傍聴する、ワトソン君の愉しみです。
ナルホド感満載の、日本語論、歴史考の一方で。
「僕たち男性だから、こう思っちゃうけど、女性読者は意外と違うみたいですねー」
「丸谷さんは小説家だからそういうけれど」
みたいな、くだけた軽さ。
そして、どうやら、H行為のことを「実事」という素敵な言葉で語られるんですが(笑)、
「ここ、源氏とこの女って、実事あり、と考えていいですよね?」
「ええ、いいです」
「ここ、実事ありですかね?」
「僕は無いと見てるんですよ」
「え~!僕は、ありだと思って訳しましたよー!」
「でもほら、ここで"別れの朝の、なになにが"ってあるじゃないですか。この解釈で言うと…実事なしじゃないかなって思うんですよねー」
「でも、朝までいたんでしょー!」
みたいな、ほとんど、オトコ飲み会の場での、どーしよーもない愉しいおしゃべりのような(笑)。
そんな「1000年前のフィクションの人物が、ヤったかヤってないか」という気が遠くなるような、どーでも良い愉快な議論の数々…。
これを、老人と言って良いおふたりが、楽しそうに一生懸命語る様を思うと、羨ましいような、カワイイような…。
無論、丸谷さんも大野さんも、碩学博学。
本書の全部を味わい尽くせているとは思いません。
それでも十分、姿勢正して引き込まれながら、時には、にやにや。思わず、くすくす。
(※「実事」って、何て発音するのでしょうか?「ジツジ」? 「ジツゴト」? どなたか、ご存知でしたら教えてくださいませ)
そして、下巻に向けて。
下巻は「若菜」の章からなんですが、
「若菜からが源氏のオイシイところ!ここからが、源氏物語が不滅な理由です!」
というおふたりの絶妙な引っ張り。
確かに、昔読んだ時も、終盤に向けて、むしろ光源氏さんの死後も含めて、
因果が巡り、ままならぬ歳月が過ぎ、しみじみとした物語の感動があったような…。
下巻が、たのしみで、たまりません!
以下、自分の備忘録として。
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■■■「源氏物語」は判りにくい!だから面白い!
これは、この本を読んで、霧が晴れた気がしました。
「潤一郎訳 源氏物語」を読んだ時に、思ったんです。
「あれ?この人、いつ出てきたんだっけ?」
「あれ?この事件はこれで終わり?」
「え?結局、この女性とは何があったの?どうなったの?」
「えーっと、政治的事件が何かあったの?良く判らんぞ?」
そういうことの、オン・パレードだったんです。
なんだけど、一方で、全体の四分の一か、五分の一くらい、
「おおおっ!そうなっちゃうの!」
「ああ、なんだかしみじみ儚いなあ」
「嫉妬心、誤解、すれ違い、浮き沈み、面白いなあ」
「心理、風景、歳月、親子、男女。こういう日本語って、美しいなあ」
と、大変に面白かった。
なんだけど、なんとなくモヤモヤが残ります。
「俺は無学だから、この小説の旨みを十分の一くらいしか味わえていないのでは」という悔しさというか。
平たく言うと、ワカラナイ。ナットクできない箇所が、ボロボロあったんですね。
で、丸谷さんと大野さんが解説してくれるのは、
●源氏物語は、同時代の文章と比較しても、謎めいていて、はっきり言ってくれない箇所が多数ある。
●それは、古文だから、という枠を超えて、確実に筆者・紫式部が狙いとして、戦略的に、あいまいにしている。
●紫式部の造語みたいな言葉も、ある。
●それは、「Hしたのか?してないのか?」という男女のデリケートな部分を、表現としてぼやかしたい狙いもある。
●また、政治的なことに関していうと(ある意味、つまり平安時代の支配者階級のお話なので)、同時代人として、憚りあるところもあるのか、わざとぼやかしている。
●そういうぼやかし方が、「まあ、それは言わぬが華ですから、うふふふ」的な、不確かな身内のゴシップを愉しむような、そういう偉大な風俗小説。
●その謎めいた部分、余白の部分が、永遠に解けないもどかしい推理小説のような、巨大なエンターテイメントになっている。その、微妙な判らなさを愉しみましょう!
●その上、異論もあるんだろうけど、54章(だったかな?)は、恐らく現在の順番と違った順番で執筆されている。
●その上、異論もあるんだろうけど、紫式部は書いたけど、何故だが現存しない章がありそうだ。
というような事なんです。
■■■「源氏物語」は手に汗握るスキャンダル小説!
「古文」であり、「名作」であり、「受験に出て」、「教科書に載ってる」、という時点で、
僕なんかは「要するに退屈で詰まらないのではないだろうか」と偏見をもってしまうんですが。
ところがどっこい。
ざっくり言えば、天皇家のお話。これだけで一大スキャンダル。
●天皇の息子が、父親である天皇の妻、つまりは義母とHする。しかもたぶん、ほぼ、レイプ。
●そしてしかも、そのHで義母は妊娠。父親が自分の子だと思い込んで大喜び。
●そしてしかも、生まれた子が天皇に即位しちゃう。
●その義母に面影の似ている、義母の親戚の女の子を、10歳前後?くらいなのに、拉致して舐めるように育成して、やがて、Hする。
●やがて、その少年天皇が、「お前のおとっつぁんは、実は光源氏だぜ」と知ってしまって、大ショック。
もう、これだけでも、モノスゴイことな訳です。
100%、今、こんな小説を書いたら、右翼からタコ殴りになって虐殺されること、間違いなしです。
それ以外でも、
「あの女とHしたいけど、この女になんて言おうか」
「あの女との間の子供を、どうやって妻に育ててもらおうか」
「政敵の娘に惚れちゃったけどどうしよう」
「なんか俺の息子が、俺の愛人に色目使ってないか?」
などなど、ドキドキする内容が目白押し。
■■■スキャンダル&セックス小説なのに、ハイレベルな評論文化論でもある。
まるで読者に媚びまくったような、下世話な小説かと思いきや。
「源氏物語」は、その時代に、男性すら及ばないくらい、漢籍、和歌、歴史、詩歌に秀でた知識を持つ紫式部さんによる、評論集でもあるんです。
読んでみると、
「これ、本筋となんか関係あるの???」
というような、
詩歌論、文化論、歴史論、家族論、恋愛論、日本語論、人生論が、はしばしで顔を出します。
これがまた、普通にエンターテイメント小説を読んでる気でいると、ちょっと困惑するんです。
丸谷さん、大野さんが解説してくれるのは、洋の東西、古今を問わず、
「評論が堂々と割り込んでくるような小説」というのがある、と。
成程、考えてみれば司馬遼太郎さんの小説だって、そういうところがあります。
極端に言えば、「ゴルゴ13」だって、時代や政治の解説が入ったりする。
そういう趣向な上に、
「でもさ、しばしば紫式部、衒学的。わたしこんな知識も学問もあるんですのよ~、という感じの、ドラマの流れとしては、評論過剰だったり、あまりにも本筋から脱線しすぎるところもあるよね」
と。
そうなんですよ。その辺が知らずに読むとツライところだったんですよ!
解説ありがとう!
■■■人生を俯瞰し、深く、そして、超ドロドロ…
そして、「源氏物語」が深いのは。
「ブラック・ジャック」が、実は「ブラック・ジャックが治せなかった挿話が面白い」。
「ゴルゴ13」が、「ゴルゴが失敗する話が面白い」。
というのと、同じ趣向で。
「源氏がモノに出来なかった女たち」
「源氏がいちどはHしたけど、そのあと色々と上手く行かなかった女たち」
こういう話がまた、面白い。
ことほど左様に、スーパーマン源氏さんだって、もどかしく悩み、失敗して、失言して、後悔して、失脚して、苦しみぬく訳です。
つまり、「超恵まれた、女にモテまくりの男が、受難する話」と言えなくもないくらい。
そして、「女にモテまくりのお話」なんだけど。忘れちゃいけない、作者は女性です。
「義母とHする」「ほとんどレイプする」「ロリコンに走る」等々があっても、今どきのアダルトビデオとは異なります。
そんな理不尽が許されなきゃならない、ざっくり言えば女性受難の時代に、それでも多くの女性が、それぞれのコリコリした個性を漲らせて、人生を感じさせてくれます。
難解な古文、更に裏読み歓迎な言い回しに溢れていますが、結局は、ココロのドロドロの大河ドラマ。
淋しさ、空しさ、嫉妬、権力欲、見栄、外聞、噂話、陰口、見下す気持ち、敗北感、奢り、焦らし、若さ、自尊心、諦め…。
そんな剥き出しな気持ちが、しっとりした語り口と華やかな王朝風俗の向こう側に、見え隠れする小説的演出の襞。
その上、「源氏」を書いた紫式部の人生を考え、想像し、「紫式部日記」と並行して読むと。炙り出される、紫式部さんの、妬み、嫉み、僻み、傲岸、いじめ心。
清少納言さんとの関係、政治的に没落した清少納言さん、そして「枕草子」への容赦ない鞭の打ち方(笑)。コワイ、コワイ。
(紫式部さんは、藤原道長一派。清少納言さんは対立する一派だったそうです)
そんなこんなを。「源氏」本文に描かれたドロドロと、作者を取り巻くドロドロを。
一枚一枚、襞をめくって。
丸谷さんと大野さんが、平易な言葉で語って感じさせてくれます。
正直、目も眩むような贅沢感です。
■■■先入観で、崇拝しない。「源氏物語」を解明するシャーロック・ホームズの愉しみ。
痛快なのは、丸谷さん大野さんが、「源氏最高!たまんないっす!」と盛り上がりながらも。
「この辺りは、詰まんないんですよね」
「この章は、大したことない。退屈なだけ」
「この事件で、このキャラの描き方、人間を描けてないよね」
「この下りは、もったいぶってて分かりにくいだけですよね」
「こういうところ、教科書載せれば良いのに、ツマンナイところ載せるんだよねえ」
「一部研究家とか、源氏なら全部盲目的に賞賛するから、だめっすよねえ」
「この和歌、イケてないよねえ」
ズバズバ、すごいすごい(笑)。
その多くが、僕も昔、谷崎訳で読んでぼんやりと感じた部分で。
「そうなんだよ!」と思わず電車の中で喝采したくなったりしました。
結局、原文の「源氏物語」という古文小説で言うと。
そのまま読んだって、面白くないんです。我々にとって。
それを、「いや、これは面白いんですよ」という提起な訳です。
つまり、「そう思えないかも知れないけど、Aさんは無罪。真犯人はBさんなんですよ」という、探偵さんの提起な訳です。
こっちとしては、
「ほんとに?証拠は?」
ということになります。
そこで、金田一耕助さんが。古畑任三郎さんが。刑事コロンボさんが。ポワロさんがマープルさんが、明智小五郎が、コナン君が、語り出すわけです。
もつれた糸をほぐすように。「そうだったのか!」「なるほど!」「ふ~ん」「そりゃ知らなかった!」と、なる訳です。
で、最終的に「なるほど、そりゃ、確かに真犯人はBさんだなあ」「なるほど、そりゃ、確かに、おもしれぇや!」と思えるかどうか。
ということで言うと、この本、丸谷さん、大野さん。圧巻、完勝です。少なくとも僕にとっては。名探偵シャーロック・ホームズです。ワトソン君になった幸せな気分です。
話題は平安の風俗であり、「貴種流離譚」のドラマ的普遍性であり。
男の視点、女の視点から見た人生であり、古語の解釈の微妙な愉しさであり。詩歌の味わいであり。
コトバで紡ぐ、小説という形式の奥の深さ、趣であり。日本的な(京都的な?)四季の香りな訳です。
そして何より、キャラクター、性格付け、ヒトの心理の割り切れなさ、どうにもらならない人の業。
源氏の女性遍歴も、結局は、亡き母の面影、「母を訪ねて三千里」だったりする訳です。
もちろん、1000年前の小説です。それでも謎は残ります。丸谷・大野的解釈が、強引かも知れません。
でも、そういう味わい方をできる愉しみ自体が素敵な訳ですねえ、と感じさせてくれます。
「名作だから読む。名作だから素晴らしい。オモシロイとかっていうのとは別次元」
「ワカラナイのであれば、読むほうが悪い。だって名作なんだから」
みたいな、脅迫的な受動的な受け止め方では、愉しく無いんですね。
そう、この本は、読書の愉しみについての実演論考だったりする訳です。
#########以上###########詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
・紫式部ってすごい人だったんだなあ。知識もあるし、それから、構成力?の高さ。「11世紀なのにこんなの書いててすごい」というロジックには素直に頷けないところもあるが、でもきっとすごいことなんだろうなあ。
・メインのa系(母の面影を求めて藤壺、紫の上他)、失敗談個別エピソード的なb系(空蝉、末摘花他)、両者統合後のc系(女三の宮のあたり)、次世代のd系(宇治十帖)に分けて考えるという説に納得。
・それから、槿の君や六条御息所の初登場、そして藤壺との初実事が含まれる「かかやく日の宮」という章が存在していたはずだが削除された、という説も知らなかった。しかも削除された理由が、「帝の妃を寝とったことがタブーだから」ではなく(それは削除されてない章にもばっちり書かれているしね)、「物忌みの日に出掛けていって情事に耽ったことがタブーだから」なのではないか、という説も、興味深かった。
・色々と「へえ」ポイントがあったけれども忘れてしまった。覚えているうちのひとつ→「情けをかける」という日本語には「表面を取り繕う」というニュアンスがある。だから正妻には「情けをかけ」ない。取り繕う必要がないから。正妻であり姫君の育ての母である紫の上と、姫君の生みの母である明石との間で「情けを交わし」ているのは、そもそもがギクシャクして当然の関係であることをも表している。 -
文学者丸谷才一と日本語学者大野晋という博学な二人が興に任せて「源氏物語」を語り尽くす対談。1989年に刊行されてすぐに高校の図書室でこの本にであったのは、今思えばわたしにとってこのうえなく運のいいことだった。教科書と「あさきゆめみし」でざっと大枠を理解したばかりの高校生にとって、a系とb系、うしなわれた「かかやく日の宮」の巻といった物語の構成を分析する話も、助詞や敬語の使い方など文法から内容を詳しく精査する方法もなにかと勉強になったし、丸谷才一はこれ以前に「桜もさよならも日本語」のような評論でお近づきになっていたけれど、この対談をきっかけに、大野晋の本も読むようになったのだった。
文庫になったとき買ったつもりでいたけれど、再読しようとして(角田源氏が出たり「文藝」で特集が組まれたりで思い出した)どこをどうさがしても出てこないので、改めて手配して入手。そこらに置いといたら、古典好きに育った高校生の長女が休校のつれづれに読み終えた(実事ありやなしやを追求していくハイレベル対談、おもしろかったらしい)というので、彼女にとってもよいであいになってくれたのだといいなと願っている。 -
国語学者の大野晋と作家の丸谷才一の対談で進む「源氏物語」の解題。精妙な言葉の使い分けに反応して、ここまでわかっている2人が交わすやりとりは、羨ましくも呆然とするばかりでした。紫式部は極めて微かにしか男女の夜の事を記さないので、実事ありや?と互いに確認しあっているのが面白い。林望訳では、そこを書いていませんが、物語を知る上では、実は重要事項ですよね。下巻に続く。
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上巻かなり読みやすく、ところどころで「あさきゆめみし」を開きながら(谷崎訳を開かないところがまた悲しい)面白く読めました。須磨の源氏が朱雀帝に生霊となってたたったが為、源氏は都に呼び戻された。言われるとすんなりなるほどと思えたのに、六条御息所は生霊と言って源氏をそう呼ぶのははばかる無意識が驚きでした。全面的に私はこの本を鵜呑みにしてしまった。
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源氏論はこの対談集に尽きると言っても過言じゃない
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とってもイイ(⁎˃ᴗ˂⁎)
全巻について原文抜粋・小説家訳→国語学者と二人であれこれ議論、感想交換。
若紫は絶対読め、匂宮~竹河はこの本の要約で充分、式部はこの辺で十二指腸潰瘍になったはずだ、理由は…と自由な発言が楽しい。
「かかやく日の宮」があるはずだがカットされ散逸した、谷崎源氏も不敬罪だとカットされた時期があったように。
後人の補作で散逸したものがあるが、匂宮など三巻は残ったそれで式部作ではない、いや本人の気持ちの変化の跡で本人作だ云々。
単語や助詞の質や数の分析も。研究・考察とはこうやるのだと手本になった。 -
源氏物語を読んでいる時より、むしろこの博識の達人二人の対談を読んでいるときの方が楽しいかも!答え合わせの様な楽しさ。
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最高!最高の本だよー!知性の塊二人が、源氏物語を、オタクのように語り尽くす本だよ!面白くないわけないじゃん?!あと小説書きたいなーとか今書いてる人には、古典的だけど千年変わらない、物語を面白くするギミックが、この本で理解できるから、すごくいいと思う!わたしもこのギミック使ってなんか書きたくなっちゃったよ。
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高校とかで国語とか教えている若い人は、今や過去の人ではあるけれど、こういう、ものすごい人がいたことは知っておいた方がいいと思う。
優しそうに語り合っている二人の頭の中なのかどこなのか、膨大な集積があって、だから優しくて、わかりやすいということは、大野の日本語論、もちろん素人向け、丸谷の文学論、もちろん一般読者向け、を一、二冊手に取ればすぐわかるし、その方面に関心がある人はもちろんだが、ない人でもきっと病みつきになる。
そういう本の集大成みたいな対談なんですよね、これって。社会的歴史的背景の解説はもちろんですが、二人の「読み」の面白さがでたらめじゃないことがすごい。実事なんて言い回しで、男女の関係の深さを、いけしゃあしゃあと解説する大学者、笑っちゃいますよホント。