- Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122042247
感想・レビュー・書評
-
私の聖書物語◆イエスの誕生◆クリスチャンであること◆モラルについて
著者:椎名麟三(1911-1973)
解説:佐古純一郎(1919-)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
神を信じる者には、神を疑い、ためす権利がある
ゴルゴダのイエスだって「エリエリレマサバクタニ」と悲鳴をあげた
エリエリレマサバクタニ
すなわち、「主よなぜ私をお見捨てになるのですか」だ
イエスは、みずからの復活を預言によって知っていた
にもかかわらず、死の間際になって迷ったのだ
すべては幻にすぎなかったのではないか?と
ニーチェよりもずっと先に、イエスは神に疑義を呈していたわけだ
しかしイエスは三日後復活した
唯物論的観点から、そんなの嘘だと言う人はいるだろう
基本的に、この本はそういう主張に立脚してます
しかしそれでもなお神を信じずにはやりきれないこともあって
その点、人間は自由な存在なのだ
逆にこうも言える
イエスは、そうしてみずから神を疑ってみせることにより
すべての人の弱さを肯定したのだと
ぺテロ、ヤコブ、ヨハネら逃げ出した者たちも
イエスを売り渡したユダも
すべて信仰を維持できなかった者たちであるが
それは要するに、イエスの奇蹟を目にしてもなお
半信半疑だったということだ
しかし預言者ならぬ人々が神の存在を信じきれないのは
むしろ当然のことといえる
それに対してイエスの提示した答えが「エリエリレマサバクタニ」
そういうことではないだろうか
そこまでイエスを追い込んだのは
暴力と観念と倒錯の問題、だと思う
椎名麟三という人はもともと共産党員だった -
キリスト教はよく分からんが、そこに「神」を感じるというのは、宗教の垣根を超えた基本だろう。キリスト者の作者が街を歩き、生活して感じたこと。そこに神の教えを私的解釈でのせてゆくエッセイ。基本、この人の小説の方が好きなのだが、ものの捉え方、感じ方は相変わらずのハイセンス。
-
キリスト教作家、椎名麟三の聖書と基督と人生に対するエッセー。キリスト者でありながら、キリスト者でないと語る著者の気持ちはわかる気がする。聖書の神学云々ではない、私を生かしたキリストが大切なのだ。これは信仰者にはなくてはならない姿勢だと思う。自分の汚い部分もさらけ出して、それを許し愛し、生きる意味を与えてくれるキリストを愛する。キリストのようになりたい、という敬虔な姿勢とは程遠いが、これも一つの信仰の形なのだろう。最後の「罪こそが罰」という内容にはうならされる。
人生のうねりの中でのキリストとの出会いによる、著者の人生論。
09/4/12