どくろ杯 (中公文庫 か 18-7)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122044067

感想・レビュー・書評

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  • 世界を旅した人の本は多数あるけれど、これほど泥臭く、腐臭と怯え、快楽と逃亡を記録した作品は時代背景も含めて今後出てこない、というかこれないと思う。

    詩人として華やかに文壇に登場した金子光晴ではあったが、最初の作品以後これといっためあたらしい作品をださぬまま、妻を連れて放浪の旅へでてしまう。
    日本がアジアを統治していた時代、金もないのに誰かにすがりながら生きながらえて、時に豪遊し、なぜかパリまでたどり着けたのは、極限であってもそれを受け入れ生き抜く動物のような感覚なのか。
    人間のモラルは世間体という他愛のないものによって実は守られている
    というような文章があった。
    その世間体を抜きんでる人物が、自分は臆病ものなのだ、と表現することが多い。臆病を隠すためにはじけてしまうのだと。

    これだから芸術家肌は魅力的でやっかいだ。

  • 受験終わったら一気に読むつもり。

  • 金子光晴の自伝的小説。
    どろっとしたものがずっと流れているよな、
    そんな小説。
    わくわくドキドキまるでなし。
    淡々とすさまじい人生。

    結婚して、奥さんが不倫して、
    その奥さんと恋人を引きはなすためにパリを目指す。
    激☆貧乏旅行。
    上海→香港→シンガポール
    そしてパリへ。

    他にもジャカルタや蘇州にも足を伸ばす。
    詩人が絵をかいてお金を得る。
    『どくろ杯』は言ってみれば出発編。
    『ねむれ巴里』、『西ひがし』と続編がある。

    1920年代後半からはじまるたび。
    不思議なのは、80年近く前のことなのに、
    金子光晴の感じていることが、
    すごく生き生きしていて、
    私が上海や香港で感じることと重なると言うこと。
    発展しても、時間が流れても、
    その町の根底にあるものはそう簡単には変わらないのかもしれない。


    楽しい旅行記だと思ったら大間違い。

  • 美しい言葉を読むのは

    食べ物を
    体内に取り込むような

    むさぼるのではなく
    少しずつ浸透するような

    そんな気持ちで読みました

  • 沢木耕太郎も金子光晴から影響を受けたという。
    連鎖、連鎖。
    記憶・想い・旅は続く。

  • ただの趣味です。

  • すさまじい、としか感想の浮かばない、とんでもない放浪記だ。昭和のはじめ、金子光晴は、生まれたばかりの子供を日本に置いたまま、妻の森三千代を伴い、上海を皮切りとする5年間におよぶ放浪をはじめる。潤沢に資金があるわけではない、どころか、旅先でお金を稼がないと暮らしてもいけないような状態での放浪である。放浪する、というより、むしろ、どうやって「生きのびる」かがテーマになるような貧困の中での放浪だ。そのようなすさまじい放浪であるにも関わらず、筆者はそれを、あっさりと、むしろ淡々と記述している。それは、筆者がこの放浪記を書いたのが、旅を終えてから40年を経た後の筆者の人生の晩年であったからだろう。まるで他人事のように、「そういうこともあったよね」というような感じで書いている。おそらく、そうでなければ、およそ読むに耐えないような旅行記になっていたのではないだろうか、と思う。この「どくろ杯」は放浪記の第一巻。もちろん、続きを読んでみるつもりである。

  • 詩人が残した自伝めいた紀行文。タイトルに象徴されるように、おどろおどろしくも生命力に溢れた一時期の上海のイメージが言葉から立ち上がってくる。

  • 虚飾さえめんどくさくなった老人の半生記。もう本当にどこを読んでも面白い。詩人ならではのやわらかく切れのある文章。

  • 『こがね蟲』で詩壇に登場した詩人は、その輝きを残し、夫人と中国に渡る。長い放浪の旅が始まった青春と詩を描く自伝。〈解説〉中野孝次

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著者プロフィール

金子 光晴(かねこ・みつはる):詩人。1895年、愛知県生まれ。早稲田大学高等予科文科、東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科、慶應義塾大学文学部予科をすべて中退。1919年、初の詩集『赤土の家』を発表した後に渡欧。23年、『こがね蟲』で評価を受ける。28年、妻・森美千代とともにアジア・ヨーロッパへ。32年帰国。37年『鮫』、48年『落下傘』ほか多くの抵抗詩を書く。53年、『人間の悲劇』で読売文学賞受賞。主な作品として詩集『蛾』『女たちへのエレジー』『IL』、小説『風流尸解記』、随筆『どくろ杯』『ねむれ巴里』ほか多数。1975年没。

「2023年 『詩人/人間の悲劇 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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