北里柴三郎(上)-雷と呼ばれた男 新装版 (中公文庫 (や32-5))

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122067479

作品紹介・あらすじ

第一回ノーベル賞を受賞するはずだった男、北里柴三郎。その波瀾に満ちた生涯は、医道を志した時から始まった。「肥後もっこす」そのままに、医学に情熱を傾ける柴三郎は、渡独後、「細菌学の祖」コッホのもと、破傷風菌の純粋培養と血清療法の確立に成功する。日本が生んだ世界的医学者の生涯を活写した伝記小説。



〈目次〉

第一章 立志の道

第二章 ベルリンの光

感想・レビュー・書評

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  • 今まで名前しか知らなかったが、過日病院にお世話になった。ネットでは病院の悪評、好評様々あるが、私的には病院運営上の合理性と患者に寄り添う接遇が見事に融合されていると感じた。この病院の体質は何由来なのか気になり本書を手に取った。多くの企業や組織は指針となる理念を掲げているが、案外形骸化しているものと思う。しかし北里大学病院では、今なお柴三郎の医者としての姿勢が受け継がれている気がする。権力者などに対する儲かる医療ではなく、庶民の健康や治療に寄与する公衆衛生や医療。新千円札になるのも頷ける人物。

  • 『ドンネルの男・北里柴三郎』上・下巻
    山崎 光男 著 読了


    前作、資生堂の創業者を描いた「開花の人」が
    なかなか面白かったんで
    医療系を得意とする作家だし
    少々深掘りしてみようかと


    本書は
    医療モノ好きとしては避けて通れない
    日本を代表する細菌学者
    北里柴三郎の評伝

    1853年、現在の熊本県阿蘇郡に生まれる
    庄屋を務めていた、温厚な父と
    躾の厳しい母に育てられる


    幼い頃から儒教を学び
    その後、熊本医学校に進む

    その時に出会ったオランダ海軍軍医で教師だったマンフェストから
    多大な影響を受け、医学の道を志す

    更に、現東京大学医学部に進学するも
    教諭の論文について激論を交わし
    優秀な成績を修めながら要注意人物になる

    卒業後、内務省に勤め
    念願のドイツ留学を果たす

    当時、細菌学の世界で名を馳せたコッホに師事
    破傷風菌の純粋培養に成功し、血清療法を確立した

    その業績により、世界中の研究者から注目され
    欧米各国の名だたる大学から、破格の条件でオファーを受けるも
    国費で留学してることを理由に帰国する

    当時の国民病であった脚気の原因について
    東大教授、緒方正規とぶつかり、干されてしまう

    研究ができなくなった北里を救ったのが福沢諭吉
    私財を投じ、経理に明るい人材を紹介し
    事あるごとにバックアップをする

    伝染病研究所を設立
    政府から派遣されて、香港に渡りペスト菌を発見する


    数々の業績を残すも
    政治的施策により、伝研究が内務省から文部省に移管され
    北里と相性の悪かった東大に合併される事になり
    所長を辞任

    その際、研究員を含めた職員全員が辞表を提出し
    伝研騒動と言われ、世間を騒がせた

    私費を投じて北里研究所を設立
    亡き恩師の福沢諭吉が設立した
    慶應義塾大学に医学部を創立し
    初代医学長に就任する

    日本医師会を創立し、初代会長に就任

    享年78 麻布の自宅にて脳溢血で倒れる

    質実剛健、情に厚く、義理堅い
    後進の育成にも積極的で
    伝研騒動に象徴されるように
    人望も厚かった

    それも、熊本医学校時代の恩師である
    マンスフェルトの影響が大きかったようだ

    「教師は学生を一緒に仕立てるものではなく
    学生に研究上、いくべき道を示し
    将来単独で研究すべき方法を教える者である」
    と言う教育方針を受け継ぎ

    後に
    野口英世や、志賀潔などの弟子を輩出している

    また、ドイツ留学時代の恩師であるコッホからは

    「伝染病の撲滅と衛生行政の徹底のためには
    大学教育を離れて独立して研究を進めるべきだ」
    と教えられ、苦境に立たされても
    信念を曲げず、実践している


    世界に認められ、ノーベル賞生理学・医学賞候補になる程の
    実力と人望を兼ね備えた北里だったが
    ドイツ留学からの帰国後
    研究が出来る環境を取り上げられ
    一番苦悩していた時期に
    救いの手を差しのべた
    福沢諭吉との交流が印象深い

    「国や政治は、風向き次第でいつでも方針を変える
    当てにしてはいけない」と

    激動の時代を冷静に見つめ
    その先の日本を、諸外国に劣らず
    強固な国に導くべく

    当時、既に教育者であり思想家だった福沢は
    巨額の財産を築き上げ、資金的援助をする

    その意思に応えて
    福沢亡き後、彼の念願だった慶應義塾大学に
    医学部を創設した件には胸アツになったな

    権力に屈する事なく
    自国の公衆衛生と予防医学に尽力した北里は
    近代医学の父と呼ばれるに相応しい


    本書のタイトルにもある
    「ドンネル」は、ドイツ語で「雷親父」

    気性の激しい性格で、気に入らない事があると
    辺り構わず雷を落とす事から
    弟子たちからは、恐れられながらも
    親しみを込めて「ドンネル先生」呼ばれていたようです


    #北里柴三郎
    #ドンネルの男
    #公衆衛生の父
    #読書好き

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50155581

  • 新千円札の肖像になる偉人の伝記小説。
    読みやすいし、すごく面白い。
    医学に対する真摯な態度は見習いたい。

  • 偉大な細菌学者の北里柴三郎の伝記小説。上巻は大学卒業からドイツ留学を終えて帰国するまでの話。
    地味だけどコツコツやる研究がツベルクリンのコッホ先生に絶大な信頼を得ることに。そして、二回の留学期間の延長。普通あり得ない。せっかくドイツに行っているのに、観光の一つもしないで、研究室と下宿の往復。私には出来ないな。何かを成し遂げる人は違う。

  • ヨーロッパの人口を激減させ、人々を恐怖させたペスト菌を、近代医学に触れてから間もない日本人が発見した。第1回だったノーベル賞をとってもおかしくない偉業にも関わらず、野口英世の伝記は読んだことはあっても、この北里柴三郎は、1行ほどの知識しかなかった。今も人々を恐れさせる感染病に命をかけて立ち向かう姿と師匠コッホとの師弟愛に感動した。そして、今までは一万円札として好きだった福沢諭吉をあらためて好きになった。

  • 資料ID:98191595
    請求記号:080||C||上
    配置場所:工枚特集③
    (※配置場所は、レビュー投稿時のものです。)

    ☆特集展示「おかねのはなし特集」☆
    私たちの暮らしと切り離すことができない「お金」に関する図書を
    さまざまな視点で集めました。

  • 請求記号 913.6/Y 48

  • 念願のドイツ留学を果たした柴三郎。「細菌学の祖」コッホの下、世界で初めて破傷風菌の純粋培養を成功させる。近代日本医学の父の生涯を描いた伝記小説。

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著者プロフィール

山崎光夫
一九四七年福井市生まれ。早稲田大学卒業。放送作家、雑誌記者を経て小説家に。八五年『安楽処方箋』で小説現代新人賞を受賞。医学・薬学関係に造詣が深い。小説に『ジェンナーの遺言』『ヒポクラテスの暗号』『精神外科医』『風雲の人 小説・大隈重信青春譜』『小説曲直瀬道三 乱世を医やす人』など多数。ノンフィクションに『東京検死官』『逆転検死官』『戦国武将の養生訓』『薬で読み解く江戸の事件史』『胃弱・癇癪・夏目漱石 持病で読み解く文士の生涯』など。九八年『藪の中の家 芥川自死の謎を解く』で第十七回新田次郎文学賞を受賞。

「2023年 『鷗外青春診療録控 本郷の空』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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