- Amazon.co.jp ・本 (471ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122067844
作品紹介・あらすじ
改造社は関東大震災で大打撃をうけたが、昭和にはいり「円本(えんぽん)」という手軽な文学全集でベストセラーを送り出した。本書はその一冊で、「世界大衆文学全集」のなかの一冊であった。
円本は多額の印税を作家や翻訳者にもたらし、つぎつぎと企画をたてるなかで作品が足りなくなり、代訳も横行した(名の知れた作家の印税で、下積みの作家がうるおうという構図もあった)。後日、江戸川乱歩もこの翻訳がすべて渡辺温らによることをあかしている。昭和初期の江戸川乱歩全集にははいっていたが、その後の全集からは削除された。訳者・渡辺温は二十七歳で事故死した作家で、共訳はその兄でミステリ作家となった渡辺啓介である。附録として江戸川乱歩と谷崎潤一郎の渡辺温についての文章を収載。書き下ろしは渡辺東による渡辺兄弟にまつわるエッセイと浜田雄介による解説。
感想・レビュー・書評
-
江戸川乱歩名義(※実際に翻訳したのは渡辺温・渡辺啓助)で発表されたポオの翻訳が文庫化。
こういうレアなものが文庫で入手容易になるのは有り難いことだ。また、ポオの作風と、このレトロな翻訳が合っているんだよなぁ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
全集から削除された幻のベストセラー、渡辺兄弟のゴシック風名訳が堂々の復刊。温について綴った江戸川乱歩と谷崎潤一郎の文章も収載。〈解説〉浜田雄介
-
初めてポーに出会ったのは、小学生の時、学校の図書館でのことである。
『黒猫』を読んだ私は、それまで体験したことのない、大きな衝撃をうけた。
この黒猫は、自ら壁に飛び込んだのだ!
一瞬にして、そう悟ったのだ。
理由はわからない。
幼い子供の、思考とも呼べない、突飛な感性である。
後に、中学生だか高校生だかの時に読み返してみると、自分のその思い込みに疑問が生まれ、あれほどの衝撃は感じられなくなってしまった。
大人になった今では、猫より人のほうに目が向いてしまい、
過ぎたアルコールは身の破滅だなあ、作者ポーの実感かなあなどと、小理屈を巡らせる始末だ。
嗚呼、幼き日の少女よ
わたくしは貴方の感性を失つてしまつた!
見れば序文には、こう書いてある。
『もともとポーの作品に於いて読物的価値を第一義的に考へることは無理なのだから、大衆小説として必ずしも喝采を拍すべきもののみとは限らない。』
ざっくりいえば、「わかりやすく面白い話ではないよ」。
なるほど、そのとおりなのだ。
今回、『アッシャア館の崩壊』を読み終えた時(再読かもしれないが、あまり記憶にない)、私が言いたくなったのは、
「だからそれがなんなんだ!」
であった。
なぜそこに居続けるのか、なぜそこを出ていかないのか、なぜ唯々諾々と彼につきあって、なんら建設的なことをしないのかetc.etc.etc....
言いたいことがありすぎて、なにがどう高い評価に値するのかさっぱりなのだ。
つまりなにか?
不健全な感性を終始一徹に描ききったのがよかったのか?!
嗚呼、わたくしの失はれた、或いは持ち得ない感性よ!
ポーが生き、小説をものしていたのは19世紀、それも前半のことである。
今から200年近くも前、日本はまだ江戸時代天保年間だ。
物語の形、話のありようも、今とは異なっていただろう。
『マリイ・ロオジェ事件の謎』などは、ここで、こんな形で終わるのか!と、仰天させられてしまった。
読後に調べてみれば、これは実際の事件をモデルにしたらしい。
いわば初期のジャーナリズムで、フィクションのような、ノンフィクションのような、作者によるマスコミへの批判のような、こなれないごった煮感がある。
どこかで読んだなあ、古びたネタだなあと思ったのは、『ウィリアム・ウィルソン』であるが、これは私のウカツさも甚だしい。
古びたのではなく、これが始祖なのである。
むしろ、他の数多の物語が、ポーの下に生まれていたのだ。
繰り返される状況の一つに、
「頭のよい人と頭のよい人が、引きこもって暮らしている」
というのがあった。
『黄金虫』『アッシャア館の崩壊』、探偵デュパンと語り部の「私」などである。
頭の良い人、図抜けて頭の良い人というのは、孤独だ。
話の通じる相手が、なかなかいないのである。
頭脳の良し悪しに差があると、言葉が通じない。
嗜好、関心の向く先が似通っていないと、話が成り立たない。
同じ頭脳、思考、感性、美意識、浪漫を解する人といたい。
馬鹿で、無様で、野暮で、俗な奴らとはかかわりたくない。
間違いなく天才の頭脳を持ち、見識広く、教養深く、独自の美と感性を身の内に持するエドガー・A・ポーの、これは理想の境地ではなかったか。
ところで、表紙には謎の文言がある。
「江戸川乱歩名義訳」
高校生の時、江戸川乱歩には感服したものだ。
あれだけの作品を創造しながら、なおこれほどの翻訳もしていたとは、なんという偉大な、精力的な作家だろうと、驚き感じ入ったのである。
嗚呼、思春期のわたくしよ
貴方はかくも無邪気であつた!
今回、この本を読んで、初めて別の人が訳していたと知った。
実は編集者が翻訳をしていて、「乱歩訳」とは名義のみだったのである。
まあたしかに、編集者名義より、大作家先生名義のほうが、売上もよかったろう。
嗚呼、俗気に塗れた今のわたくしよ!
実際に翻訳をしたのは、渡辺温・渡辺啓助という兄弟である。
渡辺啓助はもちろん推理作家であるが、これを訳した当時はまだ大学在学中であった。
彼をこの翻訳に誘ったのは、一つ下の弟、渡辺温である。
創作もし、編集もし、誰もがその才能に期待をよせていた人物であるが、27歳で夭折。
彼らがどこにうまれ、育ち、どのようにその才能を育んできたのか、物語を描き、ポーその他を訳し、才気あふれる文壇の中に生き、そして、なにがそのような運命にあわせたのか。・・・・・・
色々興味深いのだが、それについては、この本にある随筆や解説を読んでいただくのが一番よい。
物語の怪しさ、不可思議さ、訳の巧みさ、美しさ、余人の持ち得ないいくつもの才能がより合わされた、必読の一書である。