がん‐4000年の歴史‐ 下 (ハヤカワ文庫NF)

制作 : Siddhartha Mukherjee 
  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150504687

作品紹介・あらすじ

古代エジプト人を悩まし、現在も年間700万の命を奪う「がん」。現役医師が患者や医学者らの苦闘を鮮烈に綴る名著。解説/仲野徹

感想・レビュー・書評

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  • 本書に書かれた人類とがんの壮絶な闘いの記録を読んでいると、がんで死ぬということは、ある意味天寿を全うする一つの形であって、がんの治療とは、元々人間が授かった寿命を超越しようとすることとなのではないか、とも思えてきた。

    しかし、もちろん、簡単な道のりではないにせよ、きっと人類は成し遂げるのだろう。

    ♪More Than Enough/New Found Glory(2023)

  • 上巻で一旦満腹になり、読了に少し時間が空いてしまったが、下巻も読み応えのある良書だった。

    上巻は、とにかくがんを切って切りまくる時代。そして、がんとは何者かがわからないままに行われてきた化学療法の時代だった。

    下巻はまず、がんの予防が取り上げられる。それも数字的に明らかに効果があった禁煙である。現在、街からは喫煙所すら姿を消しつつある。こうした社会的な流れはどのようにして起きたか、その端緒を知ることができる。
    当然ながら上巻に引き続き、化学療法も取り上げられる。自家骨髄移植と超大量化学療法のプロトコールが患者にもたらすものは何なのか。片時も目を離すことができない。

    そして、時代は、がんの遺伝子解析へ向かう。いわば、がんの正体を追い詰める作業である。それまで手当たり次第に行われてきたがん細胞への細胞毒の攻撃は、分子標的薬によるターゲットを絞った攻撃へと様変わりした。がんは多種多様であり、患者によって異なる顔を見せる。しかし、分子生物学に基づく医療は、将来的に、個々人のがんへのテーラーメイド医療へと結実すると予測される。

    本書は、がん医療への希望を感じさせる。すり足のような遅々たる歩みながら、確実にがんの生存率は上がっている。数カ月、数年の延命だとしても、それは大きな成果だろう。そこには、医療者の弛まない努力がある。だが何よりも、泣き、叫びながら闘い続けてきた有名無名の患者たちの肩に我々は立っている。いずれ我々の肩にも、後進たちが立つことだろう。

    本書を著者のシッダールタ・ムカジーは「がんの伝記」としている。伝記はその者の死をもって幕を下ろす。その意味では、本書はまだ終わりを見ていないのである。では、がんは、いつか死を迎えるのだろうかとムカジーは自問する。彼は明言はしていないが、そこまで楽観的な話ではなさそうだ。本書刊行から約10年。がんの物語はまだ続いている。次に伝記が書かれるとき、さらに希望に満ちたものとなっていることを願ってやまない。

  • シッダールタ・ムカジー「がん-4000年の歴史-(下)」読了。上巻も合わせると読了までずいぶん時間がかかったが、がんに抗ってきた人類の長い歴史を学ぶ事ができた。特にがん細胞が変異を繰り返すウィルスに似てその対策がイタチごっこである事。でも科学の発展が密接に関連し克服される事を信じたい。

  • 下巻は主に1920年代から2000年代まで
    がん の理解がどれくらい進み、
    治療法が(迷走しているように
    見えながらも)どのあたりに到着しているか、
    また並行して社会が、いかにタバコとがんの
    関係を理解できないでいるか、社会的取組みが
    決着できないでいるか、
    そんなこんなを俯瞰してくれた。
    長い長い戦いの記録です。

    ため息と悲観で読み終えるか、
    それとも、楽観とともに最終ページを閉じるか
    は、本書の理解度によるのではなく、
    読んだ人の経験と世界観によると思う。

    私の場合は、ため息と悲観と楽観が
    ごちゃ混ぜにかき回されている。

    がんに対する武器を
    手に入れてくれた医学の累積に
    感謝します。
    同時に、がんにやられたたくさんのたくさんの
    患者と医療関係者のことを
    少し想像しようとして、気が変になりそうです。
    50年、100年単位でとらえれば、確実に
    進化したがん療法ですが、ひとりひとりの
    人生は1回限りで100年未満なんだもの。
    やるせない。

  • また凄いの読んじゃったな。
    上巻を読んでるときは、近藤誠の『患者よ、がんと闘うな』を思い返していた。
    90年代にセンセーションを巻き起こしたのも、本書のセンテンスを辿ると、出るべくして出たという時代の必然性を感じていた。
    そして下巻になったら、何かホントとんでもないオチが用意されててブッたまげた。
    例えて言えば、ある探偵が何年も前に失踪した人物を捜すよう依頼されて、探し出してみると自分だったという、昔見た映画のシナリオのような驚天動地の展開だ。
    著者の例えはもっと洗練されてて、異国の獣スナークを捕まえたハンターが、それがかつてその獣を捕まえに来ていたハンターだと知るというルイス・キャロルの詩を引用している。
    それが「がん」の正体だったのだ、と。

    「がん」の正体とは何か?
    ただのしこりなんかでは絶対ない。
    病理的な定義では「無制御な細胞分裂」ということになるが、それだけでもない。
    体じゅう至る所に移動し、組織を破壊する。
    臓器に浸潤し、新たにコロニーもつくっちゃう。
    周りには新しい血管まで張り巡らし、おまけに薬にも抵抗する、そんな病。
    恐るべき増殖能力で、30年前に死んだ女性から採取された白血病細胞が、いまだ研究室内で繁殖し続ける。
    基本的に不死なのだ。

    これまでがんの原因因子として3つが考えられた。
    ウイルス、化学物質、そして遺伝子だ。
    最初は何が「がん」の危険因子になるのかを外部に求めていた。
    たばこの煙やアスベストのように発がん因子は外部にある、と。
    B型肝炎ウイルスやピロリ菌もがんを誘発するとわかった。
    しかしすべての発がん因子が単独でがんを誘発するわけではない。
    ピロリ菌を豚に感染させても潰瘍を作らなかった。
    発癌因子の同定だけでなく、何をしているかのメカニズムの理解が必要だと悟る。

    それともう一つ、疫学の致命的欠陥が露になる。
    これまでの発がん因子の探求において、関係性は記述できるが原因を記述できていないことだ。
    つまり、症例対象研究もあらかじめ統計的分析から関連性を疑い、何を調べ何を確認するかをあらかじめ知っていなければならないという逆説的な問題だ。
    それでは逆向きにも辿れないか、何千種類もの化学物質からどれが未知の、突然変異を誘発する変異原生物質か見つけ出すことはできないか。

    そうこうするうちに、病的な細胞分裂が、細菌や傷といった外的因子に対する反応としてではなく、細胞自身の自律的な内的シグナルによって促進されていることがわかる。
    染色体の異常こそががんに特徴的な病的な増殖の原因ではないか、がんとはつまり、遺伝子の突然変異の病気ではないか、と。

    「これほど多様な原因を持つ病気は前例がなかった。複雑な症状を呈する複雑な病である糖尿病も、根本的にはインスリン分泌の異常が原因だ。虚血性心疾患は、動脈硬化性隆起が心臓の血管を狭くしたり、破れて血管を詰まらせたりするために発生する。それに対して、がんについては、その発生メカニズムについての統一的な説明が決定的に欠如していた。制御されない異常な細胞分裂以外に、いったい何が、がんの発生の根底にある共通の病態生理学的メカニズムなのだろう?」

    これまではがん治療の“魔法の弾丸〟探しにばかり躍起になっていた。
    がん細胞そのものや内部のメカニズムを理解しないまま「がん」と闘おうとしていた。
    それはまるで、「エンジンを理解しないままにロケットを発射するようなものだった」。

    もう一つの流れであるがん予防の分野も1980年代末には隘路にはまり込んでいた。
    それは予防検査の一つであるスクリーニング検査の有効性に関わる問題だった。
    スクリーニング検査には2つの特徴的な過ちが内在していた。
    過剰診断と過小診断である。
    陽性と判定する基準を厳しくすると過小診断が増えるし、逆もまた然り。
    まるでシーソーのように両者の絶妙なバランスを見つけることは不可能なため、陽性と陰性とのあいだのグレーゾーンにいる患者が見落とされてしまう。
    もう一つの問題は、仮にスクリーニング検査の導入によって、医師らがすべての早期の前がん病変を発見できるようになったとしても、小さな腫瘍を発見するだけでは不充分であることがわかった。
    なぜならがんの性質が一様ではないからで、ある腫瘍は本質的に良性であり、悪性化しないことは遺伝学的に決まっているのに対し、ある腫瘍は本質的に浸潤性であり、たとえ症状出現前の早期に治療を開始しても、患者の予後は変わらないのだ。
    これでは意味がないではないか。

    マンモグラフィーもある年代にとっては"くじ"と同じ効果しかない。
    この辺りのたとえが絶妙で、がん検出装置を拡大鏡に例えて説明する。
    すなわち拡大鏡は、フォントサイズが10ポイントから6ポイントくらいのときには大変役にたつ。
    だけどそれ以上もっと小さくなってくると、文字を正確に読みとることが難しくなってくる。
    マンモグラフィーの場合、55歳以上の女性では、乳がん罹患率の「フォントサイズ」が充分に大きいため、申し分なくその役目を果たすことができる。

    「しかし、40から50歳の女性では、マンモグラフィーはその不快な境界線 — がん検出装置としてのマンモグラフィーの本来の能力を超えた境界線 — に目を細めはじめる。その年齢層の女性たちにどれほど熱心にマンモグラフィーをおこなっても、スクリーニング検査として満足のいく成果はあげられないのだ」

    それに人間は視覚的な生き物なので、腫瘍が大きいなら危険だと即断してしまいがちだ。
    「大きいほうが悪く、小さいほうが良い」というふうに。
    しかし、どれほどカメラが強力でも、がんはこのシンプルなルールすら混乱させる。
    命を奪うのは転移なのだが、腫瘍が小さいからといって転移していないとはかぎらないし、大きな腫瘍でも、遺伝的に良性の場合もあるからだ。
    ここから、がん予防成功の決め手は、生存率ではなく死亡率を判断基準にすることが示される。

    予防のための検査の問題だけでなく、何が治療として有効かを確認する臨床試験にも、問題が浮かび上がった。
    自家骨髄移植を併用した超大量多剤併用化学療法、通称「STAMP」はのちに有効性がないと判明するのだが、強烈に苛酷な治療で、患者を死の瀬戸際まで平気で追いやる治療法だった。
    だが患者は、進んでこの有効性の明らかでない新しい治療に飛びつき、その一方で誰一人、臨床試験に参加したがらなかった。
    なぜなら、非治療グループに入れられたらたまったものではないからだ。
    高額で、治験段階の治療に保険は下りないと渋る保険会社を訴えてまで望んだ新しい治療法は、後から振り返れば、自ら寿命を縮めるだけの愚行でもあったのだ。

    がん治療は患者からしたら、地図のないパラシュート降下と同じである。
    患者はある意味、真夜中に突然、機内で起こされ、慌ただしくパラシュートをつけられ、地図も持たされず放り出される。
    攻撃的な治療法に取り憑かれた腫瘍医は、どんどん新しいパラシュートを発明しては患者に着せていくのだが、系統立った地図はどこにもなく、無事着地しても道に迷うこと必定だったわけだ。

    がんというのは実際には多様な病なのだから、単独の戦略で対処できる単独の疾患ととらえるべきではない。
    さまざまながんを一度にノックアウトできるような魔法の弾丸探しや、予防や早期発見も結構だが、たった一つの道筋で太刀打ちできるものではない。
    しっかりと「がん」の起源、発生のメカニズムを探るべきだというところから、ハロルド・ヴァーマスとマイケル・ビショップの原がん遺伝子説が生まれ、がんの正体とはつまるところ我々そのものではないかという発見に至る。
    細胞を分裂マシーンに変え、細胞分裂の「オン」シグナルを永久に流しっぱなしにするsrc遺伝子は、ウイルス由来だと思ったら、実は正常細胞由来だった、と。

    「がん原因遺伝子(ウイルスのsrc)の原型である正常細胞のsrcは、細胞に本来そなわった遺伝子なのかもしれない。ウイルスのsrcは正常細胞のsrcに由来するのかもしれない。レトロウイルス研究者は長いあいだ、ウイルスが活性化したsrcを正常細胞に組み込んで正常細胞を悪性化すると信じていた。しかしsrc遺伝子はウイルス由来ではなく、正常細胞に — あらゆる細胞に — 存在する原型遺伝子に由来するのだ」

    ウイルスは確かにがんをつくるが、細胞由来の遺伝子を運ぶことでつくっているのだ。
    ウイルスは実のところ、がん細胞に由来する遺伝子の偶然の運び屋に過ぎない。
    化学物質やX線で誘発される突然変異によってがんが発生するのも、外来性の遺伝子が細胞に挿入されるためではなく、内在性の原がん遺伝子が活性化されるからではないか。
    こう考えるといろんなことが腑に落ちる。
    放射線や煤やたばこの煙といった一見なんの共通点もないように見える多様な原因が、なぜ一様にがんを誘発するのかは謎だった。
    だけどそれらが、細胞内の原がん遺伝子を変異させ、活性化させることによって誘発しているのだと考えれば、納得がいく。
    DNAに突然変異を起こす化学物質が「がん」を誘発するのは、それらの物質が細胞の原がん遺伝子を変化させるためである。
    喫煙者のほうが「がん」の罹患率が高いのは、たばこがそれらの遺伝子の突然変異率を増加させるためである、と。

    がん細胞の中心的な分子的欠陥としては、rasとRb、がん遺伝子とがん抑制遺伝子とがある。
    活性化した原がん遺伝子は、言ってみれば「戻らないアクセル」と同じで、アクセルが戻らなくなった細胞は、細胞分裂の道を疾走する。
    分裂を止めることができず、いつまでも分裂を繰り返す。
    不活性化したがん抑制遺伝子は、言ってみれば「失われたブレーキ」と同じで、細胞はあらゆる停止シグナルを無視して、分裂をどこまでも繰り返すのだ。

    「要するに、がんはその起源だけが遺伝子にあるのではない。すべてが遺伝子の支配下にあるのだ。がんのあらゆる習性が異常遺伝子に支配されているのだ。変異した遺伝子から流れ出る異常シグナルの滝(カスケード)は、細胞内を広がりながら細胞の生存能力を高め、増殖を加速し、移動を可能にし、血管を新生し、栄養状態を高め、酸素を取り込み — がんを生きながらえさせる」

    「注目すべきは、そうした遺伝子のカスケードというのは実のところ、生体の正常なシグナル伝達経路のゆがんだバージョンだという点だ。たとえば、がん細胞で活性化されている”遊走遺伝子"は、免疫細胞が感染巣へ移動する際など、正常細胞が体内で移動する際に利用するのと同じ遺伝子である。腫瘍血管新生が利用しているのは、傷を治すための血管新生の経路だ。新しくつくられたものは何もなく、外来のものも何もない。がんの命とは生体の命の要約であり、その存在は、われわれ自身の病的な鏡像だ。スーザン・ソンタグは病気を隠喩で表現しすぎてはならないと警告した。だが、これは隠喩ではない。がん細胞はその根本的な分子的性質において、われわれ自身のコピーなのだ。生存能力を付与され、活動の亢進した、多産で創意に富む、われわれ自身の寄せ集めのコピーなのだ」

    ここで著者は、「がんの誕生物語」を、ある防火設備の取付業の男性が一片の小さなアスベストを吸い込んだことから始まる、30年以上もの長きにわたる「がんの成長物語」を紡いでいる。
    発がんとは長い、ゆっくりとしたマーチである。
    前がん病変がまぎれもない悪性細胞になるまでには、秩序立った段階的変化を辿る。完全ながん細胞になるまで、「がん」は身を屈めるように、ひっそりと変化していく。
    がんというものが、正常細胞からいきなり発生するわけではないというのはとても重要な指摘だ。
    がんはたいてい、身を屈めながら誕生に向かって秘かに進んでいき、そのあいだに完全な正常細胞から明らかな悪性細胞までの段階的なステップを踏んでいく。
    そして、がんの進行は遺伝子レベルでも複数の段階を経ていく。
    遺伝子レベルでも発がんのマーチがあるのだ。
    ある一定の順序で発生する、遺伝子の活性化と不活性化。
    がんは無秩序でデタラメなように見えて、実に秩序だった染色体のカオスなのだ。
    多くの遺伝子の変異を介する、長くてゆっくりとしたマーチこそ、発がんのマーチなのである。

    詩人のジェイソン・シンダーは「がんとは、死すべき運命という名のガラスにあなたの顔を押しつけさせる、すさまじい経験である」と書いている。
    そして患者がガラス越しに見るのは、がんに乗っ取られた自分自身の鏡像でもある。
    なぜ「がん」がこれほどまでにやっかいな敵なのか、今なら合点がいく。
    自分自身と戦っているのだから、簡単に決着などつきようがないではないか。

    それにすべての患者の「がん」は独特でもある。
    染色体の変異は3つや5つではなく、50から80もの変異が存在し、中には100個以上も変異していることもある。
    同じ種類の腫瘍でも、変異のパターンは気が遠くなるほど違う。
    なぜならそれは、すべてのがんゲノムの異質性に由来している。
    つまり遺伝学的に異質なのだ。
    だから、正常細胞はみな同じでも、悪性細胞が不幸にも悪性になるまでには、それぞれ独自の経緯を経るわけだ。

    枯渇させたり消耗させたりすることなく、無限に分裂しつづける「がん」の不死性もまた、正常の生理機能から拝借してきたものだ。

    「実際、がん幹細胞は、正常の幹細胞を不死にしている遺伝子および経路を活性化することによって不死を獲得している — ただ、正常の幹細胞とはちがって、生理学的な休眠状態に戻ることができない。つまり、がんは文字どおり臓器の再生をまねているのだ。というよりも、より不安をかき立てる言い方をすれば、生体の再生をまねているのだ」

    われわれの「がん」は、すでにヒトのゲノムに縫い込まれていて、体から容易に取り除くことはできない。取り除けるのは、成長に依存しているわれわれの生理機能 — 老化、再生、治癒、生殖 — のうち、取り除いても差しつかえない部分だけである。

    「支離滅裂で多産で侵略的で適応能力の高いわれわれ自身の細胞および遺伝子にとっての双子の兄弟である、支離滅裂で多産で侵略的で適応能力の高いがんを、われわれの身体から切り離すのは、ひょっとしたら不可能なのかもしれない」

  • 金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=24002

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BB21737260

  • シッダールタムカジー 「がん 4千年の歴史」


    発がん因子から がんが誘発される過程が明らかになる巻。多種多様な がんの発生原因が 遺伝子の突然変異であることが判明。発がん因子により、細胞内の原がん遺伝子が活性化するか、がん抑制遺伝子が不活性化し、がんを誘導する仕組みは わかりやすい。


    人類が がんを完全克服したわけではないが、がんについての理解と治療法は劇的に変化し、化学療法、外科手術、放射線治療、喫煙抑制活動、スクリーニング検査などにより、がんの死亡率を引き下げていることがわかる。がんの排除より、発がんの進行を止めることを念頭に置いた方が、患者の生存期間を伸ばすように感じた


    日常生活で回避可能な 発がん因子リストも提示されており、予防こそ最善の治療であることは 大前提であるように思う。発がん因子とは、放射線、紫外線、煙草、お酒、肥満、肉食、ヒ素、カドミウム、ニッケル、鉛、ベンゼン、塩化ビニル、アスベスト


  • 上巻に引き続き、がんの歴史をドラマティックに語っている。
    上巻は主に、がんというものを認識し、がんとの闘い方を確立し、それが敷衍されていくまでの歴史であったが、下巻では「がんの原因は何か?」という疑問から始まり、発がん性物質を特定、さらにそれがどのように身体に影響を及ぼすことでがんを生み出すのかというメカニズムについて語られ、がんと闘う大きな手立ての一つが予防であることを述べる。

    発がん性物質の代表例がたばこであるのだが、がんの歴史においてもやはりたばこがもたらす影響は大きい。戦争真っただ中であった当時においてはたばこが娯楽の一つとして確立されており、民衆としても生活の中の大きなものとなっていた。そんな中、たばこが発がん性を持つという研究結果はたばこビジネス的にも、民衆の心理的にも非常に受け入れがたいもので、なかなかその危険性を周知することができないでいたということがあったようだが、たばこ=発がん性物質という認識が根付いた今においては中々に衝撃的な事実だと感じた。

    現在においてがん治療は依然として100%のものはないものの、その重要性は周知されていると当然考えている。しかしながら、がんが発見された当時は、そもそもがんという括りすらなく、そのメカニズムも不明で、手の施しようがないようなものであり、その存在は陰に隠れていたものと知り、しみじみと驚くばかりであった。

    これからの時代は人生100年といわれるステージに突入し、寿命が延びればその分遺伝子異常のスイッチが入る可能性が高まり、すなわちがん罹患の可能性が高まるわけであるが、そんな時代においてはがんを予防するよう心掛けることが何よりも重要なのだと思った。
    具体的ながん予防については、予防に特化したより詳しい文献をあたってみようと思う。

  • 冒頭はヒエログリフから始まるので、何事か?てなったけど、根治手術のお話辺りから迫真の筆致で、ジェットコースター状態の展開。止まらなくなる。特にセントラルドグマに関するいくつかの章はがんのメカニズム解明の黎明期のような時代であったことも相まってその勢いそのままの興奮が伝わってくるようで読書に没頭するという稀有な経験ができた。こんな専門用語だらけの書物でクリスティばりに展開に興奮させられるとは思いもしなかった。さらに、4000年にわたるガンの歴史と病理・医学的闘争がしっかりと描かれていると同時に、がんに直面して闘う個人個人の尊厳と勇敢さも忘れずに描かれているところも読みごたえ十分すぎるほどあった。

  • 医学部分館2階書架:QZ201/MUK/2:https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/opac/search?barcode=3410163254

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著者プロフィール

シッダールタ・ムカジー(Siddhartha Mukherjee)
がん専門の内科医、研究者。著書は本書のほかに『病の皇帝「がん」に挑む——人類4000年の苦闘』(田中文訳、早川書房)がある。同書は2011年にピュリツァー賞一般ノンフィクション部門を受賞。
コロンビア大学助教授(医学)で、同メディカルセンターにがん専門内科医として勤務している。
ローズ奨学金を得て、スタンフォード大学、オックスフォード大学、ハーバード・メディカルスクールを卒業・修了。
『ネイチャー』『Cell』『The New England Journal of Medicine』『ニューヨーク・タイムズ』などに論文や記事を発表している。
2015年にはケン・バーンズと協力して、がんのこれまでの歴史と将来の見通しをテーマに、アメリカPBSで全3回6時間にわたるドキュメンタリーを制作した。
ムカジーの研究はがんと幹細胞に関するもので、彼の研究室は幹細胞研究の新局面を開く発見(骨や軟骨を形成する幹細胞の分離など)で知られている。
ニューヨークで妻と2人の娘とともに暮らしている。

「2018年 『不確かな医学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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