ブラッド・メリディアン あるいは西部の夕陽の赤 (ハヤカワepi文庫 マ 1-5)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (507ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200946

作品紹介・あらすじ

アメリカ開拓時代、少年はインディアン討伐隊に加わるが――。暴力と野蛮と堕落に支配された荒野を描いた、米文学の巨匠の傑作!

感想・レビュー・書評

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  • 本書を読んで思い出したのは、1960年代のアメリカで出版された偽書、アイアンマウンテン報告であった。平和というのは異常なのであり現代社会は戦争があるのが平常である、というテーゼから戦争を賛美するこの偽書は未だにカルト的な賛美を集めている。

    本書、『ブラッド・メリディアン』は1850年頃のアメリカを舞台として血が血を洗う暴力こそが社会にとって必要だということを描き出す暴力小説である。アメリカ先住民を撲滅するために暴走した私兵軍団は、先住民のみならずメキシコの人民も含めて旅路で出会う人間を皆殺しにしていく。そして、殺害の証拠として彼らが集めるのは殺した人間の頭皮である。死骸から頭皮を剥ぎ取るシーンのグロテスクさは筆舌に尽くし難い。

    そして判事と呼ばれる謎の登場人物が滔々と語る暴力の正当化理論は、アイアン・マウンテン報告に似た形で暴力を賛美する。ひたすら暴力が繰り返される社会とはどんなものなのか、そこで加害者は何を思うのかということをここまで突き詰めた小説というのはそうそうないだろう。

    全く万人にはお勧めできる作品ではないが、私のように他作品でコーマック・マッカーシーの世界に魅力を感じているのであれば、彼の一つの極地として本作を読むのは悪くないと感じる。

  • 人生ベスト級
    句読点が少なくセリフに「」がなかったり読みづらくはあるのだが冷徹さと重厚さを備えていて唯一無二のその文章には圧倒される。人にはお薦めしづらい内容ととっつきにくさはあるのだが興味をもった人にはぜひ読んでいただきたい
    読んだあと意外だったのはこの話はSamuel E. Chamberlainの自伝『わが告白』に描かれているグラントン団での出来事を元ネタにしているということだった。名前までそのまんまだ。さらにびっくりなのがあの超人然とした判事までもがモデルがいるという。俺は本書の判事が好きで彼の語っていることは完全に同意せずともそれなりに共鳴するところもあり気に入っている。
    あまり関係ないが俺はウィスキーが好きじゃなくあまり飲めないのだがよくみんながぶがぶ飲めるなと感心する。アメリカ人はみなこんなに酒をするりと飲めるのだろうか

  • 美しい風景描写に救われるが、そこに血の跡を残していくインディアン討伐隊。マッカーシーは汚れつつ生まれたアメリカ開拓期の一面にある、人と命を直視する。


    半分ちょっと読み残している「平原の町」が気になるが、これはYasuhiroさんがレビューされた素晴らしい労作に感謝して「Cities of the Plain」を読んで解決したつもりになってます。
    ビリーが繰り返す不幸そうな恋愛と、ジョン・グレイディの共演は面白そうですがなんだか気が乗らずおいてあったのですっきりしました。これも又機会があれば読みたいと思っています。

    そして取り掛かったのが「ブラッド・メリディアン」でこれは読んでおかないと一応マッカーシーの締めにならないと思って。
    あとがきでは「20世紀アメリカ文学屈指の傑作。歴史的現実を尊重するもの」とか。あちこちでこれは傑作だという評があふれています。でもしっかり理解できず多少のもどかしさが残るのです。特に、時を経て判事と少年が再会して何を話して何が起きたのか出会ったところでプツンと終わった理由がよくわからなかった。ここは勝手な想像でいいのだろうか。

    少年(the kid)とだけ呼ばれる14歳の主人公は1833年に生まれている。まさにインディアン狩りの渦中に成長している。孤児になった彼は生きるすべとして誘われるままに頭皮狩りの一団に加わる。
    文字通り頭の皮をはぐ、頭皮狩りのなんと血なまぐさい、残虐とくれば非道。なぶり殺し、斬り殺し、吊るし、もちろん葬りもしないが、時には穴に放り込んで埋めることはあっても、それは自分たちを守るため。
    政府の政策で殺した頭の皮の数で金をもらう、米墨戦争の後兵士たちが仕事にあぶれ、生きるために選んだ仕事がインディアン狩りなのだ。
    建国の途上にあったアメリカは、国土拡張路線で各地でインディアン排除の戦いが繰り広げられていた。西部開拓史の始まりは、戦争の歴史で、騎兵隊、インディアンともに名高い戦争英雄の物語を残した。だが人間の暗い行為の歴史の後を残してもいる。

    マッカーシーはこの時代のド真ん中に筆をおいて書いている。
    批判するでもなく同調するでもなく、登場人物の行為に沿ってリアルな光景を描き出している。

    グラントン将軍を頭にした頭皮狩りの一団は、インディアン部落を探して、砂漠を渡り山を越えて、谷間の貧しい集落を襲う。これは実話に基づいていて隊員にはモデルがあったそうだ。

    水辺で逃げまどう人々を狙撃し、動物を殺し、大人も子供も頭の皮をはぎ髪でつなぎ、首や耳を戦利品代わりに首にぶら下げて行進する。読み始めは泡立つような不快感があるが哀しいかな不思議に慣れて読んでいく。
    中には逆に襲われて命を落とす隊員も出る。
    町につくと皮を数えて高値で売り捌き、女と暴力、酔った勢いで手当たり次第の破壊行為、殺人、無法の限りを尽くし、町に入ったときは歓迎の声に迎えられたが、出るときは怯えた人々は顔も見せない。

    主な人物は隊長のグラントン、ホールデン判事、元司祭、少年、黒人と白人の同名の二人。斥候に出るデラウェア族のインディアンたち。隊員が殺されたり死んだりして、隊員が減ると街で募集する。
    障がい者の弟を連れた兄が加わる。グラントはなぜかその知的障がいをもつ弟を檻に入れて曳かせる。
    何を思ったか迷い犬に餌をやりいつも連れている。
    ヒューマニズムというものでもない、彼は隊に加えて連れて行き、不要になれば無残に切り捨てていく。

    独特の存在感がある身長二メートルをこす無毛のホールデン判事。眉毛もまつげも頭髪も体毛もない禿頭の彼が聳えるように 登場すると不気味な空気に包まれる。外国語を自国語のように話し絵を描き、科学に通じ学識が豊かで、歌もダンスもうまい。何気に隊に加わりインディアンを無感動に殺し、自説をとうとうと述べる。その説や思想は 一面正当にも聞こえる。コーマックはこれ聞き流すように書き続ける。この説が彼の何に起因しているのかはわからないが、判事という人格の一面を著しているには違いない。

    生と死に関した彼の説は興味深い。

    人間は遊戯をするために生まれて来たんだ。ほかのどんなことのためでもでもなく。子供は誰でも仕事より遊戯の方が高貴であるのを知っている。遊戯の価値とは遊戯そのものの価値ではなくそこで賭けられるものの価値がということもね。

    カード・ゲームをする二人の男が命以外に賭けるものを持っていないとしょう。こういう話は誰でも聴いたことがあるだろう。カードの一めくり。この遊戯をする人間にとっては自分が死ぬか相手が死ぬかを決定するその一めくりに宇宙全体が収斂する。一人の人間の値打ちを検証する方法としてこれほど確かなものはあるかね。遊戯がこの究極の状態まで高まれば運命というものが存在することには議論の余地がなくなる。あの人間でなくこの人間が選ばれるというのは絶対的で取り消し不可能な選択であってこれほど深遠な決定に何者の作用もはたらいていないとか意味などないという人間は鈍いとしか言いようがない。負けた方が抹殺される遊戯では勝負の結果は明確だ。ある組み合わせのカードを手にしている者は抹殺される。これこそがまさに戦争の本質であってその遊戯の意味も経緯も正当性も賭けに勝ったものが手に入れることになるんだ。こんなふうに見れば戦争とは一番確かな占いと言えるだろう。それは一方の側の意思を試しもう一方の側の意思を試すがそれらを試すより大きな意思はこの二つの意思を結び合わせるがゆえに選択を強いられる。戦争が究極の遊戯だというのは要するに選択の統一を強いるものだからだ。戦争は神だ。

    言い切る判事は狂っているのか。戦争は神だ本能だと言い切る。
    彼の信念はゆるぎなく、集まった人々に向かって延々と話し続ける。彼の肩にかけた袋には頭皮と引き換えた金貨や銀貨で膨れている。
    神を信じない元司祭が時々反論する。

    こういったシーンが多いが、一面狂ったような、しかしある時代にはそれが正義であった生き方を語る中に、難しい命についての論理(そうと言わないまでも一種の哲学)が挟み込まれている。無残に殺される人々は、選んでもいない環境や運命の中でもがいて死ぬ。
    空を見上げる、時には雨上がりの霧に方向を見失うような何もない荒れた世界から平和に戻った文化文明は、ただ時の流れとともに人の知恵や力の結果生み出されるものだけだったのだろうか。
    10日、半月あるいは何年も飢えや渇きに耐えて生き続け、罪の意識なしに同じ人間の命を奪う。狂った時代に生きた人々の、善悪を超えた論理を書いていく。
    討伐禁止令が出て彼らは追われるものになる。

    命がけの究極の選択(例えばユタ族との戦いで多くの犠牲を出し逃げる、砂の山を上るか下るか川を渡るのは生か死かというシーン)の中でも、マッカーシーは隊員のエゴそのままの無惨な風景を描写する。光るあるいは澄み切った言葉たちをつかって現実の風景を掬いあげる。続く作品につながる命と一体化した透明なほど美しい言葉が作る宇宙観は、ここから始まったのかと思いながら読む。
    ここでも変わらない見事に澄み切った詩的な風景描写。月や星座の巡りや雷鳴や砂の流れや落日の描写だけでも無数にある。
    マッカーシーの作品には心理描写がないといわれる中で、こうしたマッカーシーの目を通した風景から浮かび上がってくる、人の心に浮かぶ抒情の反映、優れた自然描写が虚空に繋がり心に訴えかける見事さは、残酷な行為を描いているにしても、時々しんとした静寂に包まれ深い感銘を受ける。

    最後のページ
    短いエピローグは何を意味するのだろう。大きな視野から見た人間の営みのことだろうか。
    判らないたとえ(スパークする鉄球)の、不思議な文章だった。

  • 乾ききった大地を進み
    汚れに汚れ、殺す、虐殺する
    原住民であろうがなかろうが
    まるで、それが当然の自然の行為であるかのように
    語られるほどの神も法もなく、
    なんの感情も必要以上の情報も加えず描き切る。
    凄惨なはずの津を死も不合理な死も
    あさましい生と同等に当然、自然の存在、行為として
    なにもまじえず描かれる。
    自分たちが倫理の名のもとに飾っている世界が
    乾いた風に吹き飛ばされ、腐敗した肉と乾いた風に
    吹きさらされた骨と皮、朽ち果てるであろう人工物
    その葬列の中を生き延びた先に待つのは悪のダンス

  • 一言で、血なまぐさい。
    しかし、人間の本性というか、根っこというか、生物の一種としての存在としてというか、そういう部分では、もしかしたらこういう感覚や行為はあるのかもしれない。
    読み進むのに楽ではないところもあるし、この本を読んでいる間はずっと鼻の奥に血の匂いがあるような感じまでしたが、人間とはどんな生き物なのかということをマザマザと見せつけてくるような感じという点では、すごい存在感がある一作。
    読む人は選ぶのかもしれないけれど。

  • 物語の大半の舞台となっている、生きものを寄せつけず死体をすぐにからからに干からびさせてしまうアメリカ西部の岩だらけの原野のようにゴツゴツとした文体は、最初は読者を拒絶するようでもあるが、読み進めるうちになぜかペースに乗せられてしまう。何しろ長いので、読んでいるうちに慣れてしまう。むしろハマってしまう。
    当たり前のように虐殺シーンが続くが、それが当然の時代だったというわけでもなく、この時代にあっても特に荒くれ者の(実在した)頭皮剥ぎ集団に身を置くことになった少年の物語。物語の終わりには少年ではなくなるので、ある意味ではビルドゥングスロマンに相当するのかなと思った。
    感想を書くのは難しいが、何となく分かったような気がする部分と、こりゃ分からんお手上げだという部分があって、そのぐらいの歯ごたえのある文章を読むのは単純に楽しい。
    特に強烈だったのがホールデン判事というキャラクター。いつの間にか存在に気付いたが読み返してみたらもう冒頭ぐらいから登場していた。何しろ風貌が怪異で、この風貌を描写するマッカーシーの文章が冴えに冴えている。何度も描写されるが毎回異なった表現がつけられていて、この部分だけをまとめた引用文集を作ってみたいぐらい。またこの判事の発言が実に哲学的で含蓄に富んでいて、理解できない部分が多いのだが、これもまたまとめてみたい。

  • グラントン隊というインディアンの頭皮を狩ることで賞金を稼ぐならず者集団が、殺戮を繰り返しながらただひたすら旅を続ける話。

    アメリカ南部の広大な砂漠の自然描写、夜の焚火など、乾ききった風が物語全体から感じ殺戮描写がまるで自然現象のようにあっさりと描写され、殺戮巡礼の旅の合間に時折ホールデン判事が独自の哲学を語る。「人間は何かを懸ける遊戯が大好きであり戦争はその完成された作品だ。最高の作品が最高の語り手を待っていたのだ。」

    殺戮と侵略、これがアメリカの歴史であり人類の歴史であるかのようだ。著者は事象のみあるがまま記述し自身の思慕を語ることはない。自然の摂理からすれば生命の倫理なんて人類がでっち上げたものにすぎず永遠の戦争状態こそ人類のあるべき姿だし自然のあるがままの姿なのだろうか。

    読んでいると思わずホールデン判事に諭されそうになってしまいそうだが、もし判事の言っていることが正しいのならば、人類が長い歴史の中で永遠と続く闘争を克服しようとしてきたことも事実ある。この事実と判事の主張は矛盾してはいないかと個人的には感じる。(ホールデン判事からは自然の摂理を無理やり捻じ曲げているだけだと喝破されそうだが。)

    また、あとがきで著者が語っていた内容が非常に印象的だった。

    「流血のない生などない。人類はある種の進歩をとげて、みんなで仲良く暮らせるようになり得るという考えは本当に危険だと思う。そんな考えに取り憑かれた人たちはさっさと自分の魂と自由を捨ててしまう連中だ。そういうことを望む人間は奴隷になり、命を空虚なものにしてしまうだろう。」

  • アメリカ西部の歴史はある意味虐殺の歴史。

    荒野の焚き火の中で浮かび上がるような血みどろの判事の神々しさに、畏れを感じると同時に惹かれざるえない。

  • この著者の作品を読んだのは『ザ・ロード』以来の2作目でしたが、これは読み手を選ぶ作品ですね。自分の場合、初読時はまったく乗れませんでした。インディアンの狩りが延々続くストーリーは単調だし、映像化不可能かつPTA有害図書指定確実な極悪非道で残虐なシーンのオンパレードに辟易。極めつけは時折出てくる句点で区切らない異常に長い文章で、読みにくいったらありゃしない・・・といった印象だったのですが、頑張って読み返してみるとこれはこれでなかなか味があるようにも思えてきました。
    本作のキモはホールデン判事が語る言葉の数々であることは疑いようがありません。自分が一番シビれたのは「人間が登場する前から戦争は人間を待っていた。最高の職業が最高のやり手を待っていたんだ」でしたが、これを始めとした生と死、善と悪、神と人間といった哲学的な内容にリアリティを持たせるための舞台装置として、先述した残虐なシーンとか、シンプルなストーリー展開とか、読者に緊張感を与える長い文章とかを揃えているんだな、と解釈しました。そう考えると著者の伝えたいことは伝わってきたし、これも一つのオリジナリティだとすれば、好きなタイプの小説ではないけれどまあ悪くもないかな、と思えてきました。
    正直誰にでもお勧めできる作品とは言い難いのですが、現代小説に物足りなさを感じている人、硬派で歯ごたえがあるスルメのような作品を欲する人であれば、かなり楽しめるのではないかと思います。

  • 文庫落ちにて再読。

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著者プロフィール

【著者略歴】
コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy)
1933年、ロードアイランド州プロヴィデンス生まれ。 現代アメリカ文学を代表する作家のひとり。代表作に『すべての美しい馬』『越境』『平原の町』から成る「国境三部作」、『ブラッド・メリディアン』、『ザ・ロード』、『チャイルド・オブ・ゴッド』(いずれも早川書房より黒原敏行訳で刊行)など。

「2022年 『果樹園の守り手』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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