ノー・カントリー・フォー・オールド・メン (ハヤカワepi文庫 マ 1-6 epi108)
- 早川書房 (2023年3月23日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151201080
作品紹介・あらすじ
ヴェトナム帰還兵モスがメキシコ国境付近で発見した死体と大金が、更なる殺戮を呼ぶ。〈国境三部作〉後の衝撃作。解説/佐藤究
感想・レビュー・書評
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コーマック・マッカーシー『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』ハヤカワepi文庫。
2007年に扶桑社ミステリーとして刊行された『血と暴力の国』を改題、改訂、再文庫化。再文庫化にあたり『No Country For Old Men』という原題の正式なタイトルに戻したようだ。
4年程前に仕事でタイに向かう飛行機の中で本作が原作の映画『ノーカントリー』を観たところ非常に面白く、無性に読んでみたいと思っていた。
強烈な印象を残した映画のシーンを頭の中に描きながら読んでみると、老保安官のエド・トム・ベルも、奇妙な武器を操るマッシュルームカットの太目で残忍な殺し屋のアントン・シガーも、ヴェトナム帰還兵のルウェリン・モスも小説という世界で新たな命を吹き込まれたかのように感じる。
そして、驚いたのはコーエン兄弟の映画が、かなり原作に忠実だったことだ。映画では、モスが若い女性のヒッチハイカーをピックアップ・トラックに乗せる場面は無かったし、カーラ・ジーンがモスに射殺される場面も無かったが……
渦巻く欲望と狂気の中、何故か一人だけ冷静沈着に国が悪にまみれて行くのを憂う老保安官ベルという不思議な構図。非常に面白い。映画では描き切れなかったのであろう細部の描写や登場人物の心情表現が凄い。
極めて文学的なノワール・ハードボイルドといったところだろうか。
1980年、ヴェトナム帰還兵モスは、テキサス州のメキシコ国境付近で麻薬密売人の殺戮現場に遭遇する。男たちの死体と共にブリーフケースに残された240万ドルもの大金を発見し、持ち逃げする。
妻であるカーラ・ジーンの待つトレーラーハウスに戻ったモスは夜中に大金のことが気になり、殺戮現場に向かう。遠くから現場を観察していたモスだが、麻薬密売人の仲間に見付かり、追い掛けられ、ピックアップト・ラックを捨て、命辛々、自宅に戻る。
身の危険を感じたモスは自宅に戻るや、カーラにオデッサの実家に避難するよう命じ、自らも逃亡の旅に出る。
一方、保安官補により逮捕された殺し屋のシガーは保安官補を殺害し、パトカーで逃亡する。途中、無関係の車を停め、運転手を酸素ボンベとホースで接続されたスタンガンで殺害し、車を乗り換えて、モスが目撃したあの殺戮現場に向かう。
ブリーフケースに仕掛けられた発信器の電波からモスの後を追うシガー。
保安官のベルは殺戮現場に残されたピックアップ・トラックからモスの自宅へと向かい、モスとカーラが事件に巻き込まれたことに気付く。
モスの所在を突き止めたシガーは、同じく240万ドルの入ったブリーフケースを追跡していたメキシコ人麻薬密売人らと銃撃戦を繰り広げる。麻薬密売人たちはシガーにより皆殺しとなり、シガーにより銃創を負ったモスは再び逃亡する。しかし、シガーもモスの銃撃により傷を負っていた。
追う者と追われる者、その結末と老保安官ベルの語る後悔……
本体価格1,500円
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追われる男、追う男、その跡をたどる男
雨と銃と血の匂いのする物語は、ストーリーの矛盾を回避しようともせず、ひたすら“何か”を描き続ける。
作者は、暴力と流血の中に、この世界と人の絶望を、独特の文章で綴る。
「できることが何もないなら、そもそもそれは問題ですらない」
そのことが、また、絶望につながる。
わかったようでわからないこと……唯一無二のこの読後感は、嫌いではない。 -
血と暴力の国含めて3回目。やっぱり面白い。けど、これに関しては映画が素晴らしすぎる(映画も3回見てる)。
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個人的に現代アメリカを代表する最も重要な作家の1人と考えているコーマック・マッカーシーの長編第9作。既に単行本時として翻訳されていたが、当時の『血と暴力の国』から改題され、原題と同じ『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』として今回、文庫化で復刊されたのが喜ばしい。
コーマック・マッカーシーという作家の魅力を説明しようとしたとき、「血と暴力の国」というワードは極めてシンプルにその魅力を表している。単行本時にこのタイトルが選ばれたのもよくわかる。本作を10ページほど読むだけで、5名が無惨な暴力で殺され、血に塗れることになるのだから。
マッカーシーの作品は一般的には犯罪小説などの意味合いを持つノワール(暗黒)小説、と括られることがある。しかし、個人的にはその括りには違和感がある。ノワール小説の多くは単に犯罪、血と暴力などの意匠によって記号的に成立するのに対して、マッカーシーの作品においては世界がいかに存在するかを描こうとしてときに不可欠な意匠として犯罪、血と暴力などが存在しているからである。
本作、”NCFOM”では、メキシコの麻薬密売人の金を持ち逃げした男と、彼を追う謎のサイコパス的なシリアルキラーの男、そしてその暴力を食い止めようともがく保安官の男、という3名を主軸に物語が描かれていく。血と暴力はますますとエスカレートしていくなかで、物語のキーマンである保安官の男が見せる内省にこそ、本作の隠れた主題が込められている。
なお、『テスカトリポカ』で度肝を抜く文学世界を見せてくれた作家、佐藤究が本作では解説を寄せている。彼が本作に解説を書くということを知ったときに、個人的には強い納得感を覚えた。現代日本において、コーマック・マッカーシーと極めて近い場所にいる作家こそ、彼である、という両者のつながりを感じたからである。 -
洗練された重みのある文章。。。わかっちゃいるんだが。どうにも自分とは相性が悪いようだ。多分四作くらい読んでいるのだが、毎回読後があんまりよくなかった。必要以上に暗い気がする。どうも自分はユーモアとか皮肉とかがないと読んでるのがしんどくなってくるようだ。
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日本人の私はこの小説に書かれている事の本質を掴みきれたのだろうか。
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読んだのは「血と暴力の国」というタイトルの文庫 https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594054618 だけど映画化後のタイトルでしかブクログには出てこないんだな マッカーシーは国境三部作とロードを読んだとき情緒的に取り乱すほど感動したから何も記録してないけどこれはふつうの精神状態で読み終えることができた 数々の凄惨な犯罪が淡々と描写されていき説明も心理描写も背景もなく終わる ただ絶対悪(マッカーシーは純粋悪と言ってる)が描かれている これを読むと生き死には運でしかないなと心底思うし他人を理解するなんて実際問題到底無理だなと思う 人を理解するなんて傲慢だ
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もともと『血と暴力の国』というタイトルで翻訳されていたものが改題、改訂、文庫化されたもの。
解説にもあるが、確かに改題後、つまり原題のほうが保安官ベルの独白が物語の間に挟まれることにより意図されることが明らかな感じがする。
犯罪者、というか、シュガーが特異過ぎてちょっと笑える。そして、事件が解決するとかはほんとにどうでもいいもころがマッカーシーぽくて、好きだとわたしは思ったのだ。 -
最初にモスが出てくるシーンからぐいぐいと引き込まれ、シガーとガソリンスタンド店主のやり取りで、たまらん感じになる
しかしカーラ・ジーンが19歳ってどうなのよ、とは思う -
荒野に放置された弾痕の残る車輛と複数の死体、多額の現金と麻薬を見つけたら、そのまま放置して警察に連絡するに限る。現金を持ち帰り、再度現場を訪れるようなことをすると、地の果てまで追われることになる。
冒頭から物語に引き込まれ、ストーリーや登場人物の行動、セリフに引っ張られ、終盤まで連れていかれる。章立て冒頭の保安官のモノローグの印象が残っているうちに、主人公と追手が繰り広げる逃走劇が脳内に入り込んでくる。ストーリーが脳内に入ってくるのは、著者の作品『ロード』でも同じだ。その文体がそうさせるのだと思う。
主要な登場人物はすべて戦争経験者だ。オールド・メンの条件が戦争経験のように思うが、アメリカはどこかしらで戦争を継続しており、必ずしも古いタイプの男を指す条件ではないが、本書ではおおむねベトナム戦争経験者までをオールド・メンの対象にしている。2007年に本書の著者は80歳近い年齢であったことから、当然のカテゴライズだと思う。
古いこと、新しいこと、時代がかったこと、今時のこと、いろいろなことが掛け合わさって入り乱れてくるが、ストーリーが立ち整然と物語は流れていく。しびれるほど面白かった。