娘は娘 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151300899

感想・レビュー・書評

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  • 母と娘の話。原題は"A Daughter's a Daughter"。
    外国の人の独自な言い回し、考え方、文化、風習などに何とかついて行きながら読んだ。
    登場人物、特に母と娘が好ましい人物と思えなかった。
    主人公アンは、「春にして君を離れ」の主人公ジョーンに似ているような気がした。

  • 母と娘の愛憎の物語。

    夫を亡くし長い間独身でいる母親、アンといかにも現代っ子らしいその娘、セアラ。
    ずっと二人で暮らしてきた母娘は深い愛情で結びついている。
    しかし、セアラが旅行中、アンがある男性と出会い、彼と結婚する事を決意した事から二人の関係は変わっていく。
    母親の結婚を知ったセアラが男性に嫉妬、彼と会う度に諍うようになる。
    二人の間に立ち、いたたまれなくなったアンはとうとう男性と別れる事にする。
    最愛のセアラをとって-。
    ここまでが一部のお話。

    二部は一部から数年後の話で、アンの様子がガラッと変わっている。
    一部ではおとなしく優しい田舎の婦人という風情だったのが一変、髪を染めて派手な服装になり、いつも外に出歩くようになっている。
    そんな折、別れた男性から妻になる女性と共に会いたいという連絡がある。
    アンはセアラに彼と会うという事を告げるが、セアラは彼の名前すら憶えていなかった。
    その事で、アンはセアラを憎悪する。
    誰のために彼と別れたと思っているのか-。
    さらに、再会した彼はアンが愛した男性とは別人のようになっていた事がその思いに拍車をかける。

    やがて、セアラは金持ちだが評判の悪い男に求婚され、その事を母親に相談するも、アンはセアラの判断に任せるという態度をとる。
    それは一見大人な態度のように見えるが、その根底にあるのは娘に対する憎悪。
    そして、セアラは他に気になる男性がいるにも関わらず、金持ちの男と結婚する。

    不幸なまま終わるのかと思いきや、後半で母娘共に自分の心の根本にあるものに気づき、過ちを修正する。
    だからとても読後感のよい話になっています。

    いい歳をした大人なら、暴力にでも訴えて無理やり強制されたりしたものでないなら自分の行動は常に自分が責任をもつもの。
    誰かのために・・・と言いながらも、それを選んだのは自分だという事を自覚するもの。
    こうやって書くと、当たり前で簡単な事のように思えるけど、これが難しい。
    その結果がよくないものだったら-。
    そして、本人がまだ大人になりきれてない感覚の人間だったら-。
    私だって、自分が選んだ事なのだ・・・と思いつつも、「あの時、あの人がいなければ・・・」とか、人のせいにしたくなる。
    結局はその方が楽なんだと思う。
    全ては自分の責任なんだと、自分の過ちを認めるのは苦しい。
    成熟し、自立した大人なら当たり前の事が未熟な人間には難しい。

    主人公のアンも一時は自分の選択を後悔し、自分がとった行動を娘のせいにしつつ、それに気づかない。
    同じように、娘のセアラも母親のためと言いながら、自分勝手な嫉妬で母親の幸せを妨害し、そんな事をした事さえ忘れる。
    やがてかなりな代償を払いつつも、夫や父親がいなくて寄り添うようにお互いを大事にしあった仲なのに、実はその愛情が歪んでいたものだと気づく。
    お互い愛という名の棘でお互いを傷つけていた事、縛りつけていた事に気づく。
    後半に二人が自分自身の心に気づき、お互いを認め合うようになったのを見て、二人の大人な関係がここから始まるのだと思いました。

    この物語には二人に大事な事を気づかせる存在がいます。
    それはアンの親友で、彼女は正に心身ともに自立した真の大人の女性。
    二人はずっと彼女の言葉に耳をかそうとしない。
    でも、自分たちが間違っていたのでは・・・?と気づいた時、初めて、自分たちから彼女に救いを求める。
    彼女の言葉はひとつひとつがとても深く、「うん。うん」と肯きながら、この人、素敵な女性やな~と登場の度に思いました。

    深いテーマですが、それを誰にでもわかるように読みやすい文章で書かれています。
    文中の「依存」という言葉が個人的に印象的でした。

  • 母と娘の確執を描く、メアリ・ウェストマコット名義の普通小説。
    地味な存在ですが、読まないなんてもったいない!面白いので、ぜひ読んで下さい。

    第一部では、母の再婚相手と娘が衝突。双方の気持ちを丹念に、しかし簡潔に描いているので、二人が対立する理由が手にとるように分る。第二部からは意表をつく展開ですが、ここで狂言回しローラの役割がきいてくる。じっさい脇役の使い方が見事で、頑固で忠実な女中イーディスがうまいのは当然ですが(そのおかげで彼女の外国人差別まで許してしまう)、本来苦手なはずのぼんやりした青年ジュリーまでいきいきしている。描き方はそうでもないけど、扱い方がうまいんですね。
    いい小説だなあ………。私は感激しました。

    旧版は中村妙子さん。中村さんの訳者あとがきは、田村隆一さんとはまた違った味がある。『火曜クラブ』の「女は女同士」という台詞を引いて、クリスティーには「自己中心的で哀れな女」の系譜があると指摘する。しかも、同じような性格の男は登場しない、それを思うと「女は女同士」という言葉が重く響いてくる、とまで言う。これには唸りましたね。
    「しみじみ思いますのは、女は女同士ってことですわ――まさかのときは同姓の側に立たなくてはということですのよ」

    新版は児玉数夫さん。戦前にクリスティーを読んだ経験と、映画の紹介を少し。こたつで蜜柑を食べながら「スタア」に載っていた短編「悪魔」を読んだという。こういう細部が文章に力を宿すんですね。いきなり盧溝橋事件からはじまるので何事かと思いましたが。
    これはこれで素敵な思い出話です。しかし中村さんの武骨な情熱の前ではちょっと分が悪い。
    旧版の勝ちです。

  • ノン・ミステリーシリーズ。
    母と娘という、一種異様な独特の関係を描いた作品。
    憎むのも、煩わしく思うのも、心配するのも、反発するのも、愛しているからなんだと強く思いました。
    読んでいる間、苦しめられ、振り回され、のたうちまわり、ラストは涙が止まりませんでした。

  • 私も娘がおりますが、一人娘でなくてよかった。
    母と娘一対一だと密着ぶりが半端ないだろうと予測できます。
    憎みあうときは際限なく、かといって娘は娘、やはり可愛いのです。

  • メアリ・ウェストマコット名義のクリスティの作品は、読み返すほどに味が出てきます。読むたびに新たな発見があり、そこから自分の考え方が分かってくるというか。最初に読んだころから随分違う印象を持つようになりました。母と娘、愛しているからこそどんな犠牲も払う。それを決めたのは自分なのに、相手を恨めしく思ってしまう瞬間があるのです。その気持ちが段々胸に溜まっていって、自分でも訳のわからないモヤモヤになって・・・。ミステリの女王は人間観察の女王でもありますね。イーディスやデーム・ローラの台詞を読んでいると、目の前にクリスティがいたら心の奥底まで見抜かれそうな気がしてきます。

  • とてもイライラさせる親子の話。

  • 依存と書いてあったが、共依存というものなのだろうか。
    麻薬依存を断つことができたところで、母親への依存も断ち切れた。
    母娘の依存を断ち切る過程がさらっと書かれているのが、物足りなく感じた。

    再読したい。

    春にして君を離れが気に入ったので、こちらも読んでみた。
    今回は意外にハッピーエンド。
    という事は、春にしてもハッピーエンドなのかもしれない。
    NHKBS番組の作家達の感想を見てからだったので、人は簡単に変われないと勝手に私がラストを決めつけてしまっていたのかも。

    殺人はおきなくても、普通にその辺にいる人達だけで充分怖い。

  • 娘は娘
    アガサ・クリスティ

    メアリ・ウェストマコット名義のクリスティ小説⑤

    *☼*―――――*☼*―――――

    この母娘、「娘は娘」というか「母が母なら娘も娘だな」っていう、どっちもどっちというのが最終的な感想だけど、2人が良ければそれで良しなのかは疑問。

    第1部
    娘が居ない3週間で恋に落ちて結婚を決めるって、帰ってきた娘にすると反対もしたくなる気持ちは分かるけど、結局はセアラが何と言おうとアンが決めることで、セアラとコールドフィールドの喧嘩の中で彼はアンが逃げていると言ったけど、結婚相手である当事者のアンが話の中に入らないのはやっぱりおかしいと思った。

    第2部
    アンが喋ってるだけで終わってった。なんか読んでるだけでちょっと疲れたし、セアラを放ったらかしで毎晩遊んでるアンが心配だと思う反面嫌いだった。第1部から好感のあったローラやイーディス、芯があってとても良い助言をしてるんだけど、この2人を蔑ろにしてるのは、読んでて気分が悪くなった。

    第3部
    セアラのせいでコールドフィールドと別れたのだという、子を持つ母が再婚に踏み切れない理由としてはありがちなようだけど、ただ気に食わないだけで反対してたのならセアラも悪い。ただアンは人のせいにしすぎだし、人が全部やってくれて決めてくれて楽をしようと言うのがローラやイーディスとの会話で分かってる。第2部からアンがセアラについて無関心かと思える程だったので、例え喧嘩になっても話し合えて良かったと思う。

    第1部でアンが結婚を決め、セアラが戻ってくる時に「先に結婚式をあげておくべきだった」というイーディスの言葉が私の中ではすごく残ってる。娘が居ない間に勝手に?という思いもしたけど、その後の2人の関係を思うとイーディスはこれを予期してて、長年仕えてきて当事者以上に分かってた。この話の中でイーディスが1番好き。

    2022/07/19 読了(図書館)

  • アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコットの名で書いた母と娘の物語。

    娘の名付け親であり、母の友人でもあるローラの言葉が良い。淡々と語るその内容は、アガサ・クリスティーの考えそのものなんじゃないかしら。

    人間は結局のところ、自分自身しか道連れはいない、女は中年から開花する、仕事は自分自身から逃避する有効な手立てだということ、一つ一つが身に染みる。

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