- Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151300899
感想・レビュー・書評
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母と娘の話。原題は"A Daughter's a Daughter"。
外国の人の独自な言い回し、考え方、文化、風習などに何とかついて行きながら読んだ。
登場人物、特に母と娘が好ましい人物と思えなかった。
主人公アンは、「春にして君を離れ」の主人公ジョーンに似ているような気がした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
母と娘の確執を描く、メアリ・ウェストマコット名義の普通小説。
地味な存在ですが、読まないなんてもったいない!面白いので、ぜひ読んで下さい。
第一部では、母の再婚相手と娘が衝突。双方の気持ちを丹念に、しかし簡潔に描いているので、二人が対立する理由が手にとるように分る。第二部からは意表をつく展開ですが、ここで狂言回しローラの役割がきいてくる。じっさい脇役の使い方が見事で、頑固で忠実な女中イーディスがうまいのは当然ですが(そのおかげで彼女の外国人差別まで許してしまう)、本来苦手なはずのぼんやりした青年ジュリーまでいきいきしている。描き方はそうでもないけど、扱い方がうまいんですね。
いい小説だなあ………。私は感激しました。
旧版は中村妙子さん。中村さんの訳者あとがきは、田村隆一さんとはまた違った味がある。『火曜クラブ』の「女は女同士」という台詞を引いて、クリスティーには「自己中心的で哀れな女」の系譜があると指摘する。しかも、同じような性格の男は登場しない、それを思うと「女は女同士」という言葉が重く響いてくる、とまで言う。これには唸りましたね。
「しみじみ思いますのは、女は女同士ってことですわ――まさかのときは同姓の側に立たなくてはということですのよ」
新版は児玉数夫さん。戦前にクリスティーを読んだ経験と、映画の紹介を少し。こたつで蜜柑を食べながら「スタア」に載っていた短編「悪魔」を読んだという。こういう細部が文章に力を宿すんですね。いきなり盧溝橋事件からはじまるので何事かと思いましたが。
これはこれで素敵な思い出話です。しかし中村さんの武骨な情熱の前ではちょっと分が悪い。
旧版の勝ちです。 -
ノン・ミステリーシリーズ。
母と娘という、一種異様な独特の関係を描いた作品。
憎むのも、煩わしく思うのも、心配するのも、反発するのも、愛しているからなんだと強く思いました。
読んでいる間、苦しめられ、振り回され、のたうちまわり、ラストは涙が止まりませんでした。 -
私も娘がおりますが、一人娘でなくてよかった。
母と娘一対一だと密着ぶりが半端ないだろうと予測できます。
憎みあうときは際限なく、かといって娘は娘、やはり可愛いのです。 -
メアリ・ウェストマコット名義のクリスティの作品は、読み返すほどに味が出てきます。読むたびに新たな発見があり、そこから自分の考え方が分かってくるというか。最初に読んだころから随分違う印象を持つようになりました。母と娘、愛しているからこそどんな犠牲も払う。それを決めたのは自分なのに、相手を恨めしく思ってしまう瞬間があるのです。その気持ちが段々胸に溜まっていって、自分でも訳のわからないモヤモヤになって・・・。ミステリの女王は人間観察の女王でもありますね。イーディスやデーム・ローラの台詞を読んでいると、目の前にクリスティがいたら心の奥底まで見抜かれそうな気がしてきます。
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とてもイライラさせる親子の話。
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アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコットの名で書いた母と娘の物語。
娘の名付け親であり、母の友人でもあるローラの言葉が良い。淡々と語るその内容は、アガサ・クリスティーの考えそのものなんじゃないかしら。
人間は結局のところ、自分自身しか道連れはいない、女は中年から開花する、仕事は自分自身から逃避する有効な手立てだということ、一つ一つが身に染みる。