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本 ・本 (640ページ) / ISBN・EAN: 9784152090904
感想・レビュー・書評
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お馴染みドーキンス先生。
「進化論っていうか進化という事実の証明を今までしてこなかったからやるわ。今。」みたいな本。
長くてクドいってのは彼の本の短所でもあり長所でもある。(好きなトピを長く楽しめる)今回も勿論、長短持ち合わせている。
全13章からなる約600ページ。
内容は広範囲で深い。言葉選びもかっこいい。けれどもどれも「進化」という事実証明を目的としたもの(創造論者をバカにすることも同時に達成出来る)で、かつ、素人が読むために極力分かりやすく書いてくれてる。これは翻訳の方のセンスにも助けられているのでしょう。(原文を知らないので)
13章どれも楽しく読み進められるが個人的には10章(類縁の系統図) 11章(私たちのいたるところに記された歴史)あたりが私の最も興味ある分野であり、かつ著者の筆がノってるところ(創造論者へ投げつける石礫にクギやガラスの破片が混ざってる)に感じる。
DNAの融点と類似性チェック方法、哺乳類の脳がシワだらけの理由、尿管の上を超える輸精管、プロペラとジェットエンジンと鰓と肺など、トピックも盛りだくさん。
特に気に入ったフレーズは
「ヘビは地上を泳ぎイルカは海中を駆ける(背骨の動きが横or縦、つまり魚類寄りか哺乳類寄りかの話。神のやっつけ仕事である背骨に着目して)」
また創造主を想定した場合に「いくらなんでもこりゃないぜ」となる例として、ダーウィンはイモムシに寄生するヒメバチ(体節に麻酔を打ち卵を産みつける。孵化したヒメバチの幼虫はイモムシの心臓部などを残しつつ、殺さないように、食べ進める)を、ドーキンスは哺乳類の回帰性喉頭神経の迂回をキリンを用いてあげている。
これめっちゃ分かるわー。
私も友達と一言で創造論者に「ねぇ、例の人って万物創造の時に何かキメてた?」と挑戦状を手渡すようなモノを考えようゲームをしたことがある。
チョウチンアンコウのオス、クマノミの性転換、ヒラメやカレイ(エイは理解出来るけどね)、トンボや蝶などの完全変態などを考えたけど、私からの駒は「ハリガネムシ」ですかね。やはり。
(ロイコクロリディウムも有力候補です)
もし誰かが意図的に作ったなら「ヤベェ」の一言。
行き当たりばったり。
その場しのぎの寄せ集めのパッチワーク。
そんな生物の進化の事実証明をしつこくしつこく語ってくれるのは読んでいてとても楽しく嬉しい
んですけどね。
巻末の各国アンケート結果(1万年前に神が全部作ったと思うかなど)を読むと著者が数十年抱え続けてきたフラストレーションはいかばかりかと同情します。
私なんぞは周りに信仰心の厚い方がいて、その方が「万物は神がお作りたもうた」とかのたまっても真顔で凝視する(もしくは微笑む)だけで済みますが、著者ほどの天才にとってはアメリカ人の4割が創造論者とか言われると頭の血管が切れるほどの怒りが込み上げてくるのではと心配します。(トルコの結果からするとイスラム圏はさらに深刻な状況かも)
ただ別の調査では多くのイギリス人が地球が太陽の周りを1周するのに1ヶ月と答えてるようなので理由は信仰心だけではないのかも。
翻訳家は「この本は創造論者には読まれない。境界線上の人はひょっとしたら読むかも。著者のモチベーションはそこにあるのかも」としていたが、正直読まないでしょ。これを読むのは「進化は事実、創造論とかマジ勘弁」っていう人達だけのような。
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2010.02.07 朝日新聞に掲載されました。
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チャールズ・ダーウィンが唱えた進化論がどのような理論構成になっており、どのような証拠によってその正しさが根拠づけられているのかということを整理している。ダーウィンが『種の起原』の中で直接言及していることだけでなく、その後の科学の進展によって明らかになったことを含め、進化論を支える体系が詳しく説明されている。
人を含むすべての生物が、世代をまたぐ変異と自然淘汰によって進化して現在の姿に至ったということは、進化論の概要としては広く知られている。しかし、自然淘汰について正確に理解したり、ましてその根拠として現在の科学がどのようなものを挙げているのかといったことは、それほど知られているとは言えない。
進化論はひとつの理論であるが、進化論のような理論が数学の定理とは異なる点は、それが観察や実験によって裏付けられることを通じて、広く事実として受容された説であるということである。数学の定理は1つの証明があれば定理として成立するが、進化論のような理論は様々な検証を積み重ねた上にその正しさ(の度合い)が人々に認められる。
進化論が正しいということも、多面的な科学研究によって検証がなされている。筆者は、進化論に対する無理解や誤解を解消するために、非常に多くの事例を挙げながら本書で進化論の正しさが検証されていることを明らかにしようとしている。
ダーウィンが進化論の根幹として掲げたのは、自然淘汰というメカニズムである。ダーウィンはこの自然淘汰という概念を、人類文明が長い間行ってきた人為淘汰から導き出した。
彼の時代にはまだDNAの存在は知られていなかったが、野生生物の家畜化や植物の品種改良の経験は広く知られていた。このようなプロセスから、生物にはその特徴を継承する遺伝の仕組みがあり、さらに同じ種の中でも異なる特徴を持った個体同士を交配するとそのいずれかが継承されるという仕組みは知られていた。そして人類は多様な遺伝性の特徴の中から自らにとって望ましい特徴を選んで個体を選別することで、種の中に存在する多様性を一定の方向に導くという、人工淘汰を行ってきた。
ダーウィンが考えた自然淘汰は、このプロセスの実行者を自然による生存競争に置き換えたものである。生物種の多様性はランダムに発生するが、その中から生存するのは環境によりよく適応し、生存の確率が高まった個体だけである。このことが長い世代交代を経て特定の特徴がその種の中に蓄積されていく原因となる。
しかしこのことだけでは、種の特徴が徐々に変わっていくことは明らかになっても、現在のようにさまざまな生物種が誕生した理由の説明にはならない。一つの生物種から異なる生物種に分かれる種の分化のプロセスは、環境の要因が大きく寄与している。
種の分化には本書で疑似的に「島」と呼ばれる互いに独立した環境が必要である。「島」とはある種が行き来することができる範囲であり、島と島の間は相互に行き来ができない領域で隔てられている。高山植物にとってはある標高以上の環境が島となり、淡水魚にとっては湖や川がそれぞれ島である。
ある種の生息環境が何らかの環境変化で複数の島に隔てられたとき、それぞれの島で独自の進化が始まる。そして、ある程度の時間が経過し互いに交雑できないほどに分化が進んだとき、種の分化が起こる。生物種の誕生には、同所種分化という地理的には重なった領域で種が分化するプロセスも存在するが、多くの種の誕生には「島」により互いに独立した環境の発生が関係している。
本書を読んで認識を新たにさせられたのは、このような進化に必要な時間軸の幅が多様であるということである。ダーウィンは、進化には数千から数万世代の長い時間がかかると考えていた。しかし、自然淘汰による選択圧が強い場合には、数十年の間にも種の特徴は大きく変わることがあるという。
さらに、種の中での多様性は無作為に発生するが、自然淘汰による選択は、その中の極端なものを生き残らせ、中間的な性質のものを死滅させる形で働くことがある。そのような場合には種の分化が急速に進み、種の多様性を生むこともある。
本書ではまた、ダーウィン以降に開発された進化論を支持する科学的な検証法や、進化論を否定する際によく展開される議論に対してどのような反論がなされているのかについても紹介をしている。
炭素などの放射性同位体を用いた年代測定法は、古生物学だけではなく歴史学や地学の分野でも広く使われているが、その他にもDNAの中にランダムに発生する変異を指標とした分子時計という方法が研究されており、年代測定に関する補足的な情報を提供してくれているということは、興味深かった。
また進化論に対する反論については様々なものが取り上げられているが、目のような複雑な機構が自然の試行錯誤を通じて生まれることはないという反論に対する議論が興味深かった。この議論は、何らかの意志を持った創造者が生物の種やその機構をデザインしたに違いないという、インテリジェント・デザイン論として現在も聞かれる議論である。
筆者は、胚発生のような複雑な過程であっても、そのプロセスの一つひとつは局所的な自己組織化の過程であり変異として起こり得る事象であること、発生の仕組みには複数の遺伝子が関わっており、その組み合わせによっては複雑な機構が形成しうることを、神経管の発生プロセスのコンピュータ・シミュレーションやセンチュウの系統に関する遺伝子解析の研究などを挙げながら説明している。
このようなことから、一見複雑に見える機構が小さなステップの積み重ねで形成されうること、またそれらのステップの多くは途中段階では機能や性質として顕在化しないが、すべてのプロセスが遺伝子の中で出来上がることによって、急に機能として発現したように見えることが分かる。
またインテリジェント・デザイン論に対するもう一つの反論は、生物の機構が決して効率よくはデザインされていないということである。生物の機構は段階的な進化の結果であり、また多くの機構は当初は現在の目的とは異なる目的で使われていたものを転用したものである。そのため、咽頭神経のように不必要な回り道をして配線されているものや、サメ類の鰾(うきぶくろ)のようにもとは肺であったものを転用したため、漁類の鰾と比べて後から登場したにもかかわらず機能は劣るといった事例が、いくつも見つけられる。
これらの議論を丁寧に追っていくことで、創造論よりも進化論の方が現実の事象をより良く説明でき、真実である蓋然性が高いものであるということが分かるようになる。
知っているようでその根拠を詳しくは知らない進化論という議論について詳しく知ることができるとともに、進化論のような既成概念を大きく覆すような仮説が科学的な検証を通じてどのようにその真実性の基盤を構築していくことができるのかということを理解することができた。科学史や科学哲学の面からもとても興味深い本であると思う。 -
とても良い。進化に関してしっかりとした認識を作ることができる。非常にこまかく、非常にくどく、そして非常に創造論者をこき下ろしていたとしても…
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凄い。進化論がいかに正しいか証明するための本。これを書かなければならないほど創造論がいかに根を張っているかということの証明でもあるな。
進化論が正しいという話だけでなく、なぜダーウィンの種の起源の初版に触れていたり、イヌみたいになったキツネの話とか、とにかく最初から最後まで飽きずに読める大著。 -
「これまで書いてきた本をふりかえったとき、進化を支持する証拠そのものについてはっきりと論じたところがどこに[も]なく、それは、埋めなければならない重大な空白(ギャップ)であるということに、私は気がついた。」(「はじめに」、42ページ)というだけあって、進化が事実であることを示す証拠がこれでもかと示されている。進化は、何万年、何億年という気が遠くなるほど長い時間をかかて進むものだと思っていたが、第5章「私たちのすぐ目の前で」で紹介されているように、一人の人間が一生のうちに観察できるくらい急速に進む場合もあるということが一番の驚きだった。
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宗教に対する追撃はまだ手を緩めてなく、この本でも再三語られていますが、本業にしっかり内容の重心を移していて、進化論の現在到達地点を知るに格好の書です
科学者の仕事としてはもちろん素晴らしいし、またそれを抜きにしても何十億もの人を敵にまわしてまでも、誠実であろうとする氏の姿勢には激しい共感を覚えます -
ドーキンス、の名で読むと少々拍子抜けだが、創造論をいちいち潰していく文章がまたドーキンスらしく溌剌(笑)どうしても進化論をわかってもらいたいというあっつーい熱意が伝わるし、一般向けなのでややこしくもない。学校で教わった通りに進化論を受け入れている日本人は読んでおくべきだと思う。教科書に書いてあるからね、ハイハイ、じゃなくて、自分の頭で考えるべき。