著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163289007

作品紹介・あらすじ

悲劇は起こる。しかしそれが何故なのかは誰にもわからない。北国で育った二人の少女がそれぞれ堕ちていく二つの渦-。日本海に面した雪深い地方で、高度成長期に青春を過ごした二人の母親、元水商売の正子と信用金庫勤務の直子。彼女たちの娘、雅美とちひろが停滞の次代に家庭を持つ。そして、二人はそれぞれ、静かに人生を転落してゆくのだった。時代と人間の宿命を作家は仮借なく綴る。著者渾身の長篇小説。

感想・レビュー・書評

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  • 淡々とした説明的文章で描かれるのは大人になる道を失った女の子たちと、そんな女の子たちを育てた女親二人、四人の「生態」。この小説で、男親たちは、ほとんど子育てにかかわらない…晩酌の塩っ辛いアテを気まぐれに食べさせる程度にしか。そして男たちは経済規模の気まぐれな変転に付き合わされながら落ちぶれていく。女たちは主体的に自らの生き方を選ぶことがない。皆、流される自覚なく流されながら「生態」を晒していく。
    「生態」でなく「生き様」だ、と言えるような主体的な判断を、小説の登場人物たちは誰一人として示していないように思う。「生態」と呼ぶしかないような読後感がある。そして「生態」には、どう扱ったらいいのか誰も教えてくれないセクシャリティなるものが含まれてもいる(女親二人の性的経験のしかたは、当時としてはごくありふれた内容なのだろうが、だからこそ悲惨だという思いを個人的に抱いた)。
    こういった「生態」のありようが「昭和」という時代のひとつの側面だという気が、たしかにする。古い慣習や儀礼の束縛が緩み、自由な選択が許されるかのような時代のなかで、大人を形作ってくれるはずの枠も緩みあるいはなくなり、自由と欲望の見分けがつかなくなる。女親たちは、娘たちの範型にはなれず、乗り越えるべき壁にもなれない。昭和の典型的記号表現「茶の間の団らん」を過ごす家族の姿も、ここにはない(『巡礼』のなかでは、それはかろうじて成立していた)。団らんを示す典型的な場面であるはずの「食卓のごちそう」は、この物語に登場しない(幼い雅美が祖母の味噌汁を拒否する時点で、家族はすでに意味を失っているようにも思った)。
    『巡礼』とは異なり、この小説にはわかりやすい救いは描かれない。より現実に寄りそった構成といえるのかもしれない(現実ってやつには、わかりやすい救いなんて用意されてないことの方が多いわけだし)。
    『橋』で描かれたのは、高度経済成長期以後に、地方都市周辺と農村で、経済文化の中心である「東京なるもの」に振り回される上昇志向の流れに属した下層あるいは中間層(丸山真男風にいえば「亜インテリ」も含むわけか…)の女の子だ。『巡礼』では、東京近郊の旧中間層に属する商家の男の子の変転が描かれた。とすれば、「東京」の中心かその近くにいた、中間層あるいはそれ以上の層に属する男の子と女の子の物語が、当然ありうるように思われる。未読なのでよくわからないけど、橋本さんはそういう方向に進んだのではなかろうか。

  • <a href="http://blog.goo.ne.jp/rainygreen/e/60303f4782b7ce0f4d7c36f82ef9865d">「巡礼」</a>と<a href="http://blog.goo.ne.jp/rainygreen/e/a64909bec2753012448c5fe7dc54b233">「リア家の人々」</a>を繋ぐ、橋本治・戦後三部作の二作目…なんですが、自分は「リア家の人々」を先に読んでしまいました(この作品知らなかった…)。

    実在の殺人事件をモチーフに、加害者となった女性二人が斯様な凶行に至ることになるまでの半生を、昭和から平成にかけての社会状況の変遷を背景にしながら詳らかに冷静な視点で語っていく形式は、「巡礼」と共通するものがあります。
    時代的には、高度経済成長が終焉を迎えて「日本列島改造」を訴える総理大臣が登場した70年代から、束の間の「地方の時代」を経てバブル崩壊とともに地方が疲弊していく90年代までが中心。
    中学の同級生である二人の母、田村正子と大川直子は団塊世代、そして彼女たちの娘である田村雅美と大川ちひろは自分と同じ団塊ジュニア世代。
    田村雅美は、ピンクレディが解散した1980年に小学三年生ということで自分と同学年の設定なので、彼女たちが辿った時代感はリアルな感覚で捉えることができました。
    地理的な設定は、日本海側の架空の地方都市を舞台にしていますが、いくつかの描写から、「角津」は長岡、「豊岡」は新潟をモデルにしてるのかな、と感じました。

    三部作に通底するニュートラルな筆致で、二人の少女の父母が如何にして出会い、家庭を築き、少女たちの子育てにいかなる姿勢で臨んだのか、そして、その結果二人の少女がいかにして些かコミュニケーションに弱点のあるパーソナリティを育むこととなったのかが丹念に綴られていきます。
    そこに上述したような日本社会の変遷という背景が重ねられていくわけですが、やはり著者は田村正子や大川直子の世代の人だけあって、彼女たちやその夫たちが時代の流れに合わせて彼女たちなりに懸命に生きていく様に生々しいリアリティが感じられる一方、田村雅美や大川ちひろ、娘たちの世代の”育ち”と社会状況の関わり合いについてはイマイチ上手に表現しきれていないような印象を受けました(自分が同世代だけにそう感じるのかもしれません)。
    特に大川ちひろについては???です。
    著者も結局消化しきれていないような。

    個人的に三部作を評価するなら、「リア家の人々」>「巡礼」>「橋」でしょうか。

  • 前作の「巡礼」に比べると、小説というよりは、ふだんの橋本治の時論などに近い印象を受けた。時論では、「団塊の世代は○○である」、「新人類世代は○○である」、「バブルは○○である」という書きぶりになるが、その「団塊の世代」という主語が「山下陽子(適当にかいた)」などの実名になり、キャラになり、小説の中で動いているといった意味だ。せっかく前情報なしで読んでたのだが、途中、本にはさまれていた新潮社のパンクに目をやると、かなり大事なストーリ上の内容が書かれていてガッカリした。できたら、まったく知らずに読みたかった。これから読む人に具体的な前情報はあたえたくないので、これ以上書くのはやめます。あえてひとつだけいうと・・・えーと、勘のいい人は、これでわかるかもしれないので行間あけます。かなり有名な事件が中に登場します。これは、あの事件の謎にたいする、橋本治独自の回答の一種なのだと思った。""

  • 実際に起こった事件を元に書かれた作品でした。
    うーーん。。とりあえず、淡々と事柄だけを追っていっている描写に感じて、読み進めるのに苦労しました。そして、小説らしくない…というか、何故小説という形を取ったのだろう、この内容なら別の表現の仕方もあったのでは…と思っていまいました。
    人には色々な背景がある。事件はその時だけ切り抜かれて起きたのではない。そう思うけれど、事件の内容がほとんど書かれていないので、この事件を知らなければ、なんの話なのか、なんのために背景を描写しているのか、分かりにくい作品でした。

  • 978-4-16-328900-7 236p 2010・1・30 1刷

  • ラスト30ページの衝撃は凄い。うーん!

  • 濃い内容をさらっと描いています。取っ付きやすそうで、取っ付きづらい、不思議な文章です。

  • ラスト30ページは,そこに繋がるのかという感じでした。少し昔の記憶が徐々に鮮明になって,ああ,そういう事件もあったなぁと思い出しました。
    前回の「巡礼」(新潮社)から橋本治氏2冊目ですが,悲しい読了感は共通していました。

    独立した団塊世代とそのジュニアである娘が起こす2つの事件には,明らかに実際のモデルがあります。
    橋本氏は,バブルに翻弄された親世代の精神的な歪みと,その歪みはその子供たちへと引き継がれることを表現しようとしたのではないか感じました。

    最後まで読んで本のタイトルの意味深さがわかりました。とにかく悲しいです。

  • 昭和三部作 二作目

    装丁が美しい

  • 橋本治の小説は、いっときかなり読んだけど、最近のは全然読んでなかった。

    図書館の面陳で見て、橋本治の小説か~、どんなんやろとちょっと読んでみた。橋本治の橋、こういうのは韻を踏んでるわけでもないのかと思う。カバーが渋いので、時代モノかと思ったら、違っていた。

    ピンクレディーが解散したのって1981年やったっけ(私が小学校の低学年だったときにものすごく流行っていた印象が強いので、小6のときといわれると、そうやったっけと思ってしまう)、そのときに小学3年生ということは、この場面で出てくる子どもは私と…3つ違い?…などと思いながら、そのまま近くの椅子でつるつると半分ほどまで読んでいたが、冷房でどうも冷えてきたので、借りて帰り、汗をふきふき、晩ご飯までに読んでしまった。

    2人の少女の成長と、それぞれの母の話が、交錯しながら書かれていく。高度成長期に育った母たち、そして家庭をもち、子どもをもうけ、バブルが膨らみ、はじけたあとまで、母たちと娘たちの生活が書かれる。それをずっと読んでいって、最後の章の半ばまできて、(え、そういう話?)と驚く。

    2人の娘、ちひろと雅美に、「殺人の容疑で逮捕される未来があるとは、まだ誰も思わなかった」と、183ページで橋本は書く。それから50ページ余りで、物語は閉じられる。

    10年、20年経ってこの物語が読まれるときに読者が意識するかどうかは分からないが、今読むなら、数年前にメディアでもずいぶん騒がれていた2つの殺人事件が下敷きになっている、と読者は思うのだろう。

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著者プロフィール

1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。小説、戯曲、舞台演出、評論、古典の現代語訳ほか、ジャンルを越えて活躍。著書に『桃尻娘』(小説現代新人賞佳作)、『宗教なんかこわくない!』(新潮学芸賞)、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(小林秀雄賞)、『蝶のゆくえ』(柴田錬三郎賞)、『双調平家物語』(毎日出版文化賞)、『窯変源氏物語』、『巡礼』、『リア家の人々』、『BAcBAHその他』『あなたの苦手な彼女について』『人はなぜ「美しい」がわかるのか』『ちゃんと話すための敬語の本』他多数。

「2019年 『思いつきで世界は進む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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