ホモセクシャルの世界史

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (543ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163667904

作品紹介・あらすじ

その時、禁じられた絆が歴史を動かした。ギリシア・ローマ時代から現代まで-世界史の闇に隠されたホモセクシャル・コネクション。

感想・レビュー・書評

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  • 歴史は教科書に載っているものだけが全てではない。

    本書は、同性愛、特に男性間の愛について世界史をたどったものだ。
    世界史と言っても、主にヨーロッパ、そしてアメリカの記述になる。
    最後の方は知らない名前も多く読んでいて疲れてしまった(ボリュームもあるし!)。
    私の勉強不足ゆえだが、知らない事柄が多く、知識不足を実感するとともに、読書には体力もいることがわかった。
    読破は入院中だったので、非常に疲れた、というのが正直な感想だ。

    記述として面白いのが、ナチス時代のドイツについてだ。
    女性性を配し、男性性を強め、同性愛を嫌えば嫌うほど、男性間の愛が増加したという皮肉な結果!
    マッチョになればなるほど結果が目論見と外れる。
    単一性を求めると、隠れていた多様性が表に出てくる。
    多様性を認めないことに意固地になるのはその立場が危ういと薄々感づいているからなのか?

    ギリシャ時代は同性愛は高尚なものであった。
    次に迫害の時代が来た。
    そして今また、理解に向けて動き始めている。
    異常だという人もいた。
    それに対し、疑念が沸き起こり、定義も変わっていった。
    何に主眼を置くかで「正しいこと」は変わっていく。
    時代にそぐわなければ「悪いこと」。
    でも長い目で見れば必ずしも今の定義が全て正しいわけではないのだ。

    本書に収められた、女性に見紛う、そしてまるで彫像のような少年の写真。
    まっすぐにこちらを見据えるその目が私たちに様々なことを問いかけている。

  • 本格的な内容で、とっきにくいと感じた。同性愛・異性愛の違いに興味があり手に取った。
    時代による価値観の変化がよくわかり、自分が生きているあいだ、今の常識が覆ることも珍しい事でないと感じた。19世紀以降の記述は、自分の知己不足で追っていくのがつらかった。
     アセクシャル、無性という言葉をはじめて知った。私はこれだと思う。
    同性愛者として意外な・・・考えても見なかった者の名前が多く出てきた。エミール・ガレ、サマセット・モームなど。知らなくてもよい方がよかったと思う。あとでガレの画集の解説をを読み直そうと思う。なじみのない分野の本を読んで思うことには、世界にはいろいろなことが様々な断面で見ることが出来るという事実。またその断面を自身が知らないという事実。世界にはまだまだ知らないことが沢山ある。出会っていない本もたくさんあるんだと感じた。

    12世紀は愛の世紀とされ、寛容な世紀だったが、
     13、14世紀は不寛容な世紀だった。不寛容化の理由の一つとして、専制的政治体制の台頭、協会法・世俗的な法律の制定法が挙げられている。これらにより、イスラム教徒、異教徒、<男色者>、ユダヤ人も排除されていく。
     15世紀~18世紀は同性使者にとって暗黒時代とされる。まばゆいルネッサンスは光部分だけでなく、影の部分では不寛容主義、抑圧、特に同性愛者への攻撃があった。ホモフォービア(ホモセクシャルを忌み嫌う)社会だった。取り締まりが厳しかったのは、異端審問の本拠スペイン、イタリアであり、南欧で厳しく、北欧ではゆるかっだった。
     英国は少し遅れて、17世紀より取り締まりが厳しくなっていく。17世紀のはじめは同性愛をはっきり攻撃することはなかったのだが、17世紀後半になると人々は同性愛をスキャンダルとして攻撃していた。ジャーナリズムが成立したともいえる。18世紀にはあからさまに取り上げられるようになった。厳しい処罰は19世紀まで続いた。
     18世紀は<理性の世紀>ともい言われている。ホモセクシャルに対する処刑はフランスで1783年であるのに対して、英国では1835年まで続いた。
     また、18世紀から19世紀は刑法が廃止されていった。その三原因として、一つは極刑は野蛮な行為とされ行われくなったこと、二つにソドミーは異端や呪術と同じとされ、有罪とされてきたが、宗教により断罪することに対する反感が強くなったこと、三つに、個人的自由が重視され、被害者がいない犯罪は罰しなくてよいという考えが強くなった経緯があったためだ。先に書いた通り、英国では、法(男色処罰法)は1967年まで残った。アメリカでは州ごとに対応がことなり、2003年最高裁がホモセクシャルの刑法を廃止した。
     19世紀は国々により警刑法がちがいそれそれの対応をとった。
     21世紀は<性>がジェンダー、セクシャリティの面でも一般的に論じられる時代になった。また18世紀から19世紀への過渡期は、同性愛が罪から病へ変化した時期でもあった。1890~1930年代の文学作品は同性愛が大きな影響を与えている。ジェフリー・マイヤーズ『同性愛と文学 一八九〇ー一九三〇』のなかで代表作家として、9人が選ばれている。オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』、アンドレ・ジッド『背徳者』、トーマス・マン『ベニスに死す』、ロベルト・ムジル『若きテルレスの惑い』、マルセル・プルースト『ソドムとゴモラ』、ジョゼフ・コンラッド『勝利』、E・M・フォースター『眺めのいい部屋』『モーリス』『ライフ・トゥ・カム』D・H・ロレンス『白孔雀』『恋する女たち』『アーロンの杖』だ。
    と、ここでギブアップ。内容が細切れでついていけなかった。(P288まで)

    プロローグ 世界のなかの封印されたタブー 10
    第一部 古代から19世紀まで 近代以前 
    第一章 同性愛の起源 26
    第二章 ギリシャの愛 32
    第三章 ローマからキリスト教世界へ 67
    第四章 ルネッサンス 93
    第五章 ローロッパの近世 106
    第六章 一九世紀 148

    第二部 二十世紀 性の世紀
    第七章 ブルームズベリー・グループ 226
    第八章 バレー・リュス・コネクション 299
    第九章 太陽の子ら――二つの大戦の間 336
    第十章 同性愛の政治学(ポリテクス)――第二次世界大戦期前後 362
    第十一章 アメリカに移住した作家たち 388
    第十二章 アメリカのクローセットシステム 398
    第十三章 二十世紀のニューヨーク 436
    エピローグ そして二十一世紀 550

  • 前々から不思議に思っていたことがある。ダヴィデ像であれほど見事な人体像を表現したミケランジェロが、どうしてメディチ家の礼拝堂を飾る二人の女性像、「夜」「夜明け」の胸に、見るからにとってつけたような乳房をおいたのか。どうみても男のように扁平な胸にそこだけお椀を伏せたような貧弱な乳房は、素人目で見てもつり合いがとれていないように見えるのだ。

    この本を読んで、やっとその謎が解けた。ミケランジェロは、女性のヌードは男性のヌードに劣ると思っていたらしい。女性を描くときも男性モデルを使ったほどだ。その彼がなぜ女性のヌードを作ったのか。「それはちょうど彼が少年への愛に悩んでおり、フィレンツェではそれに対する非難が高まっていた。自分の欲望をカモフラージュするために彼は女性のヌード像を入れたのではないか」というのがケネス・クラークの解釈である。

    ルネサンスのイタリアの状況は複雑だった。ギリシア以来の快楽主義とキリスト教の禁欲主義が衝突していたのだ。その中心がフィレンツェで、ミケランジェロはメディチ家とサヴォナローラが代表する二大勢力の影響をもろに受けていた。ネオプラトニズムの影響はミケランジェロに少年愛を教えた。プラトニックなものであっても男同士の愛は、当時のイタリアでは同性愛と考えられていた。有名人であるだけにスキャンダルを恐れたのかもしれない。

    ハイト・リポート男性版によると、多くの男性が、現在親友はいないといい、学生時代にはいたが、今は親しくないとしているそうだ。何故、男が一対一の友情を避けるかといえば、ホモと思われたくないからだ。男たちは同性愛を忌避するあまり、人間的な直接的な親愛性を作ることができないでいるのではないか、というのがハイトの意見だそうだ。筆者は人間と人間の絆、友愛の可能性を極限的に純粋な形で提出しているのが同性愛ではないかというのだが。

    少年愛で有名なギリシア時代から現代に至る同性愛の歴史を一冊にまとめたこの本は、『陰謀の世界史』『スパイの世界史』に続く、隠された視点から世界史を読み直すシリーズの三冊目である。なるほど、こうして書かれてみると、それまでの歴史書からは見えてこない世界史の裏側が見えてくる。それにしても、よくもまあこんなにと思うほど、同性愛者がいるものだ。

    『モーリス』を書いたE・M・フォースター、『オーランドー』のヴァージニア・ウルフ、映画『キャリントン』にも描かれたリトン・ストレイチーと、なぜか同性愛者の多いブルームズベリー・グループをはじめとして、ニジンスキー、ジャン・コクトーなどによるディアギレフ率いるロシアバレエ団(バレエ・リュス)のサークル、それに『失われた時を求めて』のシャルリュス男爵のモデル、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵を中心とするコネクション、と枚挙に暇がない。

    同性愛を語って、オスカー・ワイルドを外すわけにはいかない。ワイルドの代表作といえば『ドリアン・グレイの肖像』だが、今まで、この〈ドリアン〉についてはあまり語られてこなかった。「そのまま解釈すれば、ドーリア人のことであり、古代ギリシアの戦士愛、男たちの友情で名高い民族のことだ。つまり、ドリアン・グレイはドーリア人グレイ、同性愛者グレイのことなのだ」。当時のワイルドの取り巻き連の中にジョン・グレイという若い詩人がいたことが今では分かっている。

    ワイルドが投獄されるきっかけを作ったのがアルフレッド・ダグラスとの関係だった。二人がアルジェリア旅行をしているとき、かつてパリで知り合っていたアンドレ・ジッドと宿で再会する。もともとジッドには同性愛的傾向があったのだが、このアルジェリア旅行でワイルドに出会ったことがそれを決定的なものにする。

    そのジッドが愛したのが、マルク・アレグレ。やがて映画製作者として知られることになるこの青年をジッドは英国にまで連れ出している。この時、ブルームズベリー・グループとも会っているようだ。映画や演劇に惹かれたマルクがコクトーと親しくするようになったことが、ジッドの嫉妬を生み、後にフランス文学史に残るジッド・コクトー論争に発展するというのだから、少年をめぐる愛の憾みはおそろしい。

    文学、美術ばかりではない。音楽界、映画界はもとより、政治の世界にも話は及ぶ。旧世紀までは主にヨーロッパ、二十世紀以降はアメリカに舞台を移し、通常の文学史や美術史からは見ることのできなかった世界のもう一つの姿が同性愛という鍵を使うことであぶり出しのように浮かび上がってくる。同性愛を禁忌とすることで成立してきた異性愛中心の世界史が、いかに偏った見方で叙述されていたかが分かろうというもの。労作である。

  • とても細切れに様々なことが書いてある。全体を通じて読むのではなく、豆知識をちりばめている印象。
    興味があるひとにとっては純粋に面白いです。しかし私がしたい読書はこうじゃない。

  • 最近は同性愛に対する風通しもだいぶよくなってきているようにも思えるが、まだまだ差別されることも多いのだろうな。文豪の章とハリウッドスターの章が興味深かった。

  • 古代ギリシアから現代にいたるまで、歴史上のゲイの有名人を調べあげています。
    弾圧の歴史は長く偽装結婚もたくさん行われてきているとのことで、まだ偏見は残るのかもしれないけど、昨今は、ゲイの人たちにとって、かなり生きやすい時代になってきているのだなぁと思いました。
    しかし、偽装結婚をさせられた人の人生はどうだったのだろうか?それが気になるところです。

    しかし、ゲイの文化や歴史などを書いたものはあっても、科学的になぜ?という部分はなかなかきりこめないものなんですね。この作者は「友愛」というところに帰着しようとしているようですが・・。

  • 凄い情報量です。
    カラヴァッジオの美少年の表紙も素敵。
    寝る前に少しだけ読むのにお勧めです。

  • 題名そのもの、ホモセクシュアルの歴史書。歴史上の有名な人物がゲイだったからといってだからなんなの、という方も勿論沢山いらっしゃるだろうが、しかし、見知った世界がまた違う双貌を見せる場合もあるのですね。人と人を繋ぐ友愛、友情。同様の日本史だって勿論あるわけですよ(sakusakuのジゴロウもといヴィンセント口調)。個人的にはイギリスのリトン=ストレイチーの項が面白うございました。いまはもう亡き映画監督/デレク=ジャーマンの「ヴィトゲンシュタイン」や「エドワード?」なんかを観た方にもお薦めです。今さらという気もしますけどね。十年ぐらい前に読んだドミニク=フェルナンデス「ガ二ュメデスの誘拐/同性愛文化の栄光と悲惨」より読みやすかった(あれ、それは牛乳こーひー。が大人になって少しは読解力がついたからなのか?この本ももう一回読んでみようっと)

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著者プロフィール

美術評論家。1976年から平凡社『太陽』の編集長を務めた後、独立。幅広い分野で執筆を行う。

「2023年 『アジア・中東の装飾と文様』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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