- Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163731605
作品紹介・あらすじ
中国東北部の食文化を多数のカラー写真で一挙公開!餃子、腸詰め、ワインまで!中華料理で分化を味わう、芥川賞作家の食べものエッセイ。
感想・レビュー・書評
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自分と同世代でお茶大を出て作家となった才媛がこんなに苦労し始終お腹をすかせた子供時代を送っていたことに驚く。
”往事如煙−つらい思い出もいつの間にか薄い青靄と化し”、不思議とささやかな喜びや幸せのほうが思い出されるのだろう。
著者らしい、突き放したようなきりっと清冽な表現が、厳しい生活の中でのひとの営みを鮮やかに描き出し、中国東北部の冷たく乾いた空気を感じさせる。表題は軽すぎて合わない素晴らしい随筆だと思う。
人間とは所詮単純な動物で、いくら思考力があっても、結局、目の前の物と色で、幸にもなれば、不幸にもなる。
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昔のことって、特に食に関することって
大人になっても忘れないし
懐かしい気持ちになる。
私の知らない中国ハルビンの、
時代に翻弄された家族の
辛そうだけど暖かそうな記憶。
もう少し丹念にかいたものも読んでみたい。
しかしこの説明書きはひどいな。
本読んでないな。 -
文化大革命の時代に子供時代を過ごした著者の食にまつわる思い出話。
下放で農村部に強制移住をさせられて一家の暮らしががらりと変わるため、肉票が無い農村部では肉が買えずに動物を飼い、畑でトマトやきゅうりを作り…と一家で過酷な生活を送りつつもその中で楽しみを見出す著者の明るさに救われる思いがしました。
しかし、農村から呼び戻される時、家畜の面倒を一緒に見ていた飼い犬に起こった出来事は衝撃的でした。当時の著者の心を思うと辛かったです。 -
初めて楊さんの作品を読みました。写真も多いし読みやすくてよかった。
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中国語やりはじめたし、ってことで図書館で何気なく手に取る。面白い。
まだ共産主義国だった頃の中国で育った著者の話が、食に絡めて書いてある。
知識人階級だった教師の家に生まれた著者は、歴史の教科書でみたことがあるような、田舎に行かされたり狭い、ひどい家に住まわされたりする。
これは、ひどい。親も、泣いている。
でも、筆者はどこまでも良い意味で子どもである。つらさ、悲壮さをまったく感じさせない。
さらに大人になった筆者がその時々に食べていたものを実に巧みに描く。美味しそうすぎる。悲壮さがぶっとぶ。
ほんの数十年前にお隣の国がどんな暮らしをしていたのかを、美味しい食べ物たちに囲まれながら読み終える。面白かった。でも、なにか残るものがある。中国に対する印象が変わる。そんな良書だった。 -
お母さんだけが台所に立ってごはんを作り、お父さんはごはんを炊くことも出来ずただ食べるだけという日本にありがちな家族像が中国にはなさそうだ。家族みんなでごはんを作る。これ理想。
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単純に中華料理の紹介などが書いてあるのだろうと
タイトルだけ見て思って、読み始めると何か毛色がちがった。
楊逸さんの幼少からの記憶を辿る料理にまつわる本だった。
料理とその時代、楊逸さんの暮らしぶりの記述が一連の物語
のようで面白い構成。それがまた中国でのことなので、より
興味深い。見たこと、聞いたことない食べ物がいっぱいでてきて。
楊逸さんのことを知りたい方にはぜひおすすめ。 -
題名だけを見て、中国人料理家の本かと思って手に取ったら、読み始めて全く違うことがわかった。
この作者楊 逸は、1964年中国で生まれ育ち、貧乏ながらも楽しく子供時代を過ごしたが、1970年に両親が教育者でお母さんが地主の娘だというだけの理由で一家で農村へ「下放」させられる。
氷点下2、 30度の窓もドアもない所へ移住させられ、電気もガスも水道もなく、畑をしたり家畜を飼ったりしながら生き延びる。読めば読むほど壮絶である。
だが彼女はユーモアたっぷりにそれを記している。
文化大革命が終わって都市部に戻れても、苦労は続く。住むところがなく高校校舎の3階に一家で入居した時も煙突がないため料理のたびに煙に苦しむ。
やっと台所を外に建てても、ご近所のテレビから出火した火事で服や持ち物全てを家なうなど苦労が続く。
この本では、その度にどのような食事をしたかという事を、写真入りで説明している。重苦しい内容なのに、それを感じさせない。それは作者の持つユーモアであり、芥川賞作家の持つ優れた文章力から来るものだろう。中国版大草原の小さな家といった感じで読む人をわくわくさせる力がある。 -
決して文章はうまくないけれど、下放されたときのことも著者が書くからただ悲惨なのではなくどこか希望とおかしさを感じさせることができるのだろう。
中国の東北のお料理が食べたくなった。写真がなぜかとてもおいしそう。
割と海南島に行き始めの頃に海口の東北料理のお店がおいしかったのを思い出した。 -
年代としては自分の両親よりもずっと若い世代の中国の農村での風景を綴っているが、文章から伝わるイメージは、もっと古い時代の風景が映るような、年代のギャップというか錯誤感を感じるエッセイであった。
【付箋メモより】
「当時の農村は厳しい共産主義制で、その数年前までに、各農民の家にあった金属製の鍋類を全部上納して、製鋼の原料としていた。食事はというと、村の役所に用意された大きな鍋が一つだけで、時間になれば村民が集まってきて、同じものを食べる「大鍋飯」制度が取られていたという」(p96)
「一昔前には、どこの村にも屠戸(豚や牛を屠る技術者)という専門職があったが、革命後には、たとえ自分の腕であろうとも、商売に使うと資本主義になる恐れがあるので、その職業も自然消滅してしまった」(p98)
「豚の体は宝、という中国の古い言い伝えがある。皮から内臓まで、捨てるところが一つたりともないという意味だろう」(p102)
興味深かったのは、中国の共産主義制度と、屠戸(豚や牛を屠る技術者)の存在。
このことについての専門書ではけっしてないが、こういった部分も見え隠れしているところが、私にとっては読んでいて大変興味深かったし、もっと深く知りたいなとも思った。