昭和天皇伝

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (588ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163741802

作品紹介・あらすじ

生気に満ちた皇太子時代、即位直後の迷いと苦悩。戦争へと向かう軍部の暴走を止めようとする懸命の努力、円熟の境地による戦争終結の決断、強い道義的責任の自覚を持って日本再建に尽力する戦後。苦難に満ちた公的生涯のみならず母・貞明皇太后、妻・良子皇后、子・今上天皇と美智子妃などとの生々しい家庭生活にまで筆を費やした、読み応え十分の傑作評伝。

感想・レビュー・書評

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  • 重厚な内容ではあるが、一般の読者にも読みやすく、一気に読める本だろうと思う(私はじっくり読ませてもらったが)。すでに様々な角度から昭和天皇伝は上梓されているが、それら諸研究の研究史上の位置付けや批判もきちんとなされていて、読み応えがある。とくに張作霖爆殺事件において昭和天皇が田中義一を叱責した対応や2・26事件における対応を、立憲君主制の枠をはみ出した行為としながらも、それをもって一貫して昭和天皇が政治に積極的に関与していったとはとらえず、その後の政治過程の中で成熟した君主として成長し、最終的には終戦の聖断をくだすあたりまでの描写は圧巻であった。また戦後も敗戦の責任と贖罪の意識を背負いながらも、国民の精神的支えになろうとした昭和天皇の生き様には強く共感した。

  • 日本の激動期の1930年代における30歳代の昭和天皇が威信が無かったとの本書の内容は驚きだった。
    昭和天皇が崩御して20年以上が過ぎ、それまではベールに包まれていた昭和天皇の実像が関係者の日記等が明らかになることによって、いろいろわかってきたことがある。本書では、それらの分析を通して1930年代の日本の激動期の昭和天皇に威信が無く、軍部と官僚の統御に苦心している姿が浮かび上がっている。当時の日本においては、内閣、官僚、政党政治家、宮中、軍部が国家戦略をめぐっての方針をそれぞれが主張し、その調整機関が制度的に存在しなかった。全てを総攬する至高の存在である天皇自らが調整せざるをえなかった。昭和天皇に威信があれば容易に調整はできるが、1930年代当時30歳代の昭和天皇には威信が無かった。要するに、当時の周囲の人間は昭和天皇の言うことをあまり聞いていなかったのだ。昭和天皇は自らの方針(国際協調)を言い出した場合、無視されることを恐れて言えなかったのだ。その結果、日本は戦争への道を選択していった。
      明治期の日本においては、明治天皇に威信と影響力があり、元老も健在で、国家の運営システムにおいて、軍部や官僚や政治家等の意見の違いも、容易に調整・修正できた。ところが、1930年代においては、元老は高齢の西園寺公望ひとりであり昭和天皇は30歳代で威信が無く、国家戦略の調整すらできなかった。当時の日本の政治システムでは、それが制度的に保証されていなかったと考えるべきだろう。昭和天皇が威信を獲得したのは、多くの政治的経験をつみ、円熟してきた太平洋戦争末期の終戦時期になる。終戦の「聖断」は、その威信を背景として成立した。
      これは、政治システムとして考えると、君主制のもつ欠点のひとつだろう。君主が威信があり、賢明な指導者であれば、国家戦略の選択に当たっての過ちも少ないだろうが、全ての君主が賢明であるとは限らないし、賢明な君主であろうと若年であるはじめから賢明であるとは限らない。むしろ若年では未熟が当たり前だろう。戦前の大日本帝国の国家システムは国家機関の調整という点において、未熟な君主に任さざるをえないという大きな欠陥を持っていたといえると思う。
      大日本帝国憲法とその国家システムは、明治初期に伊藤博文により当時のドイツの制度を移植したと聞いている。そのシステムの欠陥だろうと思われるが、現在の日本の政治の混迷を見ると、戦後日本の国家システムもまた有効に機能しているのかどうか疑問にも思う。国家システム以外にも、それを運用する人間の文化の問題かもしれないことを考察してみる必要があるのかもしれない。
    私には、1930年代になぜ、日本が戦争への道を歩んだのかの知識がまだまだ不足している。本書は、若い昭和天皇には威信が無く、国際協調を望みながらも影響力保持のために軍部に迎合せざるをえない姿が浮かび上がっているが、それは、今までの昭和天皇像を書き換えるものだ。当時の日本で昭和天皇がこんなに力が無い存在であったとは、知られていない。この時代の日本政治の検証は、もっと積極的に行われるべきであると私は思う。ワイゼッカー元ドイツ大統領の言葉に「過去に目を閉ざすものは現在も盲目となる」とあるが、われわれは、現在を盲目とならないためにもっと過去を知る努力をしなければならないと思う。

  • これまでの昭和天皇に対する自分のイメージ、考え・・・がどれだけ偏ったものであったのか、事実の一部しか見ていなかったかということを痛感した。
    この本に書かれている事が全て正しいとは限らないが、日中戦争や太平洋戦争、戦後の占領下等の激動期が、天皇の国民や日本という国への強い思いと同時に、政治の混迷、陸・海軍の勢力争い等様々な視点から描かれており、非常に勉強になった。
    他の文献との比較をわかりやすく解説していて、分厚い本だが読みやすかった。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/56532

  • 昭和天皇の評伝としては、以前に<a href="http://blog.goo.ne.jp/rainygreen/e/3ea2a31db1263b3f74318f7faf15ba14">『畏るべき昭和天皇』</a>を読みましたが、本著は、側近の日記など一次資料を丹念に検証しながら、昭和天皇の「畏るべき」側面だけでなく、弱さや蹉跌にもスポットを当てている点が特徴的です。

    20歳代半ばの若さで即位した昭和天皇は、張作霖爆殺事件や満州事変などの処理に躓き、軍部に対する威信を築き上げられないまま太平洋戦争への突入に消極的同意をすることになります。
    生来の生真面目さゆえに軍部や政治家との、或いは皇室内での確執に悩みながらも次第にその政治手腕に円熟みを増し、戦争終結に政治力を発揮。
    そして、終戦後連合軍占領下、戦争責任や退位問題に揺れながらも新憲法下における象徴天皇としての自らの在り方を模索し確立していきます。

    改めて印象深く思わされるのは、昭和天皇が、戦後象徴天皇となってからも含め生涯通じて政治的存在であったことです。
    象徴天皇となって政治からは切り離された存在になってもなお、国内政治・国際政治に関心を抱き、内奏を受け続けたとのこと(そんな中で<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E5%8E%9F%E5%86%85%E5%A5%8F%E5%95%8F%E9%A1%8C">増原内奏問題</a>が起こったりもするのですが)。

    もちろん平成の今上天皇も我々の知らないところで内奏を受けてはいるのでしょうが、やはり生きてきた時代が違うだけに政治的な重みが昭和天皇とは違うのは致し方のないところ。
    昭和天皇という重しを失ったことが、現代の日本における政治の軽さや混迷の一因となっているのではないか、そんな気もしてきます(当然のことながら今上天皇が悪いと云いたいわけではありませぬ)。

    著者による評伝を読むのは<a href="http://blog.goo.ne.jp/rainygreen/e/fdf558b040cf554587cd1d291fbf0714">『伊藤博文 近代日本を創った男』</a>以来だけど、600頁に迫る大著は読み応え十分。
    8月の終戦記念日の頃に購入して、少しずつじっくりと読み進め、開戦記念日間際のこの時期に読了しました。

    改めて、昭和天皇は日本という国の現代史そのものを体現する偉大な存在であります。
    日本史の教科書よりもこれ一冊を読み込んだほうがよっぽど日本現代史の理解を深めることができましょう。

  • 昭和天皇の実像に迫る本なのだと思うが、確信は持てない。右翼や陸軍は、天皇の意思を無視してもいいと本当に考えていたのか?それはどんな根拠によるものなのか。自分たちが正義であり、せいきを実現する為には何をしてもいいと考えていたのか?だとすれば、無責任かつ極めて独善的組織であり、そのような存在を許してしまった原因を徹底的に排除しなければならない。

  • 文字通り、昭和天皇の伝記。
    昭和初期、教育や輔弼が不十分であったことが遠因となり、対応の誤りのよって軍部の信頼を得られず、軍部の独走を許。戦後は、初期において、円熟した政治家として日本を導き、後期は象徴として戦争への道義的責任を果たしてきた。
    戦前から戦後初期の昭和天皇像を始めて知ることができた。その姿は後年の姿だけからは想像ができない。
    一次資料による記述は信頼できるものと推察される。本著者の他の著作も読んでみたい。

  • 昭和天皇の人物像を通した昭和史は非常に興味深い。

  • 戦前から戦後にかけて正に激動の昭和の時代を生きてきた人である。 昭和天皇は張作霖爆殺事件での反動や二・二六事件で鎮圧を命じても直ちに陸軍は動いてくれなかった恐怖の経験等が重なり、また、立憲国家を放棄することにより生じる恐れのある革命やクーデターを避けるためにも、開戦は立憲君主的行動で決定する道を選んだ。しかしながらどうしてこんな戦争が起きてしまったのか、という問題を悔恨をこめて、終生煩悶し続けたのである。心休まるときは無かったのかもしれない。本書読了日は奇しくも昭和天皇が崩御してから23年目にあたる。(読み応えのある良書。時をおいて再読したい。)

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著者プロフィール

1952年 福井県に生まれる
1981年 京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学
    名古屋大学文学部助教授、京都大学大学院法学研究科教授などを経て
現 在 京都大学名誉教授、博士(文学)

著 書
『大正デモクラシーと政党政治』(山川出版社、1987年)
『立憲国家の確立と伊藤博文』(吉川弘文館、1999年)
『政党政治と天皇』(講談社、2002年、講談社学術文庫、2010年)
『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』(名古屋大学出版会、2005年)
『明治天皇』(ミネルヴァ書房、2006年)
『山県有朋』(文春新書、2009年)
『伊藤博文』(講談社、2009年、講談社学術文庫、2015年)
『昭和天皇伝』(文藝春秋、2011年、文春文庫、2014年、司馬遼太郎賞)
『原敬』上・下巻(講談社、2014年)
『元老』(中公新書、2016年)
『「大京都」の誕生』(ミネルヴァ書房、2018年)
『大隈重信』上・下巻(中公新書、2019年)
『最も期待された皇族東久邇宮』(千倉書房、2021年)
『東久邇宮の太平洋戦争と戦後』(ミネルヴァ書房、2021年)他多数

「2023年 『維新の政治と明治天皇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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