偉い人ほどすぐ逃げる

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163913759

作品紹介・あらすじ

「このまま忘れてもらおう」作戦に惑わされない。

偉い人が嘘をついて真っ先に逃げ出し、監視しあう空気と共に「逆らうのは良くないよね」ムードが社会に蔓延。「それどころではない」のに五輪中止が即断されず、言葉の劣化はますます加速。身内に甘いメディア、届かないアベノマスクを待ち続ける私……これでいいのか?

このところ、俺は偉いんだぞ、と叫びながらこっちに向かってくるのではなく、そう叫びながら逃げていく姿ばかりが目に入る。そんな社会を活写したところ、こんな一冊に仕上がった。(「あとがき」より)

第1章 偉い人が逃げる ―忘れてもらうための政治
第2章 人間が潰される ―やったもん勝ち社会
第3章 五輪を止める ―優先され続けた祭典
第4章 劣化する言葉 ー「分断」に逃げる前に
第5章 メディアの無責任 ―まだ偉いと思っている

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    「今や時事問題って、問題点を刺して検証する前に、気づいたら溶けて無くなっているのだ」

    本書の言葉どおりのことが、まさに今起こっている。

    例えば東京五輪。開催までの間に数々の問題が発覚し、そのたび関係者の辞任が繰り返された。国民の感情が麻痺し、「そんな細かいこと気にすんなよ」「もうどうでもいいよ」という声が何度も聞こえた。
    しかし、政権は相変わらず、「東京五輪はやります。みなさんいい加減納得してください」と言う論調である。必要なのは「開催か中止か」の議論にも関わらず、国民の意見を議論の俎上にも上がらせずに、「どうせやるなら私たちにできることを精いっぱいやろう」という方向に誘導している。

    こうして7月23日、東京五輪が開幕した。コロナの蔓延を抑えながら無事全競技終了できるかは、パラリンピックが閉会する9月5日まで分からない。
    だが東京五輪は、確実に成功を約束されている。それは終了後、「ね、やってよかったでしょ?」という論調のもと、開催に至るまでの犠牲と今後の展望は検証されず、「コロナ禍で開催した」という実績だけが報道され、「無事成功」というカテゴリに丸め込まれるのが確定しているからだ。そして、誰のためだか分からない「レガシー」という言葉が強調されて、「東京五輪は成功した」という歴史が後世に受け継がれていくのだと思う。
    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――
    【メモ】
    1 政権
    国家を揺るがす問題であっても、また別の問題が浮上してくれば、その前の問題がそのまま放置されるようになった。どんな悪事にも、いつまでやってんの、という声が必ず向かう。向かう先が、悪事を働いた権力者ではなく、なぜか、追求する側なのだ。

    何も政治的な決断をしていないのに10ポイント近く支持率が上がった経験を、これからのオリンピック、大阪万博、リニア新幹線開通などに活かそうとするはず。騒いで、興奮させて、何かを紐づけして、自由に動かしていく。

    問題が発覚する→どういうことですかと問い詰められる→逃げる→国民がすごく怒る→そのうち忘れ始める→一部の国民が怒り続ける→大体の国民が忘れる→問い詰められていたほうが胸をなでおろす…。
    今や時事問題って、問題点を刺して検証する前に、気づいたら溶けて無くなっているのだ。

    今、ネットでは日替わりのように、いや、毎時間ごとに、誰かしらが集中的に叩かれている。このところ、自分のそばに「わかる人はわかってくれる」を用意して、元々の言動からの回避に使うケースが増えてきた。
    突然批判を浴びた当事者やメディアのそばにいる人たちが、「いきなり騒いでる人たちったら、この界隈のルールや空気を知らないくせに、根こそぎ批判ってどうなのよ」と回避する流れである。おしなべてセコい。

    この国に女性が活躍できる社会が到達しないかが端的に見えてくる。政治家がさほど重要な問題だと思っておらず、先延ばしにできると思っている。ひとまず言ってみて、あとで適当に取り繕うことができる。コロナ禍のもとで毎日のように思ってきたことではあるのだが、改めて、本当に無責任な人たちである。


    2 五輪
    なぜ彼らは、文化の輸出や拡散方法を練り上げようとする際、培ってきた文化の変遷を丁寧に見渡すのではなく、とにもかくにも日本人の心を問うて、ピンポイントで好みの周辺を引っ張り出し、「神」や「血」等々で塗りたくろうとするのだろう。

    五輪を真っ向から反対する行為が咎められる、これぞまさしく世の中の多くが「どうせやるなら派」になった証左である。

    東日本大震災から8年が経過するのに合わせてNHKがおこなった被災地に住む人たちへのアンケートでは、「復興五輪」との言い方が復興の後押しになるかどうかとの問いに、後押しになると考えている人はわずか14.3%しかいない。「『復興五輪』は誘致名目にすぎない」「経済効果に期待が持てない」「復興のための工事が遅れる」を、5割以上の人が理由として挙げた。
    大きなプロジェクトである五輪をひとつひとつ動かしていくときに、「で、これ、何かしら復興と絡められないかな?」という後出しのこじつけが重ねられる。怪しい金儲けを隠蔽するコーティングとして「復興」が使われている。今回は「復興」という言葉で、2週間程度の宴が強引に「成功した!」との結論に持ち込まれるのだろう。

    ほぼすべてのイベントが延期・中止となり、ライブハウスや映画館などの文化施設は存続そのものが危ぶまれている。こういう事態に陥ったとき、選手の声を特別視する必要はない。
    スポーツ団体から、次なる五輪に向けた言葉は出てきても、「社会に寄り添う」という観点は出てこない。


    3 劣化する言葉
    発言した後に世間の反応が芳しくないと察知した政治家が「真意とは異なる」「本意ではない」と、自分の発言を崩さぬまま、受け取るみなさんがちゃんと理解してくれないから困っちゃうよね、と渋々取り下げるのが、与野党を問わず永田町のブームとなっているのならばむなしい。

    昨今、ポジティブな言動がまるごと礼賛され、ネガティブな言動がまるごと批判される。ボクが信じているモノを信じてくれない人を信じない、と区分けする人を信じることなんてできない。

    坂上忍が「毒舌」と称される場面を未だに見かけるが、とっても乱雑な括りであって、これまで毒舌と語られてきた人たちまで軽視されかねないのでやめてほしいと切に願う。彼は目下の人間に厳しく、目上の人間に従う。坂上は目下の人間にものすごく厳しい。この「ものすごく」の部分を「毒舌」と変換されると、毒舌という状態がまるごと疑われてしまう。


    4 メディアの無責任
    乱雑な文句や皮肉や批判が溢れた結果、ただそれを向けることに対して、無駄に勇気が求められていやしないか。緩慢な悪口の連呼によって、文句や皮肉や批判を投じる行為のハードルが上がっていることについて、嘆かわしく思いたい。

    出版界は身内に甘い。早稲田大学文学学術院の元大学院生の女性が、文芸評論家の渡部直己から繰り返しセクハラを受けた件に、厳しく指摘する声がどうにも弱い。
    ハラスメントを放置し、過度な保身で、女性の訴えを繰り返し踏み潰そうとした組織の結託が明らかになった。
    政界、文学界、スポーツ界は、どこかに特権意識が残っている。偉い人の悪事を追求するというのは、組織を健全に保つための最低条件ではないかと思うのだが、偉い人がやったことだからしょうがない、という悪しきテーゼが、衒いもなく黙認されている。

    「今の世の中、黒か白か、○か✕かを決めて、一斉に叩きのめすようなことばかりです。誰かがバッシングされたと思ったら、マスコミは早速次のターゲットを探している。正義と悪というのは、そんなに簡単に区分けできるものでしょうか。一方の声だけを聞いて判断するのではなく、もう一方の声を聞く必要があります。みんなが悪いと思ったからといって、袋叩きにしていいのでしょうか」
    あちこちでこの手の見解を見かける。おっしゃる通りだ。おっしゃる通りなのだけれど、これが抜け道に使われていると気づく必要もあるのではないか。批判の内容は問われることなく、批判が大きなうねりになっている様子についてのみ取り上げられ、取り急ぎ「正義の暴走」などと処理されてしまう。

  • 武田砂鉄は、1日にどれだけの文章を読んでいるのだろうか。さまざまな話題と引き出しの多さに驚く。皮肉の効いた言い回しが冴えている。語彙の多さとピタッとくる言葉遣いは素晴らしいと思う。
    なんとなくスルーしてしまいそうな言葉遣いにも敏感で、わたしはもう忘れてた、言われてみればそんなことあったよな、ということをしっかり思い出させてくれる。しかもきちんとした裏付きだ。毎月「プレミアムフライデー」も今でも、きちんと追ってくれている。
    そういうバイタリティあふれる批評精神を見習いたい。

  •  少し読みにくい文章だが、内容が面白くてどんどん読み進められる。100分de名著で著者を知りタイトルで手に取ったが、日頃感じているモヤモヤがきちんと言語化されていたので、私はこう思っていたんだな、と気持ちを確認できた。斜に構えて冷笑したり、ポジティブに評価しよう、も悪いとは言わないが、怒るべき時には怒らなくてはいけない。アベノマスクや素手でトイレ掃除の回が面白かった。

  • 堀内勉:『偉い人ほどすぐ逃げる』責任を取らない「偉い人」 日本社会「劣化」の本質(HONZ 2021年07月24日) https://honz.jp/articles/-/46046

  • 【「このまま忘れてもらおう」作戦に惑わされない。】偉い人が嘘をついて逃げ出し、国民は監視され、言葉の劣化が加速し、メディアは無責任……。「現代の危うさ」に警鐘を鳴らす一冊。

  • 2016年から2020年まで、「文學界」に連載されたコラムをカテゴリー分けして出版。改めて、5年間に色々なことがあり、ほとんどがうやむやのままであることが、よく分かる。

    嘘と言い訳、答えない、はぐらかし、騒ぎが忘れられるまでやり過ごす、もしかすると新たな騒ぎを起こして、目先を変える手段に出たこともあるのでは?

    興味深いコラムが多いが、さすがに一冊、ずっと続くと、グッタリしてくる。それでは、当事者の思うツボなのか。2/3くらいで完読は断念。

  • この本を読み終えた今日、2021/8/5、またしても一体何度目かと言う緊急事態宣言下。昨日の感染者数は全国で14,200人(東京4,166人の他、十数県で過去最多)。菅首相は、重症患者以外は自宅療養を基本とする、と新たな方針を打ち出しいている。「国民の命と健康を守るため」だそうだ。現場の医師たちが、「この病気は急に容体が変わることがある、重症化するかしないかを自宅療養で見分けるのは難しい、救える命が救えないくなる可能性が高い」と言っているのに、だ。
    それでも、オリンピックは相変わらず行われている。

    「偉い人ほどすぐ逃げる」なんて秀逸なタイトルなんだろう、と笑ってしまいながら、読み進めていた本書。
    いつもながらの冷静な視線と、時には皮肉たっぷりの指摘に、痛快な気持ちすら持ちながら読んでいたのだが。
    ここ数日の状況に、段々笑っている場合じゃないな、と思い、読み終わった時には、暗澹たる気持ちになってしまう。
    だって、「偉い人は逃げ」ちゃうんですよ。
    「このまま忘れてしまう」作戦に乗せられて、史上最多のメダル獲得に浮かれまくって、次の選挙でも「偉い人」たちは特にダメージを受けることなく、またこれから先も「俺は偉いんだぞ、と叫びながら逃げていく」んですよ。

  • 著者がタモリ倶楽部に出て以来、注目していたが、本作の主題は秀逸だと思う。「こんまり」とは真逆に居たい、との発言に激しく同意。

  • 目に入った。
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    「偉い人」の定義は人それぞれで、そもそも、民主主義国家における政治家は、自分たちの代わりに政治の仕事をしてくれている人であって、決して「偉い人」ではない。だが、このところ、俺は偉いんだぞ、と叫びながらこっちに向かってくるのではなく、そう叫びながら逃げていく姿ばかりが目に入る。 ー 259ページ
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  • 2016年からの『文學界』で連載している「時事殺し」から選びカテゴリー分けをして掲載されている。
    安倍菅政権で起こった、理不尽だったり理解不能だったり説明しないままになっている出来事を思い出すので、また怒りが湧いてくる。
    しかし思い出して怒って声を上げることをしなければ権力者の思うツボだ。そのことを繰り返し思い出させてくれる。
    各章の最初にその章立てをした理由となるような解説があるのだが、それがまた秀逸。

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著者プロフィール

1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年よりライターに。近年ではラジオパーソナリティーも務める。
『紋切型社会――言葉で固まる現代社会を解きほぐす』(朝日出版社)で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞などを受賞。他の著書に『日本の気配』(晶文社、のちにちくま文庫)、『マチズモを削り取れ』(集英社)などがある。

「2022年 『べつに怒ってない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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