万葉と沙羅

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 35
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163914541

作品紹介・あらすじ

中学で登校拒否になった沙羅は、一年遅れで入学した通信制の高校で
幼馴染だった万葉に再会。読書好きの万葉に読書の楽しさを教えられ、
自分なりに本を読むように。一方で、大学に進学した万葉は、
叔父さんの古本屋を手伝いながらも将来に迷いを感じていた――。

宮沢賢治「やまなし」、伊藤計劃「ハーモニー」、福永武彦「草の花」など、
実際の本をあげながら描く瑞々しい連作短編集。

感想・レビュー・書評

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  • 面白かったです。
    万葉と沙羅という共に文学とゆかりの深い名前を持つ幼なじみのふたりが、本を媒介にして、お互いに影響を与えつつ、悩みながら、もがく様を描いた、ゆったりした空気感の連作短編集。

    芸能人とか有名人の書いた小説って、読んでいるときに書いた人の顔が浮かんできそうで苦手だったけど、この作品は中江さんじゃなく、万葉くんや沙羅ちゃんの(私が想像した)顔がちゃんと浮かんできて良かったです。

    舞台が通信制高校や通信制大学など、イレギュラーな舞台なのも新鮮で良いな―――と思ったらどちらも中江さん自身が通ってきた進路なんですね。(Wikiで調べた)

    実は最初は沙羅ちゃんのキャラクターが苦手で、こりゃ辛いかも、と思っていたのだけれど、それにも理由があって―――というところからだんだんと引き込まれていきました。

    本を読まなかった沙羅ちゃんが徐々に読書に目覚めていく過程を微笑ましく読みつつ、彼女や万葉くんの悩みに寄り添って一緒に考えていると、わたしももしかしたらふたりとおんなじとこにいるのかなあなんて思いもしてきました。中年だけど。

  • 【新作小説発売のお知らせ】 - Yuri Nakae Official Website
    https://yuri-nakae.com/?p=636

    『万葉と沙羅』中江有里 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163914541

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      ◆本と言葉でつながる2人
      [評]若松英輔(批評家・随筆家)
      万葉と沙羅 中江有里著 :東京新聞 TOKYO Web
      https://www....
      ◆本と言葉でつながる2人
      [評]若松英輔(批評家・随筆家)
      万葉と沙羅 中江有里著 :東京新聞 TOKYO Web
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/145064?rct=shohyo
      2021/11/28
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「万葉と沙羅」中江有里著|日刊ゲンダイDIGITAL
      https://www.nikkan-gendai.com/articles/view...
      「万葉と沙羅」中江有里著|日刊ゲンダイDIGITAL
      https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/298020
      2021/11/30
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      40歳で通信制大学を卒業した中江有里が思い出す児玉清さんの言葉「人間は50から。そこから努力した人が伸びる」 | 文春オンライン
      https...
      40歳で通信制大学を卒業した中江有里が思い出す児玉清さんの言葉「人間は50から。そこから努力した人が伸びる」 | 文春オンライン
      https://bunshun.jp/articles/-/51777
      2022/02/07
  • 本には答えは書いてないけど、いつもそばにいてくれて寄り添ってくれる存在でもあるんだよね。
    過去も未来もこれからもたくさんの本が出版される、そのくらい自由に表現してもいいのだ。みんなと一緒にする必要もなく、自分だけの表現をして生きていってもいいんだよね。
    まわり道が一番近いと中江有里さんが表現したことに共感しました。
    みんな近道をみつけようと…それをみつけければ幸せだと勘違いしてる!
    ワクワクした目標をみつけていきたいですね。

    私は本屋にいき大量の本を眺めて、「な〜んだ、自由に生きていいんだ」と思うようにしてます。

    作品登場したみんなが、自分らしい時間を過ごすことを祈って…

    ぜひ〜

  • 文章が稚拙すぎる。
    中学生が小説を書くことを思い立って書いてみたが、なかなか小説の形にならずに「小説ってどうやって書くんだろう?」と悩んでいる段階の文章だ。
    「今日はこうしてああしてこうしました。楽しかったです。」というような小学生の作文ともほとんど変わらない。
    出来事を羅列しているだけなので情景描写がないためリアル感がなく、心情描写がないのでどうしてその人物がその行動に至ったかの説得力がない。
    書くのが難しいなら無理に三人称小説にせずに、一人称小説にしてせめて人物の内面でも描いたほうがいい。

    例えば万葉と沙羅の再会のシーン。
    『「その本、面白いの?」
    「万葉君ってそんなに無口だったっけ」
    「よかったら、ライン教えてよ」
    万葉は一言も答えずパック牛乳を飲み干すと、すばやく立ち上がった。』
    話しかけているのはすべて沙羅で、万葉に相手にしてもらえないもらえない状況だ。
    このシーンで言いたいのはつまり「万葉が心を開いてくれなかった」ということだが、それをそのまま書くのはせいぜい子供向けの絵本くらいで、そういう状況を読み取らせるように描写をするのが小説だ。
    沙羅が話しかける時も三つのセリフを立て続けに喋っているわけはないから、その間の沙羅の表情の変化とか過去の話とかいくらでも書くことはあるはずだ。
    私だったら、最初に無視された後は沙羅がむっとする様子を書く。
    「無口だったっけ」の後には幼いころの万葉がどれだけ快活な子供であったかという描写を入れるし、「それでもせっかく再会したのだから仲良くしたい」という今後の交流に対する希望を込めた態度を書く。
    このシーンは一例に過ぎず、こういう不足した描写が終始続く。

    三章の「いつか来た道」はかなり主観に近い描写になっていて他の章と比べると読める作品になってはいるが、それでもわかりづらいと感じる。
    この三章は全面改稿しているそうで、そのおかげで出来が多少いいのだが、そのせいで逆にほかの章との差がすごい。

    あと、ほかの小説の作品名を出すだけでビブリオものの顔をするのをやめてほしい。
    その作品が小説内に深く関わってこないのなら、わざわざ名前を挙げるべきではない。
    ある人物がその本を読んだとか好きだとか言う程度では、キャラ付けにもならない。

    ほんのわずかの作品への触れ方も「ごんぎつねは幸せだったんじゃないか」なんていう陳腐な感想だったり、『ハーモニー』に触発されたのか同性愛に目覚めるキャラクターがいたりで、読んでいて共感性羞恥を覚えた。

    著者のことは存じ上げなかったが、役者やら歌手やらいろいろされている方らしく、つまり本書は芸能人本ということだ。

  • 私たちは本でつながれる。通信制の高校で再開した幼馴染の沙羅と万葉。万葉は、最初は打ち解けなかったけど、沙羅が万葉の働く古本屋におしかけて、本について教えて!と話し続けるうちに打ち解けて、学校にも佑月という友だちもできて、「ごんぎつね」、遠藤周作「砂の城」、伊藤計劃「ハーモニー」、福永武彦「草の花」「廃市」、マリー・ホール・エッツの「わたしとあそんで」などの本の話を通じて、気持ちをわかちあい、考えを伝えあい、最後は、沙羅も万葉もかすかに本に関わることで生きていこうと思えるまでになったところまでが描かれる。本好きとしては、同じ本のことで盛り上がれるのは至福だし、誰かとわかちあいたい気持ちも貴重。紆余曲折はありつつも、それがみずみずしく描かれていてぐっときました。「草の花」「廃市」「砂の城」あたりは読んでみたく思った。「ハーモニー」「ごんぎつね」は読み返したくなった。

  • 通信制高校に一年遅れで入学した沙羅は、かつて隣に住んでいた幼なじみ・万葉に再会する。
    他者とのつながりを徹底的に遮断しようとしている万葉の心の扉を開けたのは、本。
    ほとんど本を読まない沙羅は、万葉と会話をしたいがために、慣れない読書を始める。
    それは万葉との世界だけでなく、沙羅の世界も少しずつ変えていき…。

    沙羅も万葉も、世間一般がいう普通の世界とのつながりが少し薄い。
    でもそれでよいともそれがよいとも思ってなくて、どちらももがいている。
    世間は、回り道を是としない傾向があるけれど、回り道をしないとだめな時もあるよね。
    いつか二人が、あんな時もあったね、何ぐじゃぐじゃしてたんだろうね、と笑って話せる時が来るといいな。


    収録作品:万葉と沙羅 あなたと私をつなぐもの いつか来た道 ひとりひとりのぼくら その先にある場所

  • 1年遅れで通信制高校に入学した沙羅が高校で幼なじみの万葉と再会したことで、本を読むことや本の感想を誰かと語り合うことの大切さに気づいていく物語。

    中学、高校、大学の年代に感じる生きづらさや人との距離の取りにくさも散りばめられていて色々と考えさせられる物語だった。
    中学時代にいじめを受けて不登校になった沙羅。それを受け入れてくれた沙羅の両親。母との死別や父の再婚など育ってきた環境から人と距離をおく癖がついた万葉。見守る万葉の叔父。
    登場する主要なパーツの人たちは、生き方に悩みながらも変わろうとしていく万葉と沙羅を含めて皆、優しいし繊細だなと感じる。
    沙羅の友人となった佑月、万葉の叔父の叔母・朝子、万葉が通信制大学で出会った"村長"や"社長"も人柄が良くて良い。

    ただ、万葉が通信制大学で出会った風見は登場人物のなかでも唯一の明確な悪意を向けてくる人で、登場した章「ひとりひとりのぼくら」は読んでいて苦しくなった。
    風見のように、真面目な人をバカにして、バカにした質問ばかり繰り出して、人を試すような真似をしてくる人は私の周りにもいたけれどそういう人は大嫌いでしかない私にとっては風見のことも大嫌いだと感じてしまった。
    章の最後で、風見がした"試すような真似"でも学べることがあったと万葉が感じていたり、直接悪口を言ってきた風見にお互いさまだからと腹が立たなかったりと、万葉が風見に対して嫌な印象を抱いていないことは分かってはいるが、"高校で周りから浮いたから学校辞めることになって引きこもりになって、親に泣かれたから大学にきた"という風見と同じように誰にだって色々な事情があるだろうに、勝手に"恵まれてる""真面目そう"と思い込んで嫌がらせしてくる奴ってどうなのって思ってしまった。
    やっぱり大嫌いな人を思い出す。
    風見の存在で、この小説の良さが損なわれてしまった。

  • 幼馴染の万葉と沙羅は、通信制の高校で再会する。
    沙羅は万葉を頼りにし、万葉は沙羅の前ではしっかりせねばと思っているのかな?と感じた。
    お互いにお互いを頼りにしながらも、大人に成長していく。

    様々な作品が作中に出てきた。

  • 新聞で紹介されていて気になったので読んでみたのですが、思っていたのとちょっと違った感じでした。
    勝手に万葉は明るくて沙羅をぐいぐい引っ張っていく人だと思っていたし、沙羅はもっと大人しい感じの子なのかと思っていました。
    万葉が目があった本はなるべく買うようにしていると言っていたけど、私もなるべくそうしたいと思っています。
    人だけではなく本との出合いも一期一会だと思います。

  • 住吉美紀さんのラジオ番組に中江さんがゲスト出演していて、読んでみようと思った。装丁画がかわいい。内容については今ひとつ説得力に欠けている気がした。

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著者プロフィール

俳優、作家、歌手。1973年大阪生まれ。89年芸能界にデビューし、数多くのTVドラマ、映画に出演。俳優業と並行して脚本の執筆を始め、2002年「納豆ウドン」で第23回「NHK大阪ラジオドラマ脚本懸賞」最高賞受賞。06年には第一作となる小説『結婚写真』を刊行し、小説、エッセイ、書評など文筆活動も積極的に行う。NHK-BS『週刊ブックレビュー』で長年司会を務めた。NHK朝の連続テレビ小説『走らんか!』ヒロイン、映画『学校』、『風の歌が聴きたい』などに出演。近著に『万葉と沙羅』(文藝春秋)、『残りものには、過去がある』(新潮文庫)、『水の月』(潮出版社)など。文化庁文化審議会委員。19年より歌手活動再開。

「2023年 『北條民雄『いのちの初夜』 2023年2月』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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