- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166600649
感想・レビュー・書評
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切れの良い辛口エッセイ、昭和前半の言葉、知識など参考になる。
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山本夏彦さんが「戦前」と「戦後」について、飄々と
ぶった斬っているインタビュー形式の一冊。
そのぶった斬りの中身は、こんな感じ。
"「戦前戦中まっ暗史観」は社会主義者が言いふら
したんです。"
"大正デモクラシーを僕は親不孝の公認、恋愛至上
主義、猫なで声、口語文などと翻訳している。"
映画を"憎んでいます。ドラマの本家は芝居です。
映画は夢まぼろしです。しかも全国一斉封切です。
人類の視野を一変させた元凶です。"
ただ、ぶった斬ると言っても、「シリアスな話は笑い
を帯びなければならないというのは私の持論」という
だけあって、その斬り方はユーモアにあふれた軽妙
なもの。
お約束通り話が脱線するのも、これまた楽しい。
それにしても、夏彦さんは博覧強記。
真の教養のある人というのは、夏彦さんのような人
を言うんだろうと思う。
一度その話ぶりを拝見してみたかった。 -
2016年7月21日、読了。
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戦前って真っ暗ではなかった、というのは大学のゼミの頃から感じていたのですが、より鮮やかな生活のイメージです。もちろん想像もつかないところも多いですけど。
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非常におもしろい。
私は辛口なものをおもしろいと思います。
また、聞き手との掛け合いもセンスがあります。
日本人かくのごとしですね。
前から思っていますし、
この本を読んでもおもいますが、
なんと日本人の節操のないことか。
そういう性質なんだろうと思います。
よく言えば過去にとらわれないということなのでしょうが。
山本さんの話を聞いて、
過去に戻れと言うつもりはありません。
ただ、私がいつも思うのは、
知らない幸せよりも
知って悩む方がおもしろいのではないかと思うのです。
もちろん私だって大正デモクラシーなんてしらないし
戦前どころか戦後だってわかりません。
まさに現在しかわからない人です。
それでも興味深く本を読むことができます。
ちょっと山本さんの本を追いかけようかと思えた一冊です。
従う必要はありません、
知って判断するだけです。
まず知りたい。 -
明治から大正、昭和初期にかけての文化をテーマに、著者が思い出や皮肉を語り、聞きて役の20代の女性がとぼけたり、なだめたりしながら話が展開する。
話し方や、やりとりはユーモアがあって面白いのだけれども、内容については正直言ってこの辺の文化に興味が無いとあんまり面白くなかった。
・大正(ご遠慮)デモクラシ
・活動写真
・郵便局
・牛鍋の時代
・ライスカレー
・寿司そば
・ラーメン
・教科書
・女学校
・きもの
・ふみ書きふり
・洋行
・菊竹六鼓と桐生悠々
あとがき -
まるでテーブルの向こうに夏彦さんがいて、怒られながら話を聴いているような錯覚にとらわれる。しかし、怒られながらもそれが気持ちよく、自身を、現代を考えさせられることばかり。
他所にて既出のお話をいくつかあるが、まったく芯がブレない立ち位置に感心する。一本の道を歩くことの大切さ、素晴らしさをかみしめていた。
こんなに鮮やかにものごとを斬りまくる人、やはり必要だ。 -
司は生のネタなんかなかった、新聞は記事を書くための準備を種取りと言った。転じて特ダネに。
お金の話に、戦時中にも飢えなかった話、芸者の話、新聞と言論の自由の話……
相変わらず多彩でいらっしゃる。
夏彦さん、次から次へと話題が尽きない。
受け答えのお嬢さんも「活発発地」の当意即妙で、ユーモアセンスばっちり。
「寿司ラーメン」の会なんか、喋りすぎてラーメンにたどりつかなかった。
山本氏「ラーメンは次回に回しましょう」
聞き手「のびちゃいますよ」
見事な返し。
夏彦さん、「僕は食欲の傍観者です。あまり空腹になりません」
なんていってるくせに、おやつが出たら
「あなたの皿にだけチョコレートがある。差別です(笑)」
「チョコレート色のクッキーです」
「それで、○○の……」
と、さらりと流す(笑)
あるいは、
「おやつですね。あ、そのふゆ柿(富有柿?)は僕のです」
「ようじは三本ありますよ。いただきましょう」
「ぼくは毎日昼飯を食べていないんです。飢えかつえています」
戦時中も食うに困らなかったとおっしゃる人が、なんと愛嬌のあることか(笑)
何故こんなにも夏彦さんの著書が読みたくなるのかと思えば、小野田先生にイメージが重なるのかも知れない。
話題が豊かで、話が尽きなくて、一人称が僕で……
話変わって、ランドセルの起源。
本日の読売新聞の夕刊です。
「通学に使われるようになったのは、明治中期の1885年。学習院が、中学3年以下の児童生徒に自分で荷物を持たせるため使うよう求めてからです。」
初めて、行間を読む……というか、背景が通じる、という感覚を味わった。
学習院ですよ。明治大正は華族だの、お金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんが通うころです。
荷物を自分で持つわけがない。小間使いが持つんです。
確か、東山千栄子さんの本に、そういうようなことが書いてあった。
(皇族の方と仲良くなっても、封筒の宛名書きには小間使いの名前を書いて出す気遣いをしなければいけない。それだけ、下々のものとのつきあいに気を使わなければならないのです……と。学校内では仲良く出来ても、外ではきちんとお辞儀をして挨拶するもの)