- Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166606559
作品紹介・あらすじ
明治期、東京に四大スラムが誕生。維新=革命の負の産物として出現した乞食、孤児、売春婦。かれらをどう救うか。渋沢栄一、賀川豊彦らの苦闘をたどる。近代裏面史の秀作。
感想・レビュー・書評
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明治維新後の困窮者がどのように社会、行政に受け入れられていったかを解説している。孤児院、児童自立支援施設、盲学校、老人ホーム、精神病院など、生きるのに困難な人たちを支える施設の源泉がよく分かる。
過酷な描写もあるが過度に感情をかき立てることを避けているように思えた。
p221からの「私」のエゴイズムに情を感じ、「公」の平等主義に冷酷さを感じるそのどうしようもなさに対する考察はとても印象深い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前に読了した「東京の下層社会」と同時期に購入したが、それとは別の視点で描かれている。前者が貧民窟などで自活する人々を題材にしているのに対し、本著は養育院などの『公』的施設を中心とした記述となっている。明治維新当時、『民』が積み立てた七分積金を『公』が搾取する様子。それに関わる歴史的人物を見ていると、何ともやるせない。貧民窟も公的施設も、貧者にとっては五十歩百歩なのか?現在の生活保護制度やホームレス対策の遅れは、やはり行政の怠慢なのかも。そうは言っても、救いを求める側にも問題がないとは言えないことは現実……
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明治維新後の混乱の中で東京に発生したスラム街について、政府がどのように対応しようとしたか、渋沢栄一が弱者を保護するための養育院の設立・維持に腐心してきたか、を辿る。
関東大震災によって、かつてのスラム街は一掃されたんですね。
世の中、知らないことがいっぱいある。 -
貧民シリーズの第1作目であり、他の作品に比べて非常に力が入っていると感じた。内容も大変興味深い。特に、維新政府の失政がリアルに記されている点が注目に値すると思う。
更に、本作で筆者は、争いの都度、多くの貧困層があらたに生まれていると主張しているが、私は、加えて貧困がまた争いを生むと考えている、 -
(欲しい!/新書)
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明治以降の貧困者対策は、政府当局による泥縄的なご都合主義に翻弄されながらも事業者・慈善家・文化人らが緩やかに連携する、「私」のネットワークによりどうにか維持されてきた。それらを担う養育院や感化院などの各種施設が転々と移配させられてきた歴史を追いながら、筆者はかつて農村に受け継がれてきた「施し」の文化の喪失と、こうした施設に代表される「公」なるものへの人々の嫌悪を憂う。
関東大震災と大空襲、そしてその後の発展による人とカネの大流入のために、ここで紹介されている東京の貧民街はその面影を殆ど残していないようだ。しかし、当時の街の姿と、日本人が忘れてしまったものに思いを巡らせながら、こうした地域をゆっくり歩いてみたいと思った。 -
明治維新以降の、日本の(主に東京の)貧民層について述べている本。養育院の変遷などをたどることで、近代日本における福祉(施設)政策の原点が知れる。
個人的には、終戦以降の話が知りたくて期待して読んだのだけど、そのへんの話はほとんどなくて残念だった(これは自分が悪いのだけど)。 -
帝都の貧民の実態、じゃなくて、養育院または社会福祉の歴史、を書いた本。
ちょっと知りたいことと違った… -
古本で購入。
慶応4年(1867)、官軍が迫る中で支配層・富裕層の離れた江戸はがらんどうになり、この大都市の機能は壊滅した。
そこに満ち満ちたのが乞食や浮浪者であり、江戸が東京と名を変え、「帝都」として新たな一歩を踏み出して後も改善されなかった。
と言うより、むしろ悪化したと言える。
自殺に心中、行き倒れ。餓死に捨て子に廃疾者。帝都に現出した貧民たちの地獄絵図に対処するため、そうしたひとりで生きてゆけぬ人々の救済施設として設立されたのが東京養育院である。
本書はこの東京養育院の創設と変遷を軸に、東京にできたスラムや貧民救済策をめぐる人々などを点描し、現在にまで続く“暗黒”行政を見ていく。
震災・戦災で様変わりしたせいもあってよくわからないが、かつての被差別民居住区やスラムといったものは、23区を中心に、割と東京のそこらへんにあった。
4大スラムのひとつに挙げられる新宿南町など、今はその影を見るべくもない大都会。新宿駅南口・新南口に挟まれた甲州街道、その街道の右側がスラムだったわけだ。今、誰がそんなことを知って歩いているだろう。
一方、新宿駅から都庁方面へ向かう通路の両側には、
「竹を斜めに切断したかたちの『椅子もどき』のものがならんで」
「すわれない椅子を置くことで、そこへ横にもなれないようにし」
てある。
著者はこれを行政によるいじめと発案者の心のいやらしさの表れと見ているが、正直なところ、僕はこうした措置を歓迎したい。
ホームレスたち浮浪者は、日常における異物だ。関わりたくないし、救う気なんぞない。
それが「市民」の偽らざる本音なのではないか(こういうことを言ったとき“とりあえず”「そんなことないよ!」などと宣う奴がいちばん嫌いなのだが)。
人々の日常から「異物」を排除して安心させるのは行政の務めだろう。しかし、それと同じく困窮者を救うのもまた行政の責務のはず。その二枚舌の両立ができていないからこそ、著者の批判する歪みが生まれるのじゃないか。
浮浪者と我ら「市民」の間に横たわる断絶の深さを再認識する本。
東京(ひいては日本)の抱えるひとつの闇の、地続きの歴史を知るのにいい。