- Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167256104
感想・レビュー・書評
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淡淡淡と三つ重ねたくなるような文章で綴られるのは、著者と横山やすしの人生が交差した数年間の話。"愛し"と書いて、"かなし"と読ませる気分。やすしの側に立ってみれば、きよしには悪役になってもらわざるを得なかったのか。その部分をフォローするかのような巻末解説でとんとん。
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(01)
近現代の漫才論としても愉快に読むことができる。エンタツ・アチャコ、ダイマル・ラケットといった先駆者の系譜に、やすし・きよしを置き、漫才ブームのツービート、紳助竜介といった次世代の漫才、あるいはコント55号の舞台までも視野に入れている。
著者と横山やすし(*02)の交流は、テレビがお茶の間の主導権を握っていた1960年代の終わり頃から始まり、映画「唐獅子株式会社」をめぐる濃密な関係を経て、96年にやすしの死までコンスタントに、そして不連続に続いている。
(02)
トラブルメーカーとしてのやすしが生々しく描かれる。天才として崇めすぎることもなく、悲劇的な生い立ちにも同情せず、いつもどこかで事件に巻き込まれているやすしを擁護することもない。批評の鋭さや観察眼の冴えといった天才的な漫才の素養を、著者の筆致を通してやすしから感じ取ることができる。数々の同業者や共演者建ち、例えば久米宏、上岡龍太郎、横山ノック、ビートたけし、萩本欽一、そして西川きよしといった面々との距離や関係からやすしの過剰(*03)を割り出すこともできるだろう。木村政雄や松岡由里子といった吉本興業の事務方、曾根中生や笠原和夫らの映画人、木村一八らの家族、色川武大や香川登枝緒、高信太郎といった事情通も登場し、やすしに色々な絡み方をしている。
(03)
喉のためにタバコの煙を嫌ったやすしがいて、それほど飲まなかったアルコールに溺れ、潰されていくやすしがいる。運転手を怒鳴りちらし、自らの運転では危険運転を繰り返し、ボートレースに突っ込み、右派よりの政治活動へと傾斜しようとする。生い立ちの泥沼やきよしとの確執を嘆くやすしは、しかし、見えていない。現在であれば「人間のクズ」と一笑に付されそうな不穏な存在でもある。その彼から繰り出される芸が、それゆえに、いかに優れていたかを推し量れよう。