三国志 第七巻 (文春文庫 み 19-26)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167259273

作品紹介・あらすじ

荊州において劉備の勢力が膨張している。孫権は本気で荊州を劉備に任せたのであろうか。北方にいる曹操の目には、両者は協調しているように映る。そして西方には馬超と韓遂が-熾烈な戦いを進める初老の曹操にとっていまや蔵月さえも障害になりつつある。建安二十一年、魏王となった曹操は、後継を誰にするか迷いの中にいた。

感想・レビュー・書評

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  • 着々と領土を広げる劉備。
    そして、周瑜亡きあとも安定した強さを見せる孫権。
    60歳を迎える曹操には、やはり彼らが脅威だったのだとは思う。
    でもどちらにも義はないと思うんだよなあ。
    他人が納めていた土地を奪い取って、勝手に領主になっているだけなんだから。

    特に劉備に関して言えば、反曹操勢力の強い徐州はともかく、自分が困っている時に助けてくれた人たちからかすめ取っているわけじゃん。
    なんであんなに『三国志演義』で聖人扱いされているのかわからん。

    ”住所の定まらないことを『荘子』は、鶉居(じゅんきょ)といい、それが聖人のありかたであるというのであるが、ここまでの劉備がまさにそれであった。ただし聖人にはなれず、模倣者に終わった。儒学における劣等意識が、儒学的世界に反抗する行動をえらばせたが、じつは劉備には内的な課題はなく、たとえば人が協同して生活するという規範づくりには無関心であったことは否定できず、他者の幸福のために働くということもせず、ひたすら曹操にさからうことで自己の存在をたしかめ、衆望を得てきた。”

    周瑜はもっと冷徹に劉備をぶった切る。
    ”周瑜の目には、劉備は悪運の強い英雄としか映らない。”

    しかし、その悪運が大事なんだよね。
    人物の出来としては周瑜の方がずっと上であったはずだが、彼は三十代半ばにして病で命を落とす。
    彼が圧勝した赤壁の地で病を得たことも、歴史の皮肉を感じずにはいられない。

    そして、周瑜が亡くなったことから、劉備一味は呉を振り回すことができるようになる。
    孫権の妹を劉備の妻にすることで姻戚として劉備を従えたつもりの孫権と、そんなつもりのさらさらない劉備。
    形だけの妻なんてどうでもよくて、孫権から預かった土地を自分のものとして、さらなる領土拡大を画策する。
    次なるターゲットは劉璋だ!

    これまでの劉備の思想「為さざるは、為すことにまされり」から一転、攻めの姿勢で…って、諸葛亮の存在が薄い。
    『三国志演義』では自身は動かなくても、水面下で八面六臂の大活躍をしていた気がするけど、史実には水面下が書かれていないので、こうなるわけか。
    でも、諸葛亮って、大局的に物事を見ることができるし、行政手腕は長けてると思うけど、軍師ではないよね。
    『兵法』はもちろん知っているだろうけれど、実際の戦いの場では机上の空論となったのではないかと思うのだけど。

    そして、蜀には人材がいない。
    だから諸葛亮にすべてが集中するしかない。
    でも、ちらっと出て来た諸葛謹(諸葛亮のお兄さん)を見ても、賢いかもしれないけど、図抜けた才能というほどのものは感じられず、つまり、人材がいないからこそ自分を高く売るために諸葛亮は劉備を選んだのかもしれないと思った次第。
    いろいろと姑息な人にしか今のところみえない。

    なぜ曹操は魏の王どまりで、皇帝にならなかったのか。
    これが今まで不思議だったのだけど、周の文王に倣ったのね。
    初代は王。
    つまり皇帝をたて、皇帝の下で良臣として存在し、二代目が皇帝を名乗る。

    賢帝が暗愚かどうかはわからないけれど、少なくとも皇后が反曹操の動きをした時、自分の保身しか考えなかったという点で、大きなマイナス。
    自分の妻すら守れない人に、縁もゆかりもない民衆を守れますか?
    ちなみに劉備は妻も子もさくっと見捨てます。

  • 劉備の入蜀、張魯の魏への降伏などを描く。
    龐統の死など、何かすべてが淡々と語られている感あり。

  • あくまでも『正史』準拠の淡々とした展開が新鮮で好感を覚える。冒頭の劉巴のエピソードが面白い。

  • このころの周瑜は辛くて見てられないみたいなところがある。
    間を持たせたり感動的な演出をしたりすることなくサクサクころしていく宮城谷三国志だけど、たまにしみじみとしてしまう記述があるのが救いかな。

    劉備はもう失うことができないから、ひとつひとつの失策が大きく響いてくる。
    長坂で大逃亡を繰り広げてた頃が楽しさ(?)のピークだったかも。

    孫権贔屓で読んでても合肥の遼来来は痛快。
    曹操の孫権に対する高評価はなんだか面映ゆい。
    じゅんいくエピソードは有名だからいいよね?と言わんばかりのあっさりさ加減だったね……

  • 7巻は、三国志の一番美味なあたりですが、宮城谷さんの味付けで、おいしいです。

    劉備の成都攻略。使者としての簡蕹の存在感。

    合肥防衛戦の張遼と李典の奮戦。

    戦場での曹操と韓遂のやり取り。

    曹操が「四つの目に二つの口があるわけではない。」と言うところ。

    やっぱり、胸が弾みます。

  •  劉備とは何者か、第七巻ではその問いかけが重要な意味を持つ。華北にいた頃は呂布や曹操に勝てず、逃げ回ってばかりいた流浪の将にも、荊州では妙な後光が差し始める。赤壁において彼は呉の属将だったのか、それとも同盟者だったのか。この定義はその後の荊州南部と蜀の支配を正当化できるかどうかを判定する上で重要なポイントだが、宮城谷さんは正直に筆を進めていく。その行為は武力侵攻だったかもしれない。しかし、単に武力に勝っていたから地を得たのではない。3日で得られたはずの成都に300日を費やす。そういう姿に、いつの間にか大人の徳が漂っている。劉備の輝きが増す分、大人の態度に徹せない孫権は分が悪い。
     南方の王者たちの成長もさることながら、北方の支配者として地歩を固めていく曹操も見逃せない。曹操は西方で、馬超と韓遂の連合軍に負けずに勝つ戦いを演じる。篭の鳥になった天子は無益な抵抗を試みるが、衰微した天子と華北を経営する曹操と、どちらに徳があるのだろうか、という筆者の自問が始まる。彼は魏王に登る。既に60近い曹操が残された生涯でどこまで高みに登るのか、それもまた楽しみだ。

  • 丁斐の小悪党っぷりの話が面白かったです。

  • 劉備、いよいと蜀に到る。曹操は、魏王となる。
    合肥の戦いは、よくしらなかったが、孫権の大軍を相手に張遼、楽進、李典が奮闘するシーンは震えた。

  • 文章の中身は全く文句なく素晴らしいのですが、巻頭部分にある地図が余りにも貧弱で隔靴掻痒の感ありです。例えば、合肥という地名は記されておらず、「三国志事典」(岩波ジュニア新書)ではじめてわかりました。でも、公安という所は両書とも記載されていません。それに、デジタル化の時代ですから、地名と人名の索引は別巻として発行して欲しいものです。その時に是非とも充実した地図も掲載していただきたい願っております。これほどの力作を活かすためにもお願いしたいと思います。

  • 劉備の冷徹というか超然的な判断力については作者の分析が的を得てる気がする。

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著者プロフィール

宮城谷昌光
1945(昭和20)年、愛知県蒲郡市生れ。早稲田大学文学部卒業。出版社勤務のかたわら立原正秋に師事し、創作を始める。91(平成3)年『天空の舟』で新田次郎文学賞、『夏姫春秋』で直木賞を受賞。94年、『重耳』で芸術選奨文部大臣賞、2000年、第三回司馬遼太郎賞、01年『子産』で吉川英治文学賞、04年菊池寛賞を受賞。同年『宮城谷昌光全集』全21巻(文藝春秋)が完結した。他の著書に『奇貨居くべし』『三国志』『草原の風』『劉邦』『呉越春秋 湖底の城』など多数。

「2022年 『馬上の星 小説・馬援伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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