- Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167502027
作品紹介・あらすじ
不意に部屋に侵入してきたTVピープル。詩を読むようにひとりごとを言う若者。男にとても犯されやすいという特性をもつ美しい女性建築家。17日間一睡もできず、さらに目が冴えている女。-それぞれが謎をかけてくるような、怖くて、奇妙な世界をつくりだす。作家の新しい到達点を示す、魅惑にみちた六つの短篇。
感想・レビュー・書評
-
「TVピープル」は、日曜日の夕方、3人のTVピープルが僕の部屋にやってきてテレビを運び込むという、首をひねりたくなるような不思議な話。
「我らの時代のフォークロア」と、「眠り」が面白かった。
この先何が起こるのだろうと期待しながら読み進めるのだけれど、結局何も起こらず、決定的なオチもなく、そのことがかえってこちらをホッとさせる。
村上作品は、すべてが現実離れしているようだけど、意外と現実を鋭い目で見てるのではと思える部分がある。
だからこそ共感できるし、不可解だけど面白い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1989〜90年発表の短編をまとめた作品集。
長編へ繋がる布石‥‥プロトタイプやアイデアや試行錯誤を発見できるのは面白い。 -
むらかみさん二つ目。息子の本棚から読みやすそうなこれを選ぶ。
TVピープル、わけがわからなかった。きっと電気屋さんが三人係りでテレビを納品に来たのだろう、ぐらいに思ったのだが違ったようだ。難解そのもの。後であれこれ考える。
我らの時代のフォークロアは強烈だった。ミスタークリーンが過去を回想する。確固たる意志で拒み続ける彼女。愛し合っているのに結ばれないふたり。消化不良だ。気鬱な気分だ。
加納クレタは、ますますわからなくなるが、奇想天外で面白い。ゾンビも。
一番は「眠り」だ。主人公の女性は、ずっと眠れていないそうだ。だけど周りは気づかない。つらつらと綴れた心境がわかることも多くて、自分に似てるところもあって。
一見、平穏ななんの不自由もない生活に身を委ねる女性だが・・最後のほうに太字でこう綴っている。
「何かが間違っている」と。
読み手によって、取り方は違ってくると思う。女性がノイローゼなのは間違いないと思った。ちょっと頭が痛くなった。 -
「自我とか意識とか」
80年代末に書かれたダークな短編たち。
個人的に村上春樹の短編はもう4、5冊目になるけど、本作は全体的にダークな印象。
後に発表される『ねじまき鳥クロニクル』とか『アフターダーク』とかに続きそうな空気が全面に感じられる。
村上春樹は自我/自己とか意識/無意識みたいな対比がちょくちょく出てくる。
本作もそんな対比の中で揺り動かされる主人公たちがポップの殻を被って描かれている。でも作中に見え隠れする闇を感じずにはいられないんだよなぁ。
表題にもなってるTVピープルなんて特にそう。
奴らは大胆に姿を現しているのに、それがあたかも、
「いや、私らなんて全然無害な存在なんですよぉ」って感じでむっつり出てくる。
それが腹立たしくもおもしろい。
その片方で自分の世界と照らし合わせて読んだらちょっと怖くもある。
悪いやつが堂々と表通りを闊歩しているのにそれが自然になってて、しかもみんな見向きもしない、ってのは妙に落ち着かないよね。
そんなざわざわした気持ちにさせてくれる短編たち。
どこか愛おしさを感じるのは村上マジックのせいだけど。
日常に飽き飽きしてる人ほど、どこか引っかかるものがあるはず。ぜひご一読を。 -
TVピープル
自分だけが気づいている世界のちょっとした違和感がどんどん増幅して行って、ついには平穏な日常が奪われる。しかし、そのことに気づいた時にはもう遅くて、日常は帰ってこない。なぜならもう駄目だから。
TVピープルがなんで小さいのか、なんでテレビを運び込むだけなのか、妻はどうしていなくなったのか、疑問点はたくさんあるけれどなによりも哀しい話として読んだ。そもそもTVピープルって悪なるものなのかな?そこもはっきりしないところが春樹っぽい。
我らの時代のフォークロア
人生のある一時点でしか成立し得ない男女のみずみずしいケミストリーみたいなものが年月を経て、失われるのを見るとなんとも言えない寂寞とした思いに包まれる。初恋の人に久々に会って幻滅したみたいな話とはまた訳が違う物悲しさ。彼女との関係性という視点で自分の人生を相対化してみた時にどこにも辿り着かない、虚無感だけが残ったのだろう。
眠り
全体として不気味な雰囲気が漂う。私が子供につける視線がなんとも言えず悲しい。「結局は他人なんだ、と私は思った。この子は大きくなったって、私の気持ちなんか絶対に理解しないだろうなと私は思った。」
究極的には人生は孤独だということに気づき、自分の冷たさに驚きつつも孤独という真理自体は揺らぐことはない。
眠るという行為が単調にすぎていく人生の意味をある種曖昧に「してくれる」。眠るという行為無くしては人間の意識は極端に先鋭化する。そして、今まで無思考に自明としてきた数多くのものが自明には思えなくなってくる。 -
村上春樹の短篇は、物語が中途半端なところで終わることが多いため、消化不良に陥ることが大半なんだよなぁ。
でも、時たま、とても良い短篇作品に出合うことがある。
そういった自分にとっての当たりを見つけるために、ちょくちょく短編作品を読んでいるのだが、本著では、「眠り」がそれにあたる。
主人公は、夫と息子を持つ、ごく普通の主婦。或る時から、彼女は、一切の睡眠が不要となり、空いた時間を自分の時間に活用するようになる。
一見すると、とても幸福そうにみえるのだけど、”眠らなくてよい”ことへの不安、自分だけ”他人と異なること”への一種の背徳感、或いはそれに起因する夫や息子への蔑視、羨望が読みとれる。
そのためか、始まりから終わりまで、ずっと虚無感が漂っているのだ。
だが、この虚無感は「眠り」に限ったことではない。
本著の短篇で登場する人物は、自らの意志では変えることのできない何かに縛られている。そして、そういった抵抗できない何かに対する”むなしさ”や”やるせなさ”を終始一貫して感じた。
いままで読んだ著者の長篇では、主人公が抵抗できない何かに立ち向かっていた。
結果がどうであれ、強い意志を彼らは持ち合わせているのだ。
だけど、本著の人物はそれがない。まるで失敗作のようだ。
でも現実にあてはめてみると、それが(すなわち抵抗できない何かに屈服することが)、大多数を占めるのかもしれない。
そう考えると、長篇がある種の希望(いい言葉が思い付かない。希望とはまた違う気もするが…)を描く一方、本著は、長篇の底流に流れる影を描く、リアリスティックな叫びをあらわしているのかもしれない。 -
好き!!
少し世界が狂っていて、自分だけが違和感に気づいてる。すごい好きな世界観だった。
TVピープルは「存在することは知っているし、街中で見てもいるけど、居ないことにしている」そんな存在なのかな。現代社会でも似たようなことは無意識にしてる気がして、客観的に見てゾッとした。さいごは主人公もTVピープルになってしまったのかな。たから「もう駄目になってしまった」?
もう変質してしまった2人の全てが終わった後の話。
特に好きな話
・TVピープル
・我らの時代のフォークロア
・眠り -
村上春樹の中でも特にすきだった
眠りは、ちょうどこのまえ金縛りになったから想像力がむくむく膨らんでにやにやした 果てしなく深い覚醒した暗闇 そういう暗黒の中で永遠に覚醒しつづけてることかもしれない休息ではない死、なんてやばい
-
1990年2月20日 第三刷 再読
コーヒーとチョコレートと共に嗜む -
先日読んだ村上春樹氏へのインタビュー本にて川上氏が『TVピープル』に併録の『眠り』の女性の描き方が好きと言っていたので興味が湧き、だいぶ古い短編集だけど楽しんで読んだ。6編とも展開が予測出来なく、突拍子もないと思えなくもないのに読み進んでしまう。表題作も読み終えてみれば不思議な魅力。目当ての『眠り』はおもしろく読んでいたのにラスト後味悪いというかほんのり悪意を感じ、川上氏ならラストをどう描くのか、などと思ったりした。村上春樹氏の短編集は2冊くらい読んでいるけれど解説無いんだ、と本作で気付いた。