人間は笑う葦である (文春文庫 つ 11-3)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167588038

感想・レビュー・書評

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  • 著者ならではの、なんとも馬鹿馬鹿しいエッセーの数々。

    哲学者っていつもこんなどうでもいいことに思い悩んでいるのだろうか(そんなわけないか)。そのナンセンス加減に、読んでいて時々吹き出してしまった。ちょっと息抜きしたい時に最適な本。

    もちろん、ナンセンスな中にもキラリと光るものが。例えば、「不安を抱きつつ未来を予測しようとして手探りしては一喜一憂する無知状態が、人間の幸福を支えているのである。予知能力に代わりに無知が与えられていることを神に感謝したいと思う。」とか、「人間はさまざまなものを過度に重要視する強い傾向がある。こだわっている対象を笑って攻撃することによって心のバランスを保つ必要があるのだ。」、「ユーモアによって、人間は、規則を破ることもできる自由な存在であることを確認する。」等は卓見だと思う。

    橋本首相(当時)の動静から首相という職種の本質を突いた「首相になれといわれたら」、哲学入門編のような「ナンセンスの疑い――「わたしってだれ?」っての何?」は読み応えあった。

  • 土屋先生愛してる!

  • 哲学者によるユーモア・エッセイ集ですが、「ナンセンスの疑い―「わたしってだれ?」って何?」は、どちらかといえば哲学的エッセイというべき内容です。

    著者はまず、ひとが「本当の自分は何か」という問いを立てる動機には、次の二つがあるといいます。第一の動機は、自分が世間で認められている以上に価値があるという動機です。このばあい、世間の基準から離れたところに「知られざる自分の価値」を求めることになりますが、それは「物差しは人為的だから、物差しなしで自然本来の棒の長さを測ろう」と考えるようなものだと著者は述べます。もちろん自分で基準を立てることも可能ですが、勝手に作った基準にもとづいて「私は特別な人間だ」と主張しても、本人ですら納得できないことでしょう。

    第二の動機は、自分がほんとうは何を欲しているのかが知りたいというものです。しかしそのように考えるひとは、満足感を生じさせる薬を飲んだり、脳を刺激するといった手段で、十分に深い満足感を得ることを求めているわけではありません。著者は、「本当の満足」を求めて「本当の自分は何か」と問うひとは、どこかで勘違いをしているのではないかといいます。

    さらに著者は、「本当の自分とは何か」という問いを、価値や満足感と切り離して純粋に問うばあいについても、「実存哲学的反論」と「分析哲学的反論」を提出しています。そこで展開されている議論は、ユーモア・エッセイの枠を大きく超え出ているように思います。

    もっともそれ以外の文章は、どれも肩の凝らないユーモア・エッセイです。著者に反論する学生や、面倒な仕事を持ち込む助手、恐ろしい奥さん、自身のジャズ・ピアノの腕前など、ありとあらゆるものに対して、思いっきりひねくれた理屈を投げかけているのは、いつも通りの著者です。

  • お茶の水大学の先生で哲学者の方が書いたエッセイ。
    大人なというか、高尚なユーモアがちりばめられた作品でした。
    僕にはあまり笑えぬ本でありました。

  • 好きな話は、打たれず良いピアニスト、夏の終わりの憂鬱、私が漫画家にならなかった理由、ライナーノーツとは何か、わたしは嘘を許せない、首相になれと言われたら、高級レストランでのふるまい方、写真写り、地球のさまよい方、被害者の会。

    こういう本けっこう好き。ユーモアや親父ギャグ満載で面白い。是非何回か読んで普段使いにマスターしたい(笑)

  • なんていうんだろう。流暢に、立て板に流れるように次から次へと言い訳がつむぎだされるエッセイです。
    北杜夫、宮沢章夫といった一人つぶやき系エッセイしかよんでいなかったわしにとって、この言い訳系エッセイの衝撃は大きかったです。
    自虐的かつ不条理。ナンセンスギャグ。でも面白い!
    今まで読んだなかで一番面白いエッセイだったかも。
    下手な漫才を見ているよりも深く笑えました。
    そして筆者がタンメン好きなことと、奥さんが最強なことも( ..)φメモメモ。

    著者紹介の欄からしても既に人をくったカンジになっていますが、研究論文が5ページって短っ!
    そんなの別冊にもならねー!
    とりあえず著作集全30巻がでれば是非うちの図書館で購入させていただきやす。
    ・・・出たらね (-L- )フッ

  • 東京御茶ノ水大学教授。哲学者。

    たまに、哲学の話題を入れたエッセイ。思わず苦笑してしまう。

    偶然にもこの本を読む前に、同じく哲学者が書いた本
    「これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学: マイケル・サンデル」
    を読んでいた。

    同じ哲学でも議題が
    これからの正義

    笑い
    だから全く読み応え度が異なった。というか、同じ哲学書として比較するなと両著者に叱責されそうな気がする。

  • 「人間は笑う葦である」3

    著者 土屋賢二
    出版 文藝春秋

    p152より引用
    “しかし実際には完璧な予想というものはきわめて困難である。
    現に、科学が発達した現在でも、天気予報などはときどき外れる
    し、経済予測とか株価予測に至っては、ほとんど当たらない。”

     哲学者である著者による、周囲の身近な事柄についてひたすら
    深くひねくれて考え抜いた一冊。
     著者が好きなコーラについてから趣味のジャズピアノについて
    まで、論理的でユーモア溢れる文章で書かれています。

     上記の引用は、未来予測について書かれた項での一文。
    予測や予報というのは程々にしか当たらないにもかかわらず、確
    実にとか絶対にと言った表現が使われることもあるように思いま
    す。おいしい予測や都合のいい予測には、ひときわ慎重に対応し
    た方が良いのではないでしょうか。
     全編冗談で埋め尽くされているようですが、所々鋭さを感じる
    意見があるのが油断できないシリーズです。

    ーーーーー

  • サウナ用の本として読み出す。

  • 哲学の教授である著者の、ブラックユーモアに溢れたエッセイ。森博嗣の本で紹介されていたので読んでみたのだが、これが無茶苦茶面白い。

    よくここまで減らず口を叩けるものだと感心する。嫌みは無い。何回か笑い声が漏れそうになったので、人前で読めない。

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著者プロフィール

1944年岡山県玉野市生まれ。玉野市立宇野幼稚園、宇野小学校、宇野中学校と、とんとん拍子に宇野地区きっての名門校を進み、中学2年生のとき岡山市立丸の内中学校に転校。岡山操山高校を経て、官僚を目指して東京大学文科一類に入学。2年後、方針転換して文学部哲学科に進学して大学院博士課程中退。東大助手を務めた後、お茶の水女子大学に着任。35年にわたって哲学を教え、現在、お茶の水女子大学名誉教授。 哲学のかたわら、五十歳のときユーモアエッセイ集『われ笑う、ゆえにわれあり』(文春文庫)を出版したのを皮切りに、『妻と罰』『ツチヤの貧格』(文春文庫)、『ツチヤ学部長の弁明』(講談社文庫)など多数のユーモアエッセイ集と、『ツチヤ教授の哲学講義』『ツチヤ教授の哲学入門――なぜ人間は八本足か』(文春文庫)など少数の哲学書を発表、いずれも好評のうちに絶賛在庫中。他に『幸・不幸の分かれ道――考え違いとユーモア』(東京書籍)、『われ悩む、ゆえにわれあり―― ツチヤ教授の人生相談』(PHP)などを矢継ぎ早に発表し、在庫に花を添えている。週刊文春とPHPに連載中。

「2013年 『哲学者にならない方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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