新装版 翔ぶが如く (8) (文春文庫) (文春文庫 し 1-101)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167663025

作品紹介・あらすじ

明治十年二月十七日、薩軍は鹿児島を出発、熊本城めざして進軍する。西郷隆盛にとって妻子との永別の日であった。迎える熊本鎮台司令長官谷干城は篭城を決意、援軍到着を待った。戦闘は開始された。「熊本城など青竹一本でたたき割る」勢いの薩軍に、綿密な作戦など存在しなかった。圧倒的な士気で城を攻めたてた。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    読み始め、このシリーズは西郷と大久保を中心に作成された、維新後→西南戦争までの壮大な物語なのだと思っていた。
    この2人を中心に、伊藤・桐野・川路・山県などの準メインキャラクターで物語は進展していくと思っていたが・・・蓋を開けてみればそれ以外のサブキャラや、はたや農民たちまで出てくる始末。
    明治初期から西南戦争までの時代小説として、とても広範囲の勉強にはなるものの、読み物としては少し蛇足が多い気がする。

    薩摩藩や西郷隆盛が思ったよりも張子のトラだったのか、或いは彼らの自負心がそうさせたのか、戦線は初期段階から思いのほか接戦になっている。
    事を成すにあたって、敵や状況をしっかり見極め、天狗にならないようにしっかり準備をする事が大切なんだなと教訓になった。

    窮鼠猫を噛む。僕自身、どんな相手と向き合う時も、手抜きせずにしっかり戦術を持って臨もう。


    【あらすじ】
    明治十年二月十七日、薩軍は鹿児島を出発、熊本城めざして進軍する。
    西郷隆盛にとって妻子との永別の日であった。
    迎える熊本鎮台司令長官谷干城は篭城を決意、援軍到着を待った。
    戦闘は開始された。
    「熊本城など青竹一本でたたき割る」勢いの薩軍に、綿密な作戦など存在しなかった。
    圧倒的な士気で城を攻めたてた。


    【内容まとめ】
    1.明治時代の西郷の態度の不可解さには理解に苦しむ。
    頭を強打して15日間寝ていたことが原因か?

    2.桐野・篠原らの感覚では、西郷その人の存在こそそのまま戦略であるとした向きが強かった。
    西郷さえ持ち出せば、その圧倒的人気によって、戦略の機能を十分果たしうると思っていた。

    3.経済に綿密だったはずの西郷が軍資金について全く無頓着だった。
    また、作戦行動中、戦いは桐野らに任せきりで終始無為傍観の態度を通していた。


    【引用】
    p14
    誰の目にも明らかであったことは、以前に比べ、根気がなくなったそうでございます。
    しかし天気の良い日は以前と変わりなく頭が冴えていて、勘が鋭かったそうでございます。
    南洲翁の持病は、ご高承の通り陰嚢水腫がありましたが、頭を強打して15日ばかり寝た事は、あまり知られてないのではございませんか。

    西南戦争について西郷がとった態度の不可解さには理解が苦しむとされている。
    一つは本来、経済に綿密だったはずの西郷が軍資金について全く無頓着だったこと。
    作戦行動中、戦いは桐野らに任せきりで終始無為傍観の態度を通したことなどが挙げられる。


    p103
    「自分は東上する。ついては貴下は兵隊を整列させて自分の指揮を受けよ。」
    さすがに西郷好きの樺山もあきれ、これはまさか西郷が書いたものではあるまいと、何度も問うた。

    西郷の使いに対する熊本城 樺山中佐の応接態度は、ほとんど喧嘩腰だった。
    たしかに樺山は西郷の恩も感じていたし、尊崇もしていたが、しかしこの書信は正気の沙汰ではないとも思った。


    p220
    政略はいわば気体のようなものであり、それを固体化するのが戦略であったが、桐野・篠原らの感覚では、西郷その人の存在こそそのまま戦略であるとした向きが強かった。
    西郷さえ持ち出せば、その圧倒的人気によって、戦略の機能を十分果たしうると思っていた。

    要するに、桐野・篠原らは西郷という世間的価値に、世間以上にまず自分たちがまばゆく眩んでしまったということであろう。
    このために、常識的な意味での政略も戦略も考えなかった。

  • 鹿児島(熊本)は、日本を動かすには遠すぎるとつくづく感じた。
    高瀬の激戦とかぜんぜん知らなかったし、どこも初めて聞く地名ばかり。
    端っこすぎて、誰も助けようもない。
    仮に熊本城が陥ちたとしてどうなるのか。

    そして司馬さんは乃木が嫌いなのか?
    わざわざ書かなくてもよさそうな彼の失態を列挙していて笑った。
    思い出してみれば、「坂の上」でも乃木を手放しでは褒めてなかったっけ笑

  • 西南戦争勃発。鎮台兵対薩摩士族、新旧の文明の争い。個人的戦闘力は強くとも、補給や戦術、集団としての計画的戦闘に大きな差があり、火力重視の鎮台側の方が強い。時代の変わり目を感じずにはいられない。その変わり目には大方の人には苦痛を伴う重いものとなる。これは、現代の変化の大きい社会においてもどうようだとおもえる。歴史には、人間と社会における普遍的法則があるように思えてならない。

  • いよいよとと言うかようやくと言うか、西南戦争が勃発し、高瀬での第三次開戦までの第8巻。相変わらず小説の体は成しているが、作者の歴史研究の成果物的な様相が濃いです。決起に至った群衆心理がわかりやすく描かれています。
    そしてこの巻以前の、やや退屈な登場人物の心理描写中心の展開から一転し、興味をそそる開戦の展開に。
    しかしながら薩軍の幹部達は人間的魅力が乏しい上、愚策を展開してしまい、読み進める上で虚しいものを感じる。戦いの結末を知りつつなのでことさらなのかも。薩軍目線ではなく官軍目線で読みたくなりますね。
    西郷隆盛と言う人物は愚物として描かれており、銅像まで立てら皆が尊敬する人物とはかけ離れて不思議に感じます。維新前の倒幕の功績のみが輝く人物なのか。その人物に惚れ遣えて死んでいく兵士たちが哀れとまで感じます。

  • 「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。

  • ※2008.2.22購入@Book Off調布
     2008.11.3読了
     2017.5.6売却@Book Off

  • 西南戦争の戦記。どっちかというとやっぱり薩軍のほうが強い感じがするけれど、何をめざしているのかがわからないという気もする。驚くほど西郷が前面に出てこない。とても消極的というか勝手にしろ的な態度が一貫している。

  • 「翔ぶが如く(8)」(司馬遼太郎)を読んだ。
    『西郷一人の声望に無限にちかい価値を置き、それのみを政・戦略の代用としてきた薩軍の欠陥は、このときもまた露呈した。』(本文より)
    あまりに杜撰すぎないか?
    この決起の有り様はまさに悲劇としか言いようがないと思うのだが。

  • 変わらずエッセイ風に進む。
    彼の主観を通してだが、ずいぶん篠原国幹という男は無能で、こんなやつがいたら本当にたちがわるい。
    無口が威厳を醸す無能。

    そして勝海舟の肥大化する自己顕示欲も、かわいいが、小物である。
    私心の彼と無私の象徴のような西郷が、歴史的事業をおこなったということが面白い。

  • 遂に西郷の東上が始まった。東上の途中、熊本で政府軍と激闘を繰り広げることになるが、薩軍の気合頼みの拙劣な戦術が、かの軍を敗北に至らしめる過程が克明に描かれている。得意の白兵戦に持ち込みたいのだが、政府軍の銃撃戦に押されてしまう。各地の不平士族の決起を頼りにしていたところも戦略の甘さを物語っている。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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